4月にみた映画です

2014(平成26)年公開の韓国映画です

朝鮮戦争から始まる激動の時代を家族のために生き抜いた男の生涯で

韓国のアカデミー賞と呼ばれる第52回、大鐘(テジョン)賞で

最優秀作品賞、監督賞(ユン、ジェギュン)、主演男優賞(ファン、ジョンミン)

助演男優賞(オ、ダルス)等10部門を受賞しています

上映時間127分

観客動員数も1425万人を上回り韓国映画歴代2位につけています

ちなみに1位は同年公開の 『バトル、オーシャン海上作戦』 で1760万人です

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ストーリーは

韓国第二の都市釜山(340万人)の国際市場で

輸入雑貨店を営んでいる老人の述懐から始まります

1950(昭和25)年

この年6月に勃発した朝鮮戦争により

南北が38度線を境に二分され押しつ押されつの戦闘が続きます

この年の瀬も押し迫った12月、中国義勇軍が135万の大軍を率い突如参戦

韓国軍と連合国軍はあえなく南に撤退を余儀なくされます

雪のちらつく厳冬のさなか

赤軍の統治を拒む10万人余の住民も

ここ咸鏡(ハムギョン)南道、興南(フンナム)の港に集まり

南への脱出を図ります

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この映画の主人公ユン、ドクス一家も

南へと避難する住民の中にいました

ユン家、ドクスの父(チョン、ジニョン)と母の(チャン、ヨンナム)と

二男二女の6人家族でした

父と母は幼な児の弟妹を抱え

幼い兄妹には手を離さずに父の後について来いと話すのでした

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ユン、ドクスは幼い妹マクスンに

僕たちは遊びに行くんじゃない、絶対手を離すなと云って聞かせるのでした

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国連軍も韓国軍も南への脱出に

避難民がこれほどまで10万人を超えるとは想定外でした

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韓国軍と国連軍は兵器等を埠頭に置き去り

避難民を優先させる措置をとり

軍民合わせ20万人の撤収を奇跡的に完遂しました

ただその最中に

貨物船に乗り損ねたり、海中に埋没したりする人々も多数あり

チリチリバラバラになる家族もありました

ユン、ドクスも中国軍の追撃が目前に迫る中

降ろされたロープネットを伝いメレディス、ビクトリー号の甲板にたどり着きます

ただ、その際背負っていた妹マクスンは

後ろから来た人がマクスンを引っ張り

海中に落としてしまいました

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先に甲板に上がっていた父ジンギュはドクスに駆け寄り

マクスンは俺が見つけに行く

俺がいなければお前がユン家の家長だ

家長は、どんな時でも家族が優先だ

家長として家族を守れとと言い残し…

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釜山のコップンの店で会おうと言い、船を降りるのでした

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哀しく切ない別れでした

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位置図です

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ユン、ドクス一家が訪ねたのは

父の妹夫婦が住む釜山でした

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戦後の混乱期を貧困の中で育つドクス

その小さな体には父から言われた家長への自負心もありました

生涯にわたる親友ダルグ(右)との出会いも釜山でした

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10年ほど時が過ぎます

韓国では1963年に朴正熙(パク、チョンヒ)が大統領に就任

以降、1979年までの長期政権の誕生です

成長したドクス(ファン、ジョンミン)ですが、家族の生活を守るため

