2019(平成31)年2月24日(日)
心配されたお天気も曇り空で一安心
松阪市小野江町の武四郎まつりに出かけました
昨年は松浦武四郎の生誕200年
武四郎が名付けた北海道制定の150年という節目の年でした
毎年2月の最終日曜日に開催される武四郎まつりも
今年で24回を迎え 年々盛大になってきました 10:55分
10:00からオープンし
私の到着したときは地元、三雲中学吹奏部が演奏中でした
ステージ横にアイヌ文化体験コーナーがあります
民族衣装の試着コーナーも設けられています
そのお隣には名松線PRコーナー
乗って残そう 名松線 応援したいです
会場内には多くのテントが張られ
北海道上川地区の特産品が展示販売されています
ステージでは
小野江小学校、武四郎守り隊による劇、武四郎物語が始まっています
とりあえず松浦武四郎記念館に向かいます
今回のゲスト
札幌大学ウレㇱパクラブの面々に出会いました
記念館前に毎年陣取るワンちゃん
ゲスト並みです
記念館に足を踏み入れると
武四郎が著した東西蝦夷山川地理取調図が床面に張られています
350円の入館料(武四郎生誕地と共通) 今日は無料です
9:30分~16:30分 月曜と(12/29~1/3)休館
松浦武四郎、文化15年(1818)~明治21年(1888)は
松尾芭蕉、寛永21年(1644)~元禄7年(1694)
本居宣長、享保15年(1730)~享和元年(1801)と並び
三重の三偉人と称えられています
セレモニー会場も記念館内も大盛況です 11:15分
NHK札幌放送局が北海道命名150周年記念ドラマとして
松浦武四郎役に松本淳(嵐のメンバー)を起用した『永遠のニㇱパ』を制作し
今年の春に北海道で先行放映され
以降全国放映されます
ニㇱパとはアイヌ語で大切な先生の意
アイヌにとって武四郎は生涯忘れることのできない恩人でした
深田恭子さんがアイヌ女性リセ役で共演しています
武四郎記念館は1994年(平成6年)に開館し
松浦家から三雲町(現松阪市)に寄贈された武四郎の
貴重な資料を展示収蔵しています
平成20年(2008)には
資料のうち1505点が国の重要文化財に指定されました
武四郎マスコットキャラクターのたけちゃんです
館内を巡ってみましょう
記念館では2カ月に1回
資料を入れ替え展示されています
多くの資料が展示されています
旅行家、探検家でもあった武四郎の
体力、健脚は人並み外れていました
武四郎は蝦夷地に生涯6回訪問しています
右より1~6回目 拡大できます
武四郎39歳 4回目、安政3年(1856)の足取りです
何と樺太にも渡っています
蝦夷地に入った武四郎はアイヌの人たちにじかに会い語り
彼等から地名や歴史を聞きだし地誌に収めます
また幕府による圧政
場所請負制度(商人が松前藩の上級武士の領地の権限をお金で買い
その領地の経営を領主に変わり行う制度)や
撫育同化政策(アイヌの和人化)の辛い思いを役人に提言するのでした
安政7年(1860)武四郎が出版した地図
精彩に作られています
松浦武四郎は文化15年(1818)2月6日
伊勢国一志郡須川村(松阪市小野江町)にて
松浦佳介、とく子の四男として生まれます
幼少期の師 平松楽斉
17歳で全国各地をまわる旅に出ます
27歳で他界した父母を墓参 還俗し蝦夷地を目指します
28歳~32歳まで 3度蝦夷地を調査
33歳で初航、再航、三航蝦夷日誌を完成
36歳 吉田松陰と知り合い三航蝦夷日誌を徳川斉昭に提出
39歳~41歳まで3度蝦夷地に渡り(計6回)
樺太、千島列島まで足を延ばしています
42歳 東西蝦夷地山川地理取調図(28冊)を完成
この年、福田とう と結婚しています
1868年(明治元年) 51歳
武四郎は新政府から徴士函館府判官事を任命されます
52歳 明治政府より蝦夷地開拓御用係
開拓使の開拓大主典、開拓判官に任命され従五位に叙せられます
この頃現在の北海道の名前、国名、郡名等を考えます
53歳 時の政府の対蝦夷政策に不信を覚え開拓使もやめ位も返上し
政府を去ります
職を辞した武四郎は58歳から日本全国の旅に出ます
今と違い交通手段のない時代です
明治21年(1888) 71歳で亡くなります
年譜です
続きます