2016(平成28)年7月11日(月) 晴れ

八幡山から降り日牟禮八幡宮に向かいます   13:55分

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近江商人の守護神として千有余年の歴史を誇ります

3月の左義長まつり、4月の八幡まつりは有名です

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明治33年(1899)の能舞台

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左義長まつりのダシで

織田信長が行った京都御馬揃えにならい

近江八幡の街を馬が闊歩する様を現しています

後方の陣羽織は秀吉が信長より拝領したものを再現しています

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この馬の銅像は明治40年、奉納されたものです

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日牟禮八幡宮前の道路

片側がマイカー用の駐車場となっています

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街並み散策と、八幡堀舟下りで訪問しています


一休み、前回はクラブ、ハリエさんでしたが

今回は和菓子のたねやさんにしましょう   14:00

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創業は江戸時代、近江国蒲生郡八幡池田町で穀物、野菜等の種子を商う

種屋として創業

明治5年(1872)7代目山本久吉が京都和菓子の亀末で修業を積み

栗饅頭と最中の和菓子店に商売替え

大正10年(1921)8代目山脩次が東京塩瀬総本家で修行後

二代目種屋を継承

第二次大戦後の物資不足の時代を乗り越え、たねやの基礎を固めました

折しも、この時期米国事業家、ヴォーリズが八幡町に在住し

彼の勧めで脩次は昭和26年(1951)10月

洋菓子の製造を開始します

現在のクラブ、ハリエの起源です

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店に入りましょう

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伊勢の名物、赤福本店にも大きな窯がありましたね

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何よりも冷たいものが一番です

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昭和41年(1966)脩次が死去

三代目を長男の博一が継ぎ(有)たねや菓舗社長に就任

その翌、昭和42年から近江八幡駅前に支店の出店を皮切りに

昭和51年、大津市の西武百貨店進出

昭和47年(1972)株式会社たねやに、次男の徳次が社長就任

以降、昭和59年には東京日本橋三越本店、銀座三越に出店し

全国的に展開し現在はグループ会社を含め38店

滋賀を代表する菓子メーカーに成長しています

(クラブハリエもグループ会社の一員です)

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少しお土産を調達し店を出ます

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街の散策に出かけましょう   14:25分

前回、見損なったヴォーリズ建築の旧八幡郵便局を目指しましょう

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教会でしょうか

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アンドリュース記念館と記されていました

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ヴォーリズ建築第1号の建物です

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少し離れたところに旧八幡郵便局

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大正10年(1921)米人、ヴォーリズの設計により竣工

昭和35年(1960)まで郵便局局舎として使用されていました

その後、玄関先部分が取り壊されましたが

平成16年(2004)2月に復元されました

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木造地上2階建てです

1階、執務業務室です

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2階、現在はギャラリーやイベント会場として利用されています

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当時の郵便局は

郵便、貯金以外に電報、電話業務も扱っていました

この2階は電話交換手の仕事場でした

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ヴォーリーズとその妻満喜子です

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八幡特定郵便局の成り立ちが記されています

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この旧八幡郵便局は

NPO法人ヴォーリズ建築保存再生運動一粒の会の事務所となり

旧市街中心部のランドマーク的役割を果たしています

旧八幡郵便局を出ます   14:45分

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近江八幡市市街地図です

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前回、休館日で閉まっていた近江兄弟社資料館

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奥が工場です

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入ってみましょう

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懐かしい品々です

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ご丁寧に当時の類似品、模造品も展示されていました

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最後に八幡堀を覗きがてら車に引き返します

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時刻も15:00です

続きます