035 宮原家の系図さがし

 18.橘島田麿                  2017.9.29 宮原秀範

【橘島田麻呂】

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橘 島田麻呂(たちばな の しまだまろ、生没年不詳)は、平安時代初期の貴族。参議・橘奈良麻呂の子。

官位は正五位下・兵部大輔。橘氏長者。

延暦十六年(797年)春宮亮に任ぜられ、皇太子・安殿親王(のち平城天皇)に仕える(この時の位階は従五位下)。

娘で桓武天皇の女御となった常子の薨伝によると、正五位下・兵部大輔に至ったとされる。詳細な経歴は伝わらないが、子女に恵まれ子孫から多数の公卿を輩出した。

(系譜 )                      

  • 父:橘奈良麻呂                    
  • 母:大伴古慈悲の娘
  • 妻:淡海三船の娘                
    • 六男:橘常主(787-826)           
  • 生母不詳の子女                                    
    • 男子:橘真材
    • 次男:橘長谷麻呂(779-824
    • 男子:橘有主
    • 男子:橘千株
    • 女子:橘常子?-817 - 桓武天皇女御
    • 女子:春澄善縄室
(脚注) 『日本後紀』弘仁八年八月一日条
(参考文献)
         森田悌『日本後紀』(上巻・下巻)講談社学術文庫、2007年
          宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年
 

·         橘嶋田麿(従四位下兵部大輔春宮太夫)

·         奈良麿公に四男あり、その長男を嶋田麿と言う。称徳天皇の神護景雲二年(768年)春日大明神を常陸国鹿島から大和国三笠山に勧進造営の時、嶋田麿勅命を奉じて造営司となる。その折、部下の内匠頭、菅原氏が人形一百体を造り、匠道の秘密をもって加持したところ、忽ちにしてその人形に、火をよび風寄って、童子の姿に化け、或る時は水底に入り、或る時は山に登って、神力を発揮し精力を傾けて、格別の働きをしたので、造営工事は思ったより早く完成成就した。時に十一月で有った。

·         その功により、称徳天皇の勅許があり、忽(しゃく)に綸旨を添えて賜い、その一をとって水神と崇め、氏神とし天地を祀る。之が今日まで伝わる橘系水神行事の始めである。奈良三笠山内にある水神社がこれである。

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·           『 水祖たる 泉の水を結(ゆわ)いあげ 神にまかせて 身を頼むかな 』 嶋田麿

·         又、残りの九十九体は川に流して兵主部(ひょうすべ)として祀る。三笠山内の兵主部明神宮がこれである。

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·         佐賀県武雄市橘町の潮見神社参道入口第一の鳥居の左手茶畑の中に「河童の誓文石」とゆうのがある。当時潮見川の河童も沿岸の人達に常々(わざわい)を及ぼしていたので、嶋田麿はこの誓文石のところに彼等を集めて、懇々と戒め『若しこの石に花が咲く時が来たら皆の行動を認めてやるが、それまでは決して悪いことはしてはいけない』と言ってきかせたので河童達もこれを約束したと伝えられる。

·         橘町の歴史より(著者 中島信夫)

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