

子供の言いなりになるのは
やっぱりちょっとおかしいし、
でも子供の気持ちに寄り添いたい
自己主張は妨げたくない
そのバランスが難しいと
感じていたのですが、
それを伊藤伸二さんに
質問したのですが、
それは子供とは対等である考えると
そんなに悩む問題ではない、
と言われました。
上から下の支配する関係ではなく、
子供とは対等の存在である。
親として叱る必要がある時に
叱らないのは子供にとって
失礼である。
でも、叱る必要はなく、
ちゃんと説明すればいい、
対等の存在として
説明してお願いすればいい
と言われました。
今、アドラー心理学の本も
読んでいるのですが、
子どもとの関係は、
上から下に支配するのではなく
やはり対等なんですね。
自分が言われて嫌なことは
子どもも嫌なんです。
褒めるのでもなく叱るのでもなく
勇気づけ、というみたいですが、
ありがとう、助かった、というように
他の人の役に立っている、と
感じられるような声かけが良いようです。
アドラー心理学については
なかなか面白いのでまた別記事で。
あと、同じ保護者からの質問で、
子どもが吃音でなかなか言葉が出ず
諦めてしまったりする時、
途中でこれかな?という言葉を言って
助けた方がいいのか、
そのまま様子を見ていた方がいいのか
という質問がありました。
これ、一度は悩む人は
多いのではないでしょうか?
それについては、
お母さんの対応は良かったのか、
どうしてほしいかを
子どもに聞けばいい
と言っていました。
なるほど!と思いました。
この子どもに聞く、
という視点が抜けている人は
私も含め案外多いのでは、
と思います。
人生の主役も、
人生の責任を負うのも子どもなのに
ついつい親が決めて
やっていくことって多いように思います。
大事なことは子どもに聞く、
子どもと相談して決めていく、
というのは大事だと思います。
幼児はまだ色んな決断は
難しいかもですが
話を聞いていると、小学生になれば
吃音をみんなにどう紹介するか
困った時どうするか、などは
一緒に考えてくれる人がいれば
自分で判断して決められます。
幼児でも意思があります。
私も抜けていた視点でした。
そして、これは私は
前から思っていましたが、
対等の存在なので、
親も失敗してもいい、
間違ったら子どもに謝ればいい
とも言っていました。
以前、友達に子どもに謝るよ、
という話をしたら
へえ~子どもに謝るんだ、
とびっくりされた事がありました。
意外に、親も完璧じゃないし
悪いと思ったら子どもにも謝る
というのは当たり前ではないのかな?
私自身、親からの押し付けが
強いと感じていて
だから今の私がいるし
感謝している部分も多いのですが、
親も完璧じゃないんだ、
と気付くまでに時間がかかりました。
そう気づいてから色んな事を
許せるようになりました。
もし親が絶対ではない、という事が
もっと早くわかっていてら、
謝ってくれていたら
色んな話を出来る関係であれば
もっと早く理解出来たかもしれません。
だから、間違ったら謝る
親も完璧でも絶対でもない
同じように悩みながら生きている
存在なんだと子どもにも
思ってもらいたいと思っています。
その他、子どもが吃音に気付いた時、
親は動揺しますよね。
気づかないふりがいい
と言われてきた人など
どうしよう?と思いますよね。
でも、そういう時がチャンスだ!
と言っていました。
大丈夫、
あなたはあなたのままでいいと
徹底的に教え込む、
と言っていました。
対等を考えるとちゃんと伝えるべき
納得するかどうかは相手の問題なので
納得は求めず、
親は誠実に答えようとしてくれている
その姿勢が大事と言っていました。
どもりながらでも
楽しいコミュニケーションができるんだ
という自信をもたせてあげるといい
どもるという事は
絶対悪いという事ではないよ、
と教えられたらいいなあと思います。
また、友達が吃音について
なんでこんな話し方なの?とか
聞いてきた時。
そんな時もドキっとしますよね。
動揺しますよね。
これもチャンスだそうです。
興味を持って聞いてきてくれた子は
味方になるチャンスだそうです!
なので、事前にどう答えるか、
いつ聞かれるかと準備が必要で
自分なりにこう説明しよう、と
覚悟をしておいて、
聞いてくれたら待ってました!
というくらいがいいようです。
この考えた方もしていませんでした。
ただ、態度や説明を相手によって
変えるのは問題で、
友達にも、ママ友にも、
子ども自身にも、子どもがえ?と
思わないように、説明はつねに
一定の方が良いようです。

