057(先祖ゆかりの地に行こう)敏達天皇陵

                            2018.3.30 宮原秀範

 

橘氏の大阪・奈良にゆかりの神社・お寺の紹介をします。

平成26年5月3日~5日の2泊3日の旅行でおとずれました。

5/4次は、大阪府南河内郡太子町に有る、敏達天皇陵を紹介します。

 

 

 

敏達天皇陵(太子西山古墳/奥城古墳)

 

敏達天皇陵(太子西山古墳/奥城古墳)30代敏達天皇は、572年に即位され、死後、母君の石姫皇后の墓である磯長の陵に葬られたと『日本書紀』は記しています。

敏達天皇陵は全長約93メートルの磯長谷では唯一の前方後円墳で、周囲には空濠を巡らせています。内部については全くわかりませんが、横穴式石室が採用されていると考えられています。また周辺から埴輪が採集され、これらから古墳時代の後期前半に築造されたと考えられています。

概要(Wikipediaより)

大阪府南東部、二上山山麓の磯長谷において、葉室集落西方を南北に伸びる丘陵の鞍部に築造された大型前方後円墳である。磯長谷に分布する磯長谷古墳群のうちでは唯一の前方後円墳になる。現在は宮内庁治定の天皇陵として同庁の管理下にあるため、これまでに本格的な調査はなされていない。

墳形は前方後円形で、前方部を北西方に向ける。墳丘は2段築成。墳丘周辺では埴輪片が採集されているほか、墳丘周囲には空壕が巡らされる。主体部の埋葬施設は明らかでないが、横穴式石室の使用が推測される。

この太子西山古墳は、出土埴輪等より古墳時代後期前半頃の築造と推定される。被葬者は明らかでないが、現在は宮内庁により第30敏達天皇585?崩御)および母の石姫皇女(崩御年不詳)の墓に治定されている。磯長谷では敏達天皇陵のほか用明推古孝徳天皇陵と聖徳太子墓が伝わっており、これらは「梅鉢御陵」と総称される。

 

 

 

叡福寺(えいふくじ)

叡福寺【府指定史跡】聖徳太子墓を守護するために、推古天皇によって建立され、奈良時代に聖武天皇が大伽藍を整備したと伝えられる叡福寺は、聖徳太子信仰の霊場として発展しました。織田信長の兵火によって、一時は全山が焼失しましたが、豊臣秀頼の聖霊殿再建に始まり、順次伽藍が再興されました。太子の忌日を偲んで行われる毎年、4月11・12日の大乗会式は、多くの参詣者でにぎわいます。