2013年(平成25) 3月5日(火)
昨日の宵宮に続き初午さん本番日です
私は仕事で行かれなかったのですが家内が母と連れ立って行ったときのをアップします
厄年とは人生の節目の年にあたり、男性は25歳、42歳、60歳
女性では19歳、33歳、60歳が
厄年にあたり、いずれも数え歳としたものだそうです
私の所感では男の25歳と女性の19歳は、
人生の転機、婚姻を意味したものではないかと思われます
(昔は女性の結婚は早く、15歳頃から適齢期とみられていました)
初の厄年は親の甲斐性ともいわれその家々の格によって執り行われたそうです
二番目の厄年は男で42歳、女では33歳
厄年の本番に当り、男女とも人生の絶頂期にあたり
災難から逃れるための戒めでもあり訓戒でもあったかと思われます
このときの厄年は自分の甲斐性、連れ合いの甲斐性ともいわれ
一家の大事で、親戚じゅうに配り物をしたり、家に招いて食事をもてなしたりと
そのときの財政状況に左右されるのかなぁーと思うほどの厄年です
この歳の前後を含み新築等をすると厄祟りといって
避ける人もいるくらいの本番の厄歳です
最後の厄年は男女とも60歳で、人生の大半を過ごし
家は子どもに任せご隠居生活に入る歳となり
(これは昔のことであり今では通用しません、今では親の介護かな ? )
この時の厄年は子供の甲斐性だといわれていました
最近では還暦コンペと称しゴルフコンペで思いっきり
球をたたいて厄を打ち払ってしまおうという猛者連中もいましたが
ここ最近景気が悪く縮小気味です
前置きが長くなってしまいました 本番です
最近の目抜通り駅前通りで、正面が松阪駅です
昨夜、最初に通った日野町通りです
中華そばの不二屋さんです
若いときは中華と焼きそばを一緒に注文したものでした
この界隈は、昔はガマの脂売りとか
輪投げ、スマートボールとかで大いに賑わったところです
私が、夢中になって嵌っていたのは
薄いお菓子の板の型抜きで、針を片手に懸命に絵柄の型抜きに
挑戦していました 無残にも板は割れてばかりで
小遣いの大半をそれに注ぎ込んだのを思い出します
又、今のようにコピー機のない時代、写真なりを模写するのに
木と木を繋ぎ合わせた木工具の左側でブロマイド等を
なぞっていくと反対側の用紙に本物模様の人物等が描けているという
模写器等も思いに残る一物だったと思います
不二屋さんの通りすぐ近くに、今は和田金さんの駐車場になっていますが
昔は松阪郵便局のあったところです
岡寺山継松寺です 私も三度の厄参りに参内しました
厄を拾ってもらえるようにハンカチを境内に落とし
後を振りかえずに出たことを覚えています
25の時は祖母が氏神さんに清酒をお供えしたことくらいでよく覚えていません
42の時は、職場の皆さんに鯛姿の砂糖を配り
親戚には配り物をしたことくらいかなァー
又、60のときは娘が19の厄で勝ち負けがあってはいけないと
自粛したことくらいでよく記憶にありません
昔のようにハンカチを 落として厄を拾ってもらうという
風習はなくなり、このような籠が 用意されていました
綺麗過ぎるくらいの境内の 様子です
当時は見世物小屋があり、 独特のしぐさ声音で
客を誘導したものでしたが寂しい限りです
そういえば、一杯のみの縁台も出ていません。寂しーねー
大きな猿はじきです 今年も厄をはじいてもらいましょう。。。
午後2時から道中行列があり 出発地点は八雲さんです
昔、明治時代から戦前にかけて行われていた宝恵駕篭(ほえかご)道中行列が
2009(平成21)年に60年ぶりに復活し
今年で5年目となり、八雲神社から岡寺さんまでの2.5kmを
厄年用の女性と子供駕篭が計6台用意され
乗り手を交代しながら厄年の女性など300名ほどの人々が
駕篭行列に続いて練り歩きます
出発地点の八雲さん PM2:00
行列は 『 ほい ! ほい ! ほえかご ほい ! 』 の掛け声を
挙げて市街地を歩きます
今年の初午大祭は三日間とも穏やかな天候に恵まれた日々でした
寒い年は、雪混ざりのミゾレのある日もあるというのに
今年はよき日、あったかい日で何よりでした
(人の心も、懐も)