珍布(めずらし)峠ウオーキング  1

 

2021(令和3)年11月12日(土)晴れ/くもり

 

コロナも2年を経過し、やっとこの時期に治まりの兆しが見えてきた昨今です

 

この2年間、巣ごもりの生活でしたが

 

久々に外に出てみました

 

行先は松阪市街地の西に位置する飯高町の珍布峠です

 

 

R166号線を走ると飯南高校のハナノキが紅葉しています

 

 

多くの人が紅葉を楽しんでいます

 

 

しばしハナノキの紅葉を堪能し

 

今日の目的地道の駅・飯高駅に向かいます

 

ここの🄿を起点に、ウオーキングを開始しあとは飯高の湯に浸るのが楽しみです

 

11:45分

 

 

ウオーキングコースは

 

ロングコース(6.2㎞2時間)とショートコース(4.8㎞1時間30分)があります

 

 

まずかって和歌山街道と呼ばれ松阪~大和、和歌山を結ぶ166号線を渡りスタートです

 

この和歌山街道は紀州藩主の参勤交代の道として

 

また伊勢神宮への参詣道として多くの人が行き来しました

 

その街道の中間地に位置するのがこの宮前宿で

 

本陣が置かれ当時は最も栄えた地でした

 

案内板が設置されありがたいですね

 

 

宿場跡の近くに大庄屋滝野家屋敷跡の看板がありました

 

 

近寄ってみましょう

 

 

長野主膳は伊勢国飯高郡滝村(たきのむら)の住民で

 

江戸時代末期の国学者でした

 

天保12年(1839)滝野村の庄屋、滝野次郎左衛門の妹

 

多紀【瀧女(たきめ)】と結婚し、二人で諸国

 

京、伊勢、三河、尾張、美濃、近江、和歌山等を遊歴し

 

天保13年11月、近江彦根藩の井伊直弼と遭遇します

 

長野主膳          井伊直弼

 

 

経緯は定かではありませんが直弼は主膳に傾倒し弟子になったとあり

 

その後、主膳は京に住いし九条家につかえます

 

やがて彦根藩では兄の井伊直亮が没し直弼が第15代彦根藩主となります

 

主膳は直弼に藩校、弘道館の国学方に招聘されます

 

以降、直弼の信任厚く主膳は井伊の参謀としての地位を固め

 

あの井伊大老のなした政事、安政の大獄の影の首謀者とも言われました…

 

イチョウ

 

左折し、旧街道を和歌山方面に向かいます

 

道標   紀州、ならの文字が読めます 

 

 

家なみが続きます

 

このあたりには猪や鹿が埋没するのでしょうね

 

 

家なみを離れ細い山道に差し掛かってきました

 

 

木々の間に村の人たちが花を植えています  エビネでしょうか

 

 

物騒な名の死人谷(しびとだに)

 

 

 

先に進みましょう

 

この橋は道行橋(みちゆきばし)と呼ばれています

 

 

京から吉野を経てこの伊勢の国に

 

義経と静御前が手を携え逃れてきたという話はロマンですね

 

 

珍布(めずらし)峠の看板  もう少しです

 

 

この立て札の右奥辺りに

 

昭和の初めころまで石灰爺さんが住んでいたようです

 

 

前方に何やら見えてきました  珍布(めずらし)峠でしょうか

 

 

道の駅から1600mの距離です   12:35分

 

 

続きます