2018(平成30)年2月3日(土)

日本全国、各地で2月3日の節分の日は

厄除け祈祷や豆まきが行われています

当地でも松阪市駅前(日野町)の真言宗弥勒院善福寺で

みろく院 節分星祭りが行われました

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地元新聞の紹介記事です(夕刊三重)

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お昼を済まし出かけてみました

駅前のⓟに車を停め向かいます  1時間100円 終日500円

火祭り神事が行われています  13:40分

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山伏姿の方々は三重修験道会の行者さんです

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なにやらおまじないをされています

四方の邪気を追い払っているのでしょうか

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四方に矢が放たれ

そして行者さんが真剣を手にし振り下ろしています

場を清めているのでしょうか

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ヒノキの薪と青葉に火が入れられました  13:55分

折からの強風(東風)で風下の方は気の毒です

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火(煙)は勢い良く燃え上がっています

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風は舞っています  今度は逆の西風です

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シートの上に土がまかれているだけですが

シートには燃え移りません

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だいぶ燃えてきましたね

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途中、小雨ももらいました

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何よりも煙が凄かったです

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ずーっと神事を見ておられるのは行者の長でしょうか

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やにわに立ち上がり燃え具合の点検です

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入念に見ます

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そして真剣を振り下ろし清めます

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どうやら火勢も治まったようです

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この上を素足で渡ります

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火渡りの最初は行者の長から   14:10分

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行者の方々が続きます

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そして一般の方々の火渡りです

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火渡りをすると風邪をひかないと言われています

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約300名の方が火渡りをされました

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私も最後尾で渡りました  熱くありませんでした

火渡り神事が終わりました

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さぁ お待ちかねの豆まきです  14:30分

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壇上には華やかな有名人はいませんが

松阪竹上市長や厄年の方があがっています

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袋に入った紅白の餅や豆(50kg分)がまかれます

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今年の人出は1000人と書かれていました(中日新聞)

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私は6袋拾い家内は4袋

私の拾った豆の袋の中に紙が入ってい

見ると砂糖と書かれていました

その他サランラップやゴミ袋、使い捨てカイロなどもあり

旅行券もあったそうです

  

みろく院善福寺では

この日、旧い商家を改修した町屋を休憩所として開放しています

ひな人形やちぎり絵の展覧会も開かれています

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ひな壇が飾られています

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華やかですね

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梅茶もいただきました

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かなり旧そうです

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新聞で紹介されていた高橋さんのつるしびなです

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つるしびなも全国に広まりましたね

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ちぎり絵展です  弥勒院ご住職のお姉さんの作です

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そういえば3年前

この町屋を訪れていますがお休みでしたね

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当時のブログです


時刻も15:00です

あともう一カ所豆まきがあります

歩いていきましょう

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松阪市白粉町の来迎寺(らいごうじ)です

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立派な山門(正門)ですね   15:10分

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宗派は天台真盛宗

山号は教主山   院号は無量寿院  塔頭に覚性院

ご本尊は阿弥陀如来です

それにしても広い境内  建物も尊厳です

甘酒のふるまいですが  どーも苦手です

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私の菩提寺西方寺と同じ宗派です

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元三大師堂で僧侶が

厄除けの護摩をたき節分祈祷会をされている時刻です

豆まきまで待ちましょう

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祈祷を終えた僧侶が

山門に上がっていきます   15:30分

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開始です

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紅白の御餅に、お菓子、落花生がまかれます

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ところが風により遠くまで飛びません

前に陣取った人は正解でした

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来迎寺本堂

1500年代初頭の永正年間に

伊勢国司6代北畠材親により松ヶ崎城下に創建されました

天正16年(1588)蒲生氏郷が

松阪城主となり松坂城を現在の地に築城

それに伴い町ごと移転し来迎寺もこの地に移転しました

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享保元年(1716)松阪大火で表門(現在の裏門)を除き焼失

豪商三井家の尽力により

8700両をかけ再建されました

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地元でも知らないことばかりです