2016(平成28)年9月16日(金)  くもり

京都の南郊、伏見区にある城南宮に行って参りました

昔から方除けの神さまとして有名です

名神高速道路、南インター出口のすぐそばです

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平安京遷都、延暦13年(794)に際し

都の安泰と国の守護を願い創建されました

神功皇后、大国主神、国常立尊を主祭神としています

都の南にあることから城南神と呼ばれ

白河天皇(1073~1087)が、鳥羽離宮(城南離宮)を造営してから

その一部となり、代々の天皇や上皇の行幸がしばしばありました

朝8:00に家を出、10:00着 

 130kmです 伊勢道、新名神、東名高速利用です ¥3190

無料 駐車場 完備   200台

城南宮鳥居をくぐります、柱下に饅頭があり

棟の部分に島木、笠木を重ね屋根を萱いて、島木の中央に神紋の金具が打たれています

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拝殿の奥に本殿、右は神輿舎と奥が神楽殿です

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左がむすび殿でお札等の授与所です

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後代に入り、京都御所の裏鬼門となったことから
                          
貴族の方々の方偉宿所になり、方除け厄除けの神として信仰されます

方偉え(かたたがえ)=陰陽道により平安時代以降、行われていた風習で

政治や戦、建築、旅の方角を占い、凶が出ると出ると

一旦、別の所に出かけ、目的地の方角が悪くならないようにした風習で

方忌み(かたいたみ)とも言われました

前殿です  この奥が本殿です

30年程まえ、私も鬼門の御祈祷をしていただいています

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承久3年(1221)後鳥羽上皇が城南流鏑馬の武者揃えと称して

兵を集め、鎌倉幕府との間に承久の乱が起きたことでも有名です

当時は、鎌倉幕府が東国を朝廷が西国をという二頭政治であり

荘園を巡りギクシャクした紛争も抱えていました

幕府も3代将軍実朝が甥の僧、公暁(2代頼家の次男)に暗殺され

政子が代行し、政子の弟、執権北条義時が補佐する幕府体制でした

この機に後鳥羽上皇が討幕の命を出します

当初は楽観的だった上皇側も

政子の必死の説得、懇願により東国武士に意気が上がり混とんとしてきました

結果として東国、幕府軍の勝利に帰した承久の乱でしたが

これにより西国有力者の武士を一掃、追放し

後鳥羽上皇を隠岐に流し、広大な荘園も没収、公卿の力も削ぎました

この乱により鎌倉武家政治が確立しました

本殿です  撮影不可でネットより拝借です

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応仁の乱では京都中が荒廃江戸期に入り復興

幕末の慶応4年(1868)正月

城南宮に陣を構えた薩摩藩の大砲が轟き鳥羽伏見の戦いが始まり

明治維新を迎えます

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案内図です

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入園料は600円  

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春の山から入っていきます   10:15分

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これはいいですね

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枝垂桜の頃がよさそうです

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夏草の小径です

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京都、嵯峨野の風情です

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秋明菊です

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三子の松…針葉が三本づつという、さんこの松

中国原産で白川松とも云い、高さ25mにもなります

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秋の七草のひとつフジバカマ

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吾木香(われもこう)

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ここら辺りは既に平安の庭ですね

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秋の七草のひとつ、女郎花(おみなえし)

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これも秋の七草のひとつ萩です

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秋海棠(しゅうかいどう)

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与謝野晶子の歌碑

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春(4/29)と秋(11/3)

曲水の宴の催される川辺です

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道路を挟んで室町から桃山の庭に入ります

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室町時代

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桃山時代

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見事な赤松です

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立派なものです

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五葉松

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振り返ります

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枯れ滝

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城南離宮時、1070年頃の庭です

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950年ほど前ですね

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帰り際、斎館にて企画展があり寄ってみました  10:50分

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入館無料  写真撮影も可です

威儀者装束、威儀者とは正殿の両側で近衛兵の次将級が左右10名づつ

警備の任に当たり前列5名は四位相当の黒袍を

後列は五位相当の緋袍を着用しました

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女官袿袴(けいこ)

明治期より、従来の長袴から勅任官夫人は切袴

高等女官や高等官夫人は礼服、通常礼服、通常服の三種に定められ

即位式、大嘗祭に参列する女性は礼服を着用しました

また袴と共裂の洋式の靴を履きます

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即位式に参列する勅任官の装束

久世子爵が用いられたものです

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退館しようとしていましたら

係りの方が京セラ本社ビルでも同じ企画展があり

ぜひ行かれたらと御声がかかりました

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歩いても10分そこそことのことで向かいます  10:55分

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ところが悲しいかな隣のパルスプラザと間違えてしまいます

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京セラ本社ビルです  11:15分

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立派なピッカピカの床です

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扇面御即位図

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東福門院像

東福門院(1607~1678)は2代将軍秀忠の娘で

後水尾天皇の中宮として1620年入内、明正天皇の生母

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播…即位式の際、紫宸殿南庭に並べて置かれ

本来の半分の大きさの複製です

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折角です、二階の見学施設も見ていきましょう

ショールーム

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創業者の稲森和夫名誉会長、昭和7年1月、鹿児島市出身

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そいえば私の南九州の宿泊はホテル京セラでした

車窓からでしたが広大な京セラの太陽光パネルも見れました

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京都を代表する企業

京都セラミックの京セラ   御室桜のオムロン(旧立石電機)

ノーベル賞受賞、田中教授の島津製作所

日本電産、村田製作所、ローム、任天堂、ワコール…


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セラミック、太陽光発電システムくらいしか分かりません

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後はスマートフォン

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いまや我が国を代表する企業ですね  11:40分

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ありがとうございました