3月11.12.13と

 

たまたま用事が連続したので

 
デパートや大型スーパーの

ホワイトデ―催事場を訪れた。

 

3日連続で

別々のお店だったのですが

 

下は小1くらいのボーイから

上は60代くらいと思しきおじさままで

 

いそいそとお菓子やハンカチを選んだり

店員さんに包装を頼んだり

 

どさどさとカゴに入れてる人もいれば

(それだけ沢山もらったのかな^^)

 

パートナーらしき女性に

「これどう思う?」って

意見を求めてる男性がいたり

 

堂々としている人もいれば

ちょっと照れくさそうな人もいて

 
これは単にその場を
毎年訪れる/訪れないという

わたし側の慣れなのだろうか?

視覚的な印象もあるのかな?
 

バレンタインデーの催事場の

「かわいい~おいしそう~」

という雰囲気は

ある意味シンプルに感じる

 

赤1色の感じなの

 

だけどホワイトデーというのは

また違うのですよね

 

なんというか  

もうちょっと多様性があるように感じるのです。

 

1色じゃない感じがするの。

  

だけど不思議と

行き交う男性たちの声や表情からは

ぽわんぽわんな空気が漂って

 

しあわせなの。

 

温泉みたいだったなあ。

 

 


  

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そこにただいるだけで

温泉につかった気分に

まんまとなってしまったわたしですが

 

ちなみに3日のうち1日は

息子のつきあいで行きました。

  

照れてしまうようで

まだ1人で行くのは無理とのことでした^^

 

お小遣いでクッキーを選んでました。

 

みなさまへも
1日遅れちゃいましたが

Happy white day。

 

 

こんにちは奥野水緒です。

2019年も12分の1が終わりましたね。

じつはわたくし、前回のブログをアップしてすぐに、なんと頚椎ヘルニア&胸郭出口症候群を発症してしまいました。
 

 

一時期は痛みのため動けず、かと言って椅子に座っても痛い。

またパソコンやモバイル機器の画面を見るだけで首、背中、腕に走る激痛。
 
一番ひどい時は、目線をわずかに動かしただけでビキッと痛みが走るという状態に。
 
日々パソコンに向かう時間が多く、また自営のため昼夜問わず途切れなくモバイル機器など使ってしまいがち。
 
そんな生活習慣の影響は否めないな・・・と思いました。
 
1月はペインクリニックに通い、休息を取り、ほぼ治療に費やしました。

写真では腕を釣っておりますが、腕に怪我をしたというわけではないのですが。

腕の痛みが肩や背中で支えている腕の重みを軽減してくれるので楽なのでこのように釣って生活しています。

おかげさまで、痛み自体は少しずつ回復し、今このブログもパソコンで打っております。
 
初めての経験で本当にどうなることかと思いましたが、今日は元気に市内の小学校で講座をしてくる予定です。
 
フェイスブックを1ヶ月更新しないというのは恐らく初めてのことでしたのでご心配を掛けた方もいるかと思います。
 
お心寄せて下さったみなさま、本当にありがとうございました。

・・・ひとまずご報告まで!

平成31年でございます。
新年明けましておめでとうございます餅門松おせち

 

 

年賀状がわりに…

わたしの2018年10大ニュースを書いてみますね。

 

1: 2冊目の本が出版される

(渾身作を読んでくださった師の本郷綜海氏からの好反応に自分の心がふるえる)
 

2: トランポリンから落下し足の指を骨折

(全治3週間と言われるもけっきょく3か月。不覚。)
 

3: 美表現コンサル受講生さんがアラフィフでのご結婚
(本当に涙出るほど嬉しかった!大人婚心からおめでとうございます)

4:北海道にかつてない規模の地震

 

 

5息子が突然やせ始めシュッとしたイケメンに

(母は心の準備が0%でした)


6:バンド初・フルメンバー3名でのライブ出演

(ここまで来るのに長かったです嬉しかったし楽しかった!)

