琵琶湖周航の歌
日本学生歌の一つで大正6年(1917)6月28日に成立
作詞、小口太郎 作曲、吉田千秋氏の曲です
2016(平成28)年7月11日(月)
滋賀大津市で建部大社と瀬田の唐橋の見学を終へ
琵琶湖東岸を北上します
今回はなるべく琵琶湖畔に沿って湖岸道路(さざなみ街道=県道559)を走ります
建部大社発 11:45分
瀬田の唐橋から瀬田川沿いを北上します
左前方は近江大橋です
ここら辺りから琵琶湖湖畔です
一風変わったドームが見えてきました 11:55分
後で調べたところ天聖真美会という宗教団体の建物でした
新興宗教のようですね
この辺りは琵琶湖博物館見学の時にも走っています
前方は琵琶湖大橋です 12:10分
昭和39年(1964)9月開通、守山市今浜から大津市堅田を結ぶ
上下2車線ずつの4車線で
橋の長さは、上り(守山から大津間)1400m、下り車線は1350mです
瀬田の唐橋から近江八幡の日牟禮八幡宮まで
約35km50分の道程です
琵琶湖畔を走るこの湖岸道路(県道599)はお勧めです
お天気にも恵まれました
近江八幡市街地の標識が見えました
今回の近江八幡の目的はロープウェーでした 12:35分
八幡山ロープウェー (15分間隔で運行) 4分間の空中散歩です
無休 9:00~17:00 往復880円 無料ⓟ20台
今年のNHK大河ドラマは真田丸です
主役は真田一族ですが、時代的に豊臣~徳川に移行する世で
必然的に、近江八幡所縁の武将
豊臣秀次もドラマに現れます
豊臣秀次役=新納慎也
ロープウェーが動き出すと琵琶湖周航のメロディーが流れだしました
1番
われは湖(うみ)の子 さすらいの
旅にしあれば しみじみと
昇る狭霧(さぎり)や さざなみの
志賀の都よ いざさらば
12:45分発 中央に見える山門は日牟禮八幡宮です
近江八幡の街並みです
境内図です
天正13年(1585)豊臣秀次(秀吉の甥)によって築城された八幡山城
随所に名残の石垣が見られます
標高271,9mで幾分、涼しいです
おねがい地蔵堂です
西の丸址から望む琵琶湖と比良山系
この西の丸址と北の丸址の地は見晴らしもよく
恋人の聖地となっています
北の丸址です
村雲御所瑞龍寺門跡の山門です
村雲(むらくも)御所、瑞龍(ずいりゅう)寺は秀吉の姉=智(とも)の建立です
瑞龍寺本堂です
毎年7月15日は秀次の命日で供養が行われます
本堂拝観は300円です
秀吉と寧々の間に子のないことから
秀吉の姉、智(とも)は我が子秀次を秀吉の養子として出していました
一時は秀吉の後継者として関白にまで上り詰めた秀次ですが
淀殿が懐妊し、後の秀頼が生まれると
秀吉に疎まれ文禄4年(1595)高野山に送られ切腹、享年27歳でした
秀次の妻子39名も京の三条河原で処刑、
智の夫、三好吉房も連座で讃岐に流されました
唯一、取り残された智は子や孫の菩提を弔うため出家
以前から帰依していた日蓮宗の寺院を京都嵯峨の村雲(むらくも)の地に開きました
この時、寺地と瑞龍寺の寺号
さらに寺領1000石を与えたのが後陽成天皇でした
このため瑞龍寺は日蓮宗寺院では唯一の門跡寺院となり
別名、村雲御所と称するようになりました
以降、瑞龍寺は代々、皇女や公家の娘を貫首として迎え
江戸時代に嵯峨から西陣(現在の堀川今出川付近)に移転
天明8年(1788)の大火、再建を乗り越え
昭和36年(1961)京都西陣の地から秀次公所縁の幡山城址に移されました
代々、瑞龍寺は尼僧でしたが
現住の第15世、鷲津日英貫主(枚方市最妙寺より普山)は初の男僧です
天明の大火から28年の歳月をかけ再建された9世日尊尼
京から八幡山に移転を決断された11世日浄尼
小笠原氏出自の12世日英尼、宝塚歌劇団出身(桜緋紗子)の13世日凰尼
14世日澄尼と名僧を輩出しています
本堂から廊下を渡ります
渡り廊下の左右に日蓮宗の教えが掲示されています
瑞龍寺の鬼瓦です
門跡寺院であるため皇族方の御座所もあります
金箔を施した襖絵は狩野派の作です
歴代天皇の額
待合所でしょうか
皇太子と雅子妃雛です
豊臣秀次公
銅像は山麓の八幡公園に立てられています
天皇、皇后の暦もありました
頂いたパンフレットです
大変、由緒のある寺院でした
ロープウェー山頂駅 ここも恋人の聖地になっていました
展示室には近江八幡所縁の武将
浅井長政、六角承禎、京極高次、豊臣秀次、織田信長の略歴、系譜が
また八幡瓦の由来が展示されています
さぁ下山いたしましょう
琵琶湖周航のメロディーが流れています
3番
波のまにまに 漂えば
赤い泊火(とまりび) 懐かしみ
行方定めぬ 波枕
今日は今津か 長浜か
13:50分下山です
1時間の滞在でした
続きます