2014(平成26)年 4月20日(日)
今日は今にも雨が降り出しそうな空模様です
近くの宝塚古墳公園一回りで良しとしましょう
1号墳です
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190704/14/mmmt345/60/1b/j/o0500037514491371862.jpg?caw=800)
こちらが2号墳
若葉の緑が新鮮ですが曇っているためもう一つですね
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190704/14/mmmt345/ae/2c/j/o0500037514491371867.jpg?caw=800)
宝塚古墳公園です
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20190704/14/mmmt345/20/b2/j/o0500037514491371873.jpg?caw=800)
全体図です
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20190704/14/mmmt345/6f/98/j/o0453053014491371880.jpg?caw=800)
この公園内に設置されている
円筒埴輪のレプリカ(壺様のもの6個)に
古代からのこの地の成り立ちが記されていました
![イメージ 5](https://stat.ameba.jp/user_images/20190704/14/mmmt345/5f/d8/j/o0500037514491371885.jpg?caw=800)
まずは古墳時代です
この地方には4世紀後半頃の前方後円墳がいくつか見られます
5世紀初頭大和政権下に組み入れられますが
この宝塚古墳1,2号墳はそのころのものだと思われます
![イメージ 6](https://stat.ameba.jp/user_images/20190704/14/mmmt345/ab/79/j/o0500075014491371893.jpg?caw=800)
古代、中世 (飛鳥、奈良、平安)の時代です
伊勢神宮の影響で参宮古道や斎王群行にまつわる
伝承が残り
大豪族として北畠家の勢力圏にあったと思われます
![イメージ 7](https://stat.ameba.jp/user_images/20190704/14/mmmt345/6f/dd/j/o0500070314491371896.jpg?caw=800)
近世(室町後期~江戸時代)
小牧、長久手の功により、近江日野城主の蒲生氏郷公が
伊勢松ヶ島城12万石の領主となります
氏郷は海に近い松ヶ島から四五百森(よい帆の森)と呼ばれた地に
城を築き、街道を引き込み新たな街づくりをしました
それが今日まで続く松阪市の起源、礎です
![イメージ 8](https://stat.ameba.jp/user_images/20190704/14/mmmt345/dc/7a/j/o0500070814491371904.jpg?caw=800)
近世、江戸時代の松阪は宿場町、商人の町として栄えました
江戸店もちの三井、富山、家城家等の呉服商
三井、竹川、中川家のような両替商
人物としては本居宣長、三井高利、松浦武四郎、竹川竹斎等が出ています
![イメージ 9](https://stat.ameba.jp/user_images/20190704/14/mmmt345/ac/ac/j/o0500070614491371909.jpg?caw=800)
近世(明治から昭和初期)
行政面では、市町村が施行され近代化に向けての時代です
文化勲章受章の電気工学者、丹羽保治郎氏
日本画家、宇田荻邨(てきそん)氏
日本茶の輸出に貢献した大谷嘉平衛氏
松阪木綿復興に尽力された白塚大三郎氏
ポーツマス条約で小村寿太郎の側近として活躍した小西孝太郎氏
農政学者の東畑精一氏…等々もこの時代の方々です
![イメージ 10](https://stat.ameba.jp/user_images/20190704/14/mmmt345/0c/7b/j/o0500070314491371912.jpg?caw=800)
現在の松阪市は、平成の大合併で
平成17年1月1日
松阪市と一志郡の一部、嬉野町と三雲町が
また飯南郡の飯南町、飯高町が合併し新しい松阪市が誕生しました
人口17万人(平成22年4月)の市です
![イメージ 11](https://stat.ameba.jp/user_images/20190704/14/mmmt345/e9/d3/j/o0500076714491371917.jpg?caw=800)
外は雨模様です
有難うございました