 

7: 先生として仕事をさせてもらっている札幌サドベリースクールがなんと社団法人化

 

8:モノマネの完成度がうなぎ登りに止まらない

(2019年にライブなどで披露したいと思います)
 

9:東京へ歌いに行き、歌い、受け入れられた

(怪しい楽器を持ち歩きすぎて飛行機の手荷物検査に引っ掛かりながら)
10:歌いに行った東京で年下の音楽仲間ができたため仲良くなったところ「実は孫がいる。」と言われ前後不覚に陥る

(年下の人間に孫がいる世代に突入する心の準備が0%でした。)

 

 

以上です。
本年もよろしくお願いします。

 

私は今とても怯えている。

 

冗談抜きで本当に怯えきっており、泣きながらパッキングをしている。

 

 

 

今日、東京に発つのだ。

 

歌うために。

 

(暮れなずむ杉並区)

 

 

 

クローズドの場所での小さなライブ。

 

11/3、私はそこに出るのだ。

 

 

 

演者もお客さんも、誰一人知らない人ばかり…。

 

知らない人と、いきなり合わせて、演奏して歌う。

 

見てくださる人も、全員知らない人。

 

そこにいる方たちはすでに関係性ができている。

 

私だけが知らない人であろう。

 

受け入れられるかどうかわからない。

 

そんな環境ははじめてだ。

 

 

 

別に向こうから依頼をいただいたというわけでもない。

 

自分が出たいから出るのだ。

 

 

 

とても心細い。

 

自信がない。

 

引き返したい。

 

 

 

 

ああ、どうして「やる」なんて決めてしまったんだろう!!!!

 

やると決めて、手をあげて、飛行機まで取って。

 

シングルマザーの私がこんなことをしていいんだろうか。

 

どうしてこんな生き方やり方しか自分には選べないのか。

 

もういい加減、のたれ死んでしまうのじゃないだろうか。

 

 

 

急な仕事が入れば行けなくなるな…。

 

家族に思い切り反対されれば…。

 

雪が降れば…。

 

台風が来れば…。

 

子どもか自分が体調を崩せば…。

 

 

 

この1ヶ月、そんなことばかり考えていた。

 

恐れと葛藤のビッグウェーブは私を弄ぶかのようにくり返しさばんざばんと押し寄せてきた。

 

 

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でも行くのだ。

 

私はそう決めたのだ。

理解されないかもしれない。

 

拒絶されるかもしれない。

 

見下されるかもしれない。

誰も助けてくれないかもしれない。

 

見捨てられるかもしれない。

 

のたれ死ぬのかもしれない。

 

 

 

その時はまたいっぱい泣こう。

 

 

 

 

怖いけれど、怖いままに、行く。

 

怖いままにでも(怖くなくてもいいけど)進む。

決めたのだ。

 

自分に自分の仕事をさせてあげよう。

 

変わり者で居場所のない自分。

 

資本主義社会ではきっと多くの人が気にも留めないであろう目立たないけれど大切な何かを日々日陰で抱きしめる暗くて変わり者の自分。

 

その結果、セラピストだったり先生(しかも国語&英語)だったり歌手だったり詩人だったり、不思議な肩書きばかり増えるようでなんだそれ心許ない不思議ちゃんかと心の中でツッコミが止まらなくなりうまく1つに表現できずにきた。

そんな自分を恥じてきたけれど、そもそもなんでそんなに恥じるのか。

誰かと同じじゃないからか。

 

人気者のあの人みたいじゃないからか。

 

人より時間がかかるからか。

くそばかやろうめ。

 

自分のくそばかやろうめ。

自分になんの恥じるところがある。(by志賀直哉)

 

私は国語の先生でもあるのだ。

 

今こそ志賀直哉じゃないか。

 

文学が人生の役に立たないってそんなわけあるか。

 

一生懸命生きてる40代のシングルマザーであるというだけだ。

 

そんな自分を自分が生きて救わなくてどうするというのか。

 

歌や自己表現はわたしにとって、間違いなく人生でやるべき仕事の一部なのだ。

 

なのに、なのにだよ。

私は「人が決めてくれたら楽なんでないべか…」と胸で思ってしまうのだ。

そうしてそちらに進もうとしてしまうのだ。

 

何か自分にだけ用意された抜け道があるのではないかとキョロキョロしてしまう。

 

あっこれかな!と思って1歩踏み込む。

すると神様はいつも笑顔で通せんぼしてくる。

 

ニコニコ笑っているが決して通してはくれないのだ。

 

「おめーが決めろ」

 

と言うかのように。

 

なぜならそれは自分にしかできない仕事だからだろう。

 

 

 

 

私は私の人生が欲しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ご存知の人もいるかもしれないが、私は一度離婚をしている。

 