青春を謳歌する余裕もなく、身を犠牲にして働きづめの日々を送っています

ドクスのささやかな夢は

ビクトリー号に救われた経験から外国航路の船長を夢見ていました

しかし自身の夢よりも

優秀な弟がソウル大学に合格したため

ドクスはその学費を稼ぐため

韓国政府が外貨獲得のため募集していた

西ドイツへの派遣鉱夫として3年、韓国を出る決心をします

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ドイツ派遣鉱員の話を持ってきたのも

出国も、ドクスの幼馴染ダルグ(オ、ダルス)が行動を一にしています

二人は切っても切れない仲ですね

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1963年(昭和38)、出国

西ドイツの炭鉱です

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炭鉱は劣悪な環境の中

韓国鉱夫は真っ黒になり懸命に働きます

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鉱山に来て2年

ドクスは休日のある日、サイクリングの途中

哀し気な歌を口ずさむ同胞の女性に魅入られます

ドイツで看護を学んでいるヨンジャ(キム、ユンジン)でした

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遠く離れた異郷の地での出会い

二人の心は徐々に近づいてゆきます

ドクスはヨンジャが望んでいた懐かしい韓国料理を振舞います

ヨンジャは最初に出会った時の哀しい歌の経緯を話し出します

ヨンジャは

日々、患者の死体に接する哀しさや

看護を学ぶ辛さを抱えていたと打ち明けます

ドクスはこれからは辛い時も悲しい時も二人三脚でいこうと励ますのでした

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幸せな日々が続く中

ドクスの働く鉱山でガス漏れから大爆発事故が起こりました

ドクスは岩盤の下敷きになった親友ダルグを見捨てることができず

二人とも逃げ遅れてしまいました

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急を聞いたヨンジャは鉱山に駆けつけますが

ドクスの姿が見当たりません

捜索を懇願するヨンジャに鉱山会社社員は危険だからと立ち入りを禁止します

必死に懇願するヨンジャの姿に

韓国の鉱夫が決起し一団で坑道に入っていきます

同胞の力により九死に一生を得た

ドクス、ダルグの二人でした

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徐々に体力の回復も進むドクスですが

期限の3年が近づいてきました

ドクスはヨンジャと共に韓国に帰ろうと誘うのですが

ヨンジャはその思いを押さえ断ります

しかし、ドクスの旅立つ最後の夜に

二人は初めて結ばれます

1966年(昭和41)三年ぶりの故国です

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家族はドクスの仕送りにより平穏な生活を送っていました

ドクスが釜山に着いて3か月後

ヨンジャがコップンの店を訪ねてきました

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お腹の中に子供がいると後を追ってきたのです

ドクスはヨンジャとの再会、妊娠を喜び

二人は結婚します

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ドクスは叔母のコップンの店を手伝いながら

新たな生活を送り、子供にも恵まれました

しかしコップンの店を切り盛りしていた叔母が亡くなり

口約束で譲ると言われていたコップンの店は叔母の夫が

勝手に処分しょうとしていました

ドクスは母に相談します

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母には妹の結婚資金の為にベトナムに行くと告げるのでしたが

妻のヨンジャはドクスがコップンの店の権利を買い戻すためという

本心が分かっていました

(父とコップンの店で会おうとの最後の約束のため店を手放したくないという本心が…)

