2014(平成26)年 4月24日(木)  晴れ
 
今日はお天気も良く
 
森林浴のつもりで松阪森林公園に出かけましょう
 
途中、伊勢寺神社の周りに芝桜を見つけ
 
寄ってみましょう
 
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伊勢寺神社は歴史も古く
 
この辺りに住まいしていた
 
物部氏の一族の始祖を祀ったものだと言われています
 
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周りを一巡りしてみましょう
 
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菜の花も残っていました
 
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つい寄り道をしてしまいましたが
 
森林公園はこの奥、ここらでは桜の名所の一つです
 
駐車場、山登りの方の車が数台止まっています
 
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芝生も広がり、桜の木々も新芽を吹いています
 
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小鳥も多いのか巣箱が多々見られます
 
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この季節もいいですねー
 
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この階段300段登れば展望台です
 
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弱くなりました、やっとの思いで到着です
 
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えらい思いをしただけにこの光景は格別です
 
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ズームで海もくっきり見えます
 
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展望台から降り、堀坂山系の山々も綺麗です
 
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森林公園内図です
 
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堀坂川に架かった鯉のぼりです
 
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駐車場に戻り
 
横瀧観音~岩内瑞巌寺を経てと思っていたのですが
 
ある登山者の方が
 
白米城の方へ行かれるのですかと声がかかりました
 
出来ればご一緒させていただきたいとのこと
 
堀坂山から白米城の登山ルートで
 
4時間かけて登るつもりでいたのが
 
友達が今日は都合がつかず一人で来たため
 
下山後、白米城から、ここまで歩かねばならず
 
白米城から登ればここの駐車場が下山となり助かるとのことでした
 
さしたる用もないので急きょ、その方を白米城登山口まで送ります
 
位置図です
 
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この坂道が白米城登山口です
 
白米城のいわれは籠城戦で水を断たれた城が
 
相手方に見透かされぬため白米を水に見立て
 
馬の背に白米を流し馬の背中を
 
さも水で洗うかの仕草で敵の目を欺いたという
 
伝説でここ阿坂城だけのものでなく各地にも残っています
 
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(南北朝時代、幕府軍に対してとった北畠満雅軍の行動で桜雲記に残っています)
 
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私が驚いたのはその登山、山歩きをされる方の多さです
 
白米城コースは片道2km40分ですが(標高312m)
 
結構、中高年の方が殆どで、感心させられました
 
  
白米城=阿坂城は伊勢国司から戦国大名となった
 
北畠家の重要な城でしたが
 
幾多の戦果をまみえ
 
織田信長軍、木下藤吉郎の策にて開城しそのまま廃城となりました
 
藤吉郎(後の秀吉)初の武功で
 
彼にとって生涯唯一の戦傷を左脇に受けています
 
その白米城登山口に大きなお寺があります
 
文明10(1478)年、北畠材親によって建立された
 
北畠家の菩提樹、浄眼寺(じょうげんじ)があります
 
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曹洞宗
 
一志郡観世音33か所ご詠歌
 
   いづるいは観音堂に耀きて  庭のいさごも黄金をぞしく
 
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この浄眼寺は私の母の実家の菩提寺です
 
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永禄12年(1569)織田信長の阿坂城攻めにて
 
全てが廃墟となり北畠家滅亡により廃寺同然となっていました
 
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文禄3年(1594)太閤検地の際
 
由緒ある寺院の荒廃を憂いた奉行の服部采女正寿安が
 
寺の山林、屋敷、寺領を安堵し
 
江戸時代に入り、慶安4(1651)年、堂字の再建
 
宝暦12(1762)年本堂の修復も成されました
 
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本尊は足利末期の作
 
不動明王座像(座高51.5cm)です
 
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