そして別れた元オットのことは、「チーム・息子育て」の共同運営者だと思っていて、同じ会社で働く同僚のような感覚をもっている。

 

結婚もそうなのだが、離婚というのは(さらに)一般化ができない、個別な体験ではないだろうか。

 

1件1件がケースバイケースであって、「こうすべき」とか一方的に人に押し付けられるものでは一切ないよなァ…ととても感じる。

 

たまたまわが家は離婚したあとも友好的にコミュニケーションを取っている、そういう選択をしていることについて、驚かれることがたまにある。

 

つい先日は「内縁なんですか?」と聞かれて一瞬「ないえん?」と意味がわからなかった。

「元に戻ったらよいのではないですか?」と聞かれることもあるが、そんな時には自分が大変にやり甲斐を感じる仕事をできている会社において、隣の部署に在籍し合いしばしば協力しあうが恋愛感情は互いに一切ない同僚の顔を思い浮かべてみてほしい。

 

むしろ夫婦という枠を外したから、夫婦というリングを降りたからこそ、同僚みたいにつき合えているというのもある。

 

そして当たり前だが、最初からここを目指していたわけでも、いきなりここにたどり着けたわけでもない。

 

迷って離婚自体を決められない時期もずいぶん長かった。自分がどうしたいかが見えず過度に攻撃的になったり、逆に受容的になりすぎたりして、ギクシャクした時期もあった。自分がどんな顔をすればいいかわからない期間も長く続いた。「離婚する夫婦」の台本を演じている役者のようであったな今ふりかえると・・・。

 

元オットが離婚を言い出してから何度も話し合いを重ね、自分たちだけで話し合えない部分はカップルカウンセリングの形で進めてきた。

 

別居や同居といったことも試したし、やり方も検討した。トライ&エラーというやつだ。

なかなかうまくいかなかったし、諦めそうになったこともあったが、投げ出さず時間と労力をかけてきた。なぜなら私自身が、そこに時間と労力をかける価値があると思ったからだ。

 

夫婦という関係を継続することはできなかったが、息子に対する愛情や関心といった人生で大事な部分を共有できる貴重な相手と思っていることに変わりがなかったし、長年築いてきた友情があり、息子の親という一番の当事者同士だ。

 

だから、離婚しても子育てにおいて協力し合いたかった。その時に変な気まずさがあって、互いに足が遠のくようなことにはなりたくなかった。

 

これが、私が元オット(とそのご家族)とのコミュニケーションを諦めなかった理由だ。

 


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【離婚後6年目のある日の電話の会話です】

 

私:「あのね、●●(息子の名)の声変りが始まったかもしれないよ」

 

元オットR君(以下R):「な、なにぃ!?」

 

私:「地震後3日目から喋るたびにゴホゴホし出して、先週まで歌ってた同じ曲を、今週はオクターブ1つ下で歌ってる」

 

R:「なんてことだ。それは恐らく間違いないな…」

 

私:「学校の計測ではついに身長が160センチに」

 

R:「な、なにぃ!?」

(2回目)

 

私:「いつの間にか身長を抜かれてしまった。どこへ行っても『背が伸びすぎ』『痩せた』と皆が笑う」

 

R:「昔からもともと大きくはあったが、最近『細くなった』と言われがちであるなたしかに。しかし春頃には誰もそんなこと言わなかったはず…」

 

私:「5月の連休の頃はまだぷっくりしてた気がする」

 

R:「運動会(5月末)もぷっくり」

 

私:「思うにこの7、8月かな。縦に引っ張られて細くなってきたような」

 

R:「だろうな…しかしこんなに突然…いや成長は嬉しいし時期的にも順当といえば順当なのだがなんだろうこの気持ちは一体。」

 

私:「一応ボーイソプラノは春頃に録音しておいた」

 

R:「さすがGood Jobだ。」
 

私:「私は声のかすれ始めた初日にはひざを抱えて暗い部屋で泣いたが今は多少慣れてきている。」

 

R:「ぶふっ!それは…ちょっと面白いが無理もない。僕も正直を言うと動揺しないという自信がない。あいつ…すごいな」

 

私:「すごいな…あいつの意志とかではないが…」

 

R:「うむ…そして『すごい』『すごい』と言われてもあいつには謎かもしれないがな…」

 

 

 

本当に他愛もないというか、本人同士しか面白くないような会話かもしれないが、私の子育てにとっては、こういうやりとりができることがすごく大切なのだ。