2014(平成26)年 2月23日(日)
武四郎記念館の裏手、北側に小野江小学校があり
そのプールの壁面に児童の描いた武四郎の壁画が並んでいます
11:45分
小野江小学校、横の道が旧伊勢街道です
古くから多くのお蔭参りの旅人が行き交った道です
少し歩くと無料の休憩所があり、お茶等が振舞われていました
私たちはお茶漬けあられをいただきました
休憩所のすぐ前、道の反対側に
松浦武四郎の生家があります
生家は武四郎の兄、佐七が継いでいましたが
1962(昭和37)年、当時の三雲町が史跡に指定
現在は松阪市の所有となっています
玄関口のところに新宅という屋号札がかかっています
この道路界隈の殆どの家が屋号を持ち
苗字ではなく屋号がその家の呼び名となって使われていました
松浦家も新宅(しんたく)という屋号で呼ばれていました
主屋
離れ
主に客間として用いられ、武四郎を訪ねてきた人に用いられました
松浦武四郎の旅の原点は、この生家かも知れません
武四郎13歳のころに起こった文政のお蔭参りで
参った人は1年で400~500万人に上ったとされています
(この時代の人口、交通手段からしても異常事態で、今の世でも1000万人ですよ)
13歳の少年にとって
街道を行き交う多くの旅人を目の当たりに見て
多くの刺激を受け、旅を志すきっかけになったと思われます
武四郎が幼いころ学問を学んだ真覚寺です
寺から旧伊勢街道を少し北へ向かうと雲出川の堤防に突き当たります
堤防から旧伊勢街道を振り返ってみましょう
雲出川の堤防、上流方向に歩くと
新しい大きな道路も出き、渡し跡の墓碑と常夜灯がありました
新しい道路でおまつり会場に戻ります
小野江小学校の校舎横のネットにも
児童の描いた武四郎の画が取り付けてありました
旧道に較べこちらは二車線道路です
いい時間に戻ってきました 12:45分
13:00から限定200食の武四郎鍋の振舞いに並びます
舞台では地元の方の演目が続いています
武四郎鍋の予約券で13:00から配布
振舞いは13;30分だそうです
並んでいるうちに獅子舞が始まりました。 13:05分
旧三雲町でも三渡川下流の伊勢湾に面した漁師町の方々です
天狗さんもお出ましです
この地に伝わる伊勢太神楽の一つでしょう
ピーヒャララーラ、ピーヒャララの笛の音色は今も記憶に残っています
武四郎鍋の振舞いが始まりました
食材です
実物です、味は薄かったです
獅子舞は続いています
この曽原地区の特産は青さのりです
いつの間にか午後のメイン
アイヌ古式舞踊が始まっていました 13:45分
様似(さまに)からのお越し有難うございました
松浦武四郎一代記なるしょんがい音頭があります
作は矢津太郎氏で
手っ取り早く武四郎さんを知るにはこれが一番かも ?
現在北海道にある武四郎記念碑は54ケ所です
おまつり会場を14:00に発ちました
帰路、あの獅子舞の地、曽原海岸に寄ってみました
残念ながら潮が干潮でなく、青さのりの取入れは見られません
(今日はお祭りで作業はお休みかも)
対岸は松阪港です
青い海と空、磯の香りがたまりません
私が小さいころ、自転車で
竹竿を担いでこの岩場でハゼ釣りを楽しんだところです
後日の郷土新聞の記事には
5000人の来場者があったとのことです
有難うございました