南木曽温泉、木曽路館での箸作りを終え
心待ちにしていた馬篭に向かいます 15:10分
さすがに木曽雨上がりで一帯は白いもやで
覆われ幻想的です
ここ木曽路館をそのまま進むとゴールデンウィークの前頃の時期には
このあたり一帯は桃源郷の世界 なるとのことです。
この旅行の企画、ホリデーの sakabeさん、朝早くからのお出迎え
集金から、乗客確認、各種注文の取り集め等々 添乗員とガイドを
一手に背負った大変なお仕事だったと思います
私達をのせたバスは妻籠宿をスルーして
馬篭宿に向かっています 30分ほどで到着
ここから坂道を下りながらの散策ですが逆だと大変ですね
道の両側に昔ながらの民芸店や土産物店が軒を連ねています
たいした雨ではないですが少し衣服が濡れる程度です この時期、最高の気候です
食べ物店
凝った自販機
古びた臼 ?
坂道、結構 急勾配です
木曽といえば藤村です 記念館に入ります 500円
明治学院時代(16歳)左端
藤村は、本名、島崎春樹、1872(明治5)年~1943(昭和18)年
筑摩県馬篭にて父、正樹 母、縫の四男として生まれます
正家は、代々本陣、庄屋をつとめる地方の名家で
父、正樹は17代当主で国学者でした
木曽路はすべて山の中である の 書き出しで有名な夜明け前の主人公
青山半蔵は父がモデルです
藤村の詩集としては愛知県伊良子岬に流れ着いた椰子の実
小諸なる古城のほとりの千曲川旅情詩が有名です
1899(明治32)年、郷里に戻り小諸にて教職につきます (6年間)
この当時、函館出身の秦冬子と結婚します
明治38(1905)年、上京 翌年、小説 破戒 を自費出版
絶賛されますが、娘3人を相次いで栄養失調のため失います
(後に小説、家で描かれています)
1910(明治43)年、妻冬子、四女出産後、幼子4人残し亡くなります
その後、次兄、広助の次女こま子(姪)が家事手伝いに来ていましたが
1912年頃から愛人関係に陥りこま子が妊娠します
翌年から関係を清算するため反省もこめパリに留学します
帰国すると、こま子との関係が再熱1917(大正6)年、慶応大講師となり、翌年
こま子との決別を決意し、小説新生を発表し関係を暴露します
いたたまれなくなった、こま子は台湾へ渡ります
(後に日本に戻り、1978年85歳で東京の病院で亡くなります)
昭和3年、川越出身の加藤静子と再婚
代表作、夜明け前は 1929(昭和4)年4月から
1935(昭和10)年10月まで中央公論に 連載されました
1943(昭和18)年、8月22日 没 満71歳
自己の人生を綴った大自然作家です
入館してすぐ目の前に庭園が広がっています
ビデオで藤村の詳細が映し出されています
時間がありません
じっくり周りたかったですね
街道の風景です
下りきったところのが集合場所です
車で来るならここで バスで妻籠迄行きウオーキングで下ってくるのが一番でしょう
いただいたおやつ 木曽路館ではソフトクリームもありました
16:25分 馬篭宿を出ます 1時間余りの散策でした
最後の見学はろくろ彫りの木工所です 16:55分着
皆さん熱心に見入っています
即販コーナーです
いろんな、いい品もありましたが、見るだけです
このツアーは 見るだけです
17:20分 大蔵木工所を後に 一路、帰路に向かいます
いただいた、 お土産の品々です
私にとって、日帰りのバスツアーの企画は初めての参加でしたが、当初懸念された
物売り押し売りツアーでもなく、かえって普段立ち寄ることのない会社見学もでき
充実した小旅行でした
要らぬものは買わない、高価なものも買わないの心構えで臨めば
こんなお安い旅行はないと思います
帰路、大山田SAが19:00 到着は20:10分でした
有難うございました