2017(平成29)年7月23日(日) くもり

飯高の波瀬ゆりの後は

月出の中央構造線の見学です

一旦 『田舎暮らしの爺ちゃん』 さん宅により

爺ちゃんさんの車に同乗し、再出発です

R166からかなり山間部に入った山あいの道を走っています  14:45分

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前方に鉄柵の門扉が見えてきます

里山に現れる鹿や猪封じのためのものです

普段なら通行止めかと思い引き返しますが

今日は強い助っ人が…

難なく門扉を開け、車を走らせます

開放厳禁   開けたら必ず閉めてくださいとの注意書きも

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市道から林道に入りました

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中央構造線の立て看板が見えてきました

車は本来は右の道路  車で3,8kmと記されています

左側は近道の徒歩道900mとあります

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アクセス図です

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田舎暮らしの爺ちゃんさん何と登山道を走り始めます

かなりの急こう配です

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爺ちゃんさんは山仕事や山林整備で何度も行き来した道とのこと

途中で車を置き、1台に同乗した意が解りました

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運転は下りの方が怖いそうです

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やっと開けてきました

正面が中央構造線の月出露頭のようです

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間違いなさそうです

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中央構造線は

九州、四国から本州西日本を経て関東平野を縦断する

総延長約1000kmに及ぶ我が国最大の大断層です

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これは宇宙から見た四国~紀伊半島を走る

中央構造線です

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これは三重県内の中央構造線です

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月出の中央構造線は

紀伊半島の中央

奈良、三重県境にそびえる高見山(1249m)から

東に9kmの地点にあるワサビ谷に位置します

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月出露頭の正面の観察広場です

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この月出露頭は

1959年(昭和34)の伊勢湾台風で斜面の一部が崩落し

露頭の一部が確認されたのが始まりとされています

57~8年ほど前です

その後35~6年、放置されていましたが

1995年(平成7)地質学の諏訪兼位博士らが現地入り調査に入り

この月出露頭の学術的価値を認め

飯高町と三重県に対し

治山治水工事を提言、以降3年の年月をかけ

崖推除去工事が行われ月出露頭は白日の下に示されました

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月出露頭は高さ80m、巾50m、勾配38,5度の露頭で

日本国内最大級の規模を有します

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少し崩れ落ちた跡がありますが

左側(北側)の土は赤っぽく見える赤土で領家帯に属し

右側(南側)は黒っぽい黒土で三波帯に属しています

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パンフレットの方が鮮明です

中央構造線は東西に走り北に60度傾いているのが見れます

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2002年(平成14)12月19日

国の天然天然記念物に指定されました

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観察用の歩道もありますが

崩落の危険が高まり現在はワサビ谷に降りることも

歩道に入ることも禁止されています

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月出の中央構造線、見学記念の記帳です

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左側の木はくるみの木でした

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中央構造線をバックに記念写真も撮ってきました

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ここらで海抜600mくらいでしょうか

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帰りはくるま道(林道飯高北奥線)を走ります

中央構造線の走るワサビ谷の真上辺りです

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車から降り真上から覗いてみましょう

崩落は続いていそうです

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ガードレールが歪んでいます

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爺ちゃんさん、来るたびに動いているのが分かるとのことです

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陥没しかかったり

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隆起したり

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不気味ですね

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行きに登って行った近道の林道です

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帰り道に狸を見かけました

また、鹿の落とし物 鹿の角も道に落ちていました

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中央の雲に煙っている山が三峰山です

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15:45分

波瀬ゆりの咲く

田舎暮らしの爺ちゃん家に到着です

シソジュースを頂きしばし談笑

帰りには自家製のお茶までもいただき

強縮至極のおもてなしでした

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本当にありがとうございました

帰宅途中に雨に見舞われましたが

滞在中にはその心配もなく

有意義な一日となりました

ブログにて御礼申し上げます

  ありがとうございました  



※  追記       中央構造線の起源です

参考にしてください

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