過去のことを思い出してつらい時に

ここの存在を思い出す。


そしてまた書きにくるわけだけど

前回の記事がちょうど約一年前


この時期が

私の病みやすいタイミングなんだろうか?

それとも、トラウマ事件の近い月だからか。


今まで自分が愚かだということを

理解していないからこそ

自分自身の失敗などを許せないんだと思ってた。

何度も何度も愚かなんだから

できなかったんだから仕方ないって

言い聞かせても、分かってるのに

どうしても飲み下すことができなかった。


去年終わり頃に、唐突に悟りを開いた。

あの時の自分は、そういう人間だったのだと、

突然理解した。


というのも、私は身近な人などが

期待はずれや酷いことをした時など

許す許さないは別にしても

「この人は私の特別な人だけれど、

 この人も一人の人間であり、

 この人の今精一杯できることが

 これであった」

として、納得させる。

母が心無い言葉をかけた時、

お母さんなのにこんなこと言うなんて酷い!

ではなく、母も人間だ苛立つこともある

体調が良くなかったかもしれないし

母にとってどうしても流さないことで

発言したのかもしれない。

と、大人になった今では納得ができる。

飲みくだせる。


身近な人へは、

特に勝手な期待を寄せてしまいがちになる。

それで期待に沿わなかったり、

善性にかける言動をした時、

ものすごくがっかりしたり、

裏切られたような気持ちになるけれど、

私はその人の人生全てを知らない。


その言葉を吐く前に、

ものすごく頭が痛いのを我慢していたら?

前に酷いことをされた時と同じセリフを

言われたためにでた返事だとしたら?

理由などいくらでもある。

失言をしない、失敗しない人間などいるだろうか?

そんなのはいないと思うし、

誰から見たら失言失敗になることであるか

など、正解などないことでもある。


私は身近な人をそうやって考え

自分を納得させてきた。


しかし自分のこととなると、

過去に間違えなどをしてしまった、

ああすれば良かったこうすれば良かった、

そんなことがたくさんあって、

なぜそんなことも予期できなかったのか、

もっと最善の行動が取れたはずだ、

そんなことをぐるぐる考える。


自分のこととなると、

客観視ができないとよく聞く、

客観視して良い点悪い点を

たくさん書き出しても、

最後には

なんでこうなっちゃったんだ

なんで許せないんだ。

さまざな要因があり

周囲も自分も未熟だったから、

それが結論だとしても

なんで特に自分だけを許せないのか。

自分を許せないから苦しいから

その原因となった人たち全員が

許せないような気持ちにもなってくる。


自分を全くの他人として、

そういうことをしたとして、

どう思う?

そう言うことをしてしまったけど、

その人のその時の精一杯だって、

急に俯瞰できた。

全くの自分と関わりのない

1人の人間がそれをしたと考え、

結論を出すと、なんと簡潔なことか。

感情が結論を邪魔していた。

なんでできなかったの!と自分を

ずっと叱り続けていたように思う。

でも、全くの他人がそれをしたと考えたら、

スッと胸に落ち着いた。


言語化して説明するのが難しい。

客観的に見てるつもりの時も、

自分の感情がとても入り込んでいた。


すでに終わった過去のこと、

その時やったこと言ったこと、

その時私は頑張った。

ならば、なんの問題はなかった。

関わった相手が許してくれるまで、

関わった関係者が私がどんな気持ちであったか

理解してくれるまで、

飲み下すことができないことだと思ってた。


そんなことない。

あの時の私は頑張った。

誠実な対応をした。

できる限りを尽くした。

あの時、私と言う人間は

精一杯可能なことをやり尽くした。

それ以上に誰かに許す許される

納得してもらう理解してもらうなんて、

全く必要ない。


他人から聞かされたのであれば、

そんなことがあったんだ、

大変だったんだね。

と、大いに同情しただろうし、

頑張ったなと声をかけると思う。


私は、自分に、とんでもなく過剰に

期待して、理想を押し付けていた。

私は、他人や大切な人だけでなく、

自分自身もただの一人の人間だと

そう考えて良いんだ。


簡単なことだけど、

実感して理解するのにとても時間がかかった。

近しい人の言動への期待は

早い段階で気がついて区切りがついていたのに、

自分自身のことは、本当の意味で

客観視ができていなかった。


まだ思い出して胸糞悪くなることはあるけど、

もう自分を責めなくて済む。

もう自分を許せなくて苦しまない。


もし仮に、

精一杯頑張った結果じゃなかったとして

怠惰な先にあった態度だったとして、

だとしても、

一人の人間、怠惰な時もあるさ。

頑張れない時もある。

そうだったとしても、

その人間が許されないなんてことはない。


自分自身に過度に期待や善性を求めない。

自分に重荷を背負わせすぎない。

頑張ることはいいことだ。

無駄に過去の失敗を悔やまない、

これは反省でなければ意味のない行為だ。

その時はそのレベルの人間だっただけだ。

だからと言ってそれがなんだ。

人を殺したなどの犯罪でもない、

だしとたら小さな失敗など

どこにでも転がってる。


自分もただの人間だ。

できるだけ精一杯、頑張って

心を尽くしてきたなら、

それ以上はない。

それだけでも十分じゃないか。

やっと理解した。


過去の後悔を切り捨てよう。

これからも今を精一杯に生きていこう。