ヨンジャは家族のために自己犠牲となる人生を終わりにしてほしいと

猛反対するのでした

しかし、ドクスはまたしてもベトナム戦に軍事参入した

韓国軍の軍属技術員としてベトナムに向かうのでした

傍らにはダルグも嫌々乍ら同行しています

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安全な後方支援だと思っていたドクス、ダルグですが

任務地の米駐屯地で爆破テロに遇い

多くの死傷者を目の辺りにし

戦争の悲惨さ無慈悲さに衝撃を受け妻あてにドクスは手紙を書きます

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辛い時代に生まれ、この苦しみを味わったのが

子供たちじゃなく、僕たちで本当に良かった…と綴っています

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ベトナム戦争は

米を盟主とする資本主義陣営と

ソ連邦を盟主とする共産主義陣営との間に

第二次大戦後に生じた対立を背景とした代理戦争でした

ホー、チミンが率いる北ベトナムは

南ベトナムを米の傀儡国家と規定し、ベトナム人による南北統一ベトナムを掲げ

南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)を支援し

戦局は局地戦、泥沼化に陥ってしまいます

事態に困惑した米政府(J、F、ケネディ大統領)はベトナムに軍事参入

東南アジア条約機構(SEATO)の主要構成国、

韓国、タイ、比、豪、ニユージーランドもベトナムに派兵

一方、ソ連邦や中華人民共和国は北ベトナムに

軍事物資支援や軍事顧問団の派遣にとどまり

兵の参入には至らずでした

ベトナム戦争では世界各地から大規模な反戦運動が発生

大きな社会問題にもなりました

1973年のパリ協定を経て

1975年(昭和50)年4月30日の南ベトナムのサイゴンの陥落により終結しました

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ベトナムでの南軍の戦況は厳しく

ドクス、ダルグも幾度もベトコンに出くわし危うい目に遭遇しています

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南軍の撤退命令で

韓国軍も海兵隊と共に撤退に移ります

撤退途中、ある村に立ち寄ります

出てきたのは女、子供、老人ばかりで男は徴兵に取られ見当たりません

残された村人はベトコンの襲撃に怯え

船に乗ることを懇願するのでした

ドクスの脳裏には幼い頃の自分の姿が去来するのでした

海兵隊は武器を降ろし村人の救出を優先します

村人が船に乗り込み終えるや否や

ベトコンの襲撃が始まりだしました

船に乗り損ねた女の子が一人溺れかけています

ドクスは銃弾の飛び交う中、川に飛び込み女の子を救います

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ただその最中

敵の銃弾を左太腿に被弾してしまいました

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ベトナム戦争の終結です

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再び帰国したドクスは

妻のヨンジャとコップンの店の商いに精を出し平穏な生活に戻ります

また親友のダルグは

ベトナムの襲撃に怯える村人の中にいた

若い女を妻に娶るのでした

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末っ子の妹クッスンの結婚式も無事済ませました

父の代わりにバージンロードを歩く家長のドクス

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ドクスは父との約束通り

家長として家族を守り続けました

釜山に戻り平穏な生活を送るドクスですが

未だ父と妹マクスンとの再会を諦めていません

1983年(昭和58)6月

韓国ではKBSテレビによる朝鮮戦争離散家族、

捜索の特別番組が企画されました

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韓国民の関心も高く衝撃的、感動的ななシーンに

国民は熱中します

ドクスも生き別れた父と妹の手がかりを求め

ソウルのKBSテレビに向かうのでした

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テレビで父と妹に呼びかけます

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釜山の自宅では

年老いた母も食い入るよう画面に見入っています

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ドクスは訴えます

妹の手を離してしまって

それっきり二人と別れ別れとなってしまいました

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妹の服は母の手づくりで、花とチョウの刺繍が入っています

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妹と別れた際

着ていた服の切れ端です

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番組放送後、早くも反応がありました

釜山からお父様らしき人から直接、連絡が入ったとの報です

釜山局との二元放送です

しかし、父ではありませんでした

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しばらくして釜山のドスク宅にテレビ局から電話が入りました

今度は妹マクスンの消息で

アメリカ、ロスアンゼルスからでした

ソウルに出向いて海外との二元中継です

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女性は幼い頃、施設からアメリカに里子に出され

韓国語が話せません

通訳を介しての二人の対話ですが次々と一致点が見いだされていきます

僕の探しているのは妹のマクスンです…と

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画面の向こうでは女性の左耳のホクロが映し出されています

女性が話し出しました

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遊びに行くんじゃない  兄ちゃんの手を離すなよ…と

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幼い頃の最後の二人の会話です

ドスクは画面の向こうにいる妹に叫びました

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釜山の自宅では

母はドスクが絶叫する前からマクスンを娘だと確信し

泣き崩れていました

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スタジオ内も騒然です劇的な再会でした

ドクスに駆け寄るダスクです

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ほどなく、アメリカから

マクスンの家族が釜山に会いに来ました

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33年ぶりの再会です

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母の法事の日

釜山のドクス宅には多くの家族が集まってきました

賑やかな場から離れたドクスは部屋にこもり

父の写真につぶやきます

父さん、会いたいです、辛かったです

今まで頑張ってきました

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部屋の鏡の前には幼い少年のドクスが泣きじゃくっています

いつしか父が現れ

ドクスを抱きしめよく頑張ったと褒めたたえるのでした

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海の見える庭で老夫婦が語らっています

ドクスは船長になりたかった若かりし頃の夢を

ヨンジャは素敵な人と出会い幸せな家庭を築くことと

昔の夢を語りあっています

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二人は照れ隠ししながらも

じっと双方の手を握り確かめ合うのでした

今まで再開発業者からコップンの店の撤退を頑なに拒み続けた

夫の心の変化を読み取った

ヨンジャは改めて夫ドクスの手を握り返すのでした

ドスクが父との再会が叶わぬことを受け入れた心情を…

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涙   ボロボロの  秀作でした

感動の映画でした

有難うございました


今年の5月9日の大統領選で勝利した

韓国第19代大統領、文在寅(ムン、ジェイン)氏

幼い頃の、この映画の主人公ドクスと重複するような人生を歩んでいます

逆境、苦労を知った大統領です

『 国民すべての大統領となり

平等で公正な国をつくる 』 と、表明しました

期待しましょう

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ありがとうございました