危険を回避しようということ。
最終的には誰を責めても仕方が
ないから自分で決めて責任を
持とう、というような話を
今日は子どもたちにした。
すると、いつも見させていただく
ブロガーさんのブログ。
同じ!なんて図々しいし、ちょっと
違うけれど、ああ、そうそうと
大きくうなづける内容のブログを
読ませていただいた。
感性を磨きたい。
危険を回避しようということ。
最終的には誰を責めても仕方が
ないから自分で決めて責任を
持とう、というような話を
今日は子どもたちにした。
すると、いつも見させていただく
ブロガーさんのブログ。
同じ!なんて図々しいし、ちょっと
違うけれど、ああ、そうそうと
大きくうなづける内容のブログを
読ませていただいた。
感性を磨きたい。
今日からミニバス練習が
始まる。始める、ではなく
始まる、だ。
自分がもしいなくなっても
ミニバス練習は始まるのだ。
俺様が、ではなく、あくまでも
子どもたちが主体。とはいえ
主体性をまだまだ持でない
小学生のこと、どうシステム
作りをして行けば良いものか。
今年はそれを考えながらやりたい。
母の見舞いに行った。
おそらくもう病院からは出られない
だろう。
あんな風に終わって行くのか結局は。
誰かのせいにして、誰かを責めて
誰かを許さず、誰かをあてにして。
幸せになれないとしたら。
その許されずあてにされた人たちも
また幸せではない。
人は1人で生まれて1人で死んで行く。
その間に出会う人たちは一期一会。
許すとか許さないではなく
全て自分が決めて行っていることだ。
親子でも夫婦でも誰でも。
たまたま出会って別れてまた出会う。
一緒にいられる時間を大事にする。
それだけだ。
うまが合わなければそっと去れば良い。
好きだと思うなら表現を惜しまず
かと言って押し付けたり期待もせず。
他人と今を生きるってそういう
ことだろ。
それにしても辛いよな。
終わり方を選べないのは。