ご存知の人もいるかもしれないが、私は一度離婚をしている。
そして別れた元オットのことは、「チーム・息子育て」の共同運営者だと思っていて、同じ会社で働く同僚のような感覚をもっている。
結婚もそうなのだが、離婚というのは(さらに)一般化ができない、個別な体験ではないだろうか。
1件1件がケースバイケースであって、「こうすべき」とか一方的に人に押し付けられるものでは一切ないよなァ…ととても感じる。
たまたまわが家は離婚したあとも友好的にコミュニケーションを取っている、そういう選択をしていることについて、驚かれることがたまにある。
つい先日は「内縁なんですか?」と聞かれて一瞬「ないえん?」と意味がわからなかった。
「元に戻ったらよいのではないですか?」と聞かれることもあるが、そんな時には自分が大変にやり甲斐を感じる仕事をできている会社において、隣の部署に在籍し合いしばしば協力しあうが恋愛感情は互いに一切ない同僚の顔を思い浮かべてみてほしい。
むしろ夫婦という枠を外したから、夫婦というリングを降りたからこそ、同僚みたいにつき合えているというのもある。
そして当たり前だが、最初からここを目指していたわけでも、いきなりここにたどり着けたわけでもない。
迷って離婚自体を決められない時期もずいぶん長かった。自分がどうしたいかが見えず過度に攻撃的になったり、逆に受容的になりすぎたりして、ギクシャクした時期もあった。自分がどんな顔をすればいいかわからない期間も長く続いた。「離婚する夫婦」の台本を演じている役者のようであったな今ふりかえると・・・。
元オットが離婚を言い出してから何度も話し合いを重ね、自分たちだけで話し合えない部分はカップルカウンセリングの形で進めてきた。
別居や同居といったことも試したし、やり方も検討した。トライ&エラーというやつだ。
なかなかうまくいかなかったし、諦めそうになったこともあったが、投げ出さず時間と労力をかけてきた。なぜなら私自身が、そこに時間と労力をかける価値があると思ったからだ。
夫婦という関係を継続することはできなかったが、息子に対する愛情や関心といった人生で大事な部分を共有できる貴重な相手と思っていることに変わりがなかったし、長年築いてきた友情があり、息子の親という一番の当事者同士だ。
だから、離婚しても子育てにおいて協力し合いたかった。その時に変な気まずさがあって、互いに足が遠のくようなことにはなりたくなかった。
これが、私が元オット(とそのご家族)とのコミュニケーションを諦めなかった理由だ。
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【離婚後6年目のある日の電話の会話です】
私:「あのね、●●(息子の名)の声変りが始まったかもしれないよ」
元オットR君(以下R):「な、なにぃ!?」
私:「地震後3日目から喋るたびにゴホゴホし出して、先週まで歌ってた同じ曲を、今週はオクターブ1つ下で歌ってる」
R:「なんてことだ。それは恐らく間違いないな…」
私:「学校の計測ではついに身長が160センチに」
R:「な、なにぃ!?」
(2回目)
私:「いつの間にか身長を抜かれてしまった。どこへ行っても『背が伸びすぎ』『痩せた』と皆が笑う」
R:「昔からもともと大きくはあったが、最近『細くなった』と言われがちであるなたしかに。しかし春頃には誰もそんなこと言わなかったはず…」
私:「5月の連休の頃はまだぷっくりしてた気がする」
R:「運動会(5月末)もぷっくり」
私:「思うにこの7、8月かな。縦に引っ張られて細くなってきたような」
R:「だろうな…しかしこんなに突然…いや成長は嬉しいし時期的にも順当といえば順当なのだがなんだろうこの気持ちは一体。」
私:「一応ボーイソプラノは春頃に録音しておいた」
R:「さすがGood Jobだ。」
私:「私は声のかすれ始めた初日にはひざを抱えて暗い部屋で泣いたが今は多少慣れてきている。」
R:「ぶふっ!それは…ちょっと面白いが無理もない。僕も正直を言うと動揺しないという自信がない。あいつ…すごいな」
私:「すごいな…あいつの意志とかではないが…」
R:「うむ…そして『すごい』『すごい』と言われてもあいつには謎かもしれないがな…」

本当に他愛もないというか、本人同士しか面白くないような会話かもしれないが、私の子育てにとっては、こういうやりとりができることがすごく大切なのだ。