✝️RUBENS✝️ローマ、ギリシャ、エジプト
春のお祭りを調べていたら出てきた、オスタラ(Ostera)、アスタルテー(Astarte)、イシュタル(Ischtar)、イナンナ(Inanna)とはこの絵画の端に描かれている石像の女神かしら?20230110投稿 :古代アッピア街道とアルデアティーナ街道の交差点(世界を変えた書物 銅板画集第2巻 ローマとローマの田園地帯に残る墓碑と廃墟):古代の十字路を描いた:無数のオブジェ建築は、実際に存在しないものの古代ローマに関する体系的な研究に由来する。一連の絵には描写を含み古代研究に関わる内容を絵で読むことができるらしい!作者はピラネージ、関わった人間たちの碑文だけで世界一の書物の一つになっていたら困るわけです、どんな古代を描いた絵もこのくらい意味がありますように!
✝️ムー民より✝️
4界王という悪魔の種類 天魔と地魔で分けられ、創世記戦争という面白い童話が出来た、紀元前4713年、海上覇権を巡りヤハウェ帝国と緊張状態であったアリトンはレビヤタンと攻撃に出た、アデン湾から紅海を北上しシナイ半島を肉薄、陸を突き崩し地中海に抜けた 目的がアラビア半島とアフリカ大陸の分断であり、死海やシナイ半島付近を攻撃する計画、シナイ山の神をシナイ半島に封じたいという、エチオピアの神様で闘将ミカエルがエリトリア付近でレビヤタンの側面を奇襲攻撃している、レビヤタンはアデン湾の方向に撤退、最終的に駆逐されインド洋に逃げた、東経63度、北緯7度あたりに撃沈されてしまう、この際に生じた大津波が各地の洪水伝説を生んだ、レビヤタンは海底に封印され水界王アリトンは降伏、界王の地位はそのままにヤハウェ帝国の高官は砂漠の神々、アンダイン一族という水の神様の一つ、女神の姿をしている。(ゲームの世界から一部
)*写メは無関係
✝️アントニ.ガウディ✝️GaudiandTheSagrada.famyilia
修道院から大聖堂へ フランスはロマネスク建築が主流、フランス式という。12世紀に王家が修道院の尽力により全土に王権誇張、勢力が拡大、文化の発展に大きな役割を果たした、サン.ドニ修道院の内陣はゴシック様式である、ガウディはゴシック建築様式に影響を受けてゴシック教会を建てた。ゴシック建築様式に疑念や疑問を抱いていた一人でもある、ゴシック修道院建築とは、一説には針葉樹を表しているとか、とても高い建物でアーチ型、、歴史的建物、ゴシック建築はゴート族の精神性が伴わないと成り立たないらしい、特に聖堂のステンドグラスに光と影、格子壁、空間層、現代のゴシックというイメージは成立するかも、スペインでは西欧のイスラム建築、ゴシック建築がネオやリバイバル建築として19世紀に流行、当時万博もあってか建物が新しく建てかえられた、ガウディは未完成のサグラダファミリア大聖堂の作者の一人、コローニア.グエル教会堂の完成画を描いて設計した、建築学校で勉強して資料集めをした東方趣味の旅先のスケッチから鳩の塔郡が当初の完成図に取り入れられた、修道院、礼拝堂、学校の複合施設を作る予定だったはず、ガウディの建築の研究であるカタルーニャの植物や生き物(動植物)の形態は装飾に。中世ゴシック、ネオ、リバイバル建築は国家建築であるスペイン特有の異国建築を有名にした。アルハンブラブームというのはテキスタイルやデザインはアフリカやインド、南米などの美術の影響下にあったように思える、大自然の造形研究を学生時代からしていて、サグラダ.ファミリア贖罪大聖堂でなくてもグエル公園や海底洞窟など建築造形に浸食造形を得意とした。(メモ:ゴシック建築の始まりは東ローマである、またビザンチン美術なども)自然信仰をしていたゲルマン人はローマ人やガリア人が住んでいた地域に移住、故郷の自然に似ていたという針葉樹、暗くて陰鬱しい、ゲルマン人はローマ人に変わってローマの文化を広めたがゲルマン民族の文化と同化しなかったそう。聖堂や教会という建物は現代の聖域とは違い(広く多く使われる言葉として)、基礎は教会堂という。聖書や典礼、祭壇を外界から隔離、壁の外は世俗、古代ギリシャは神殿を前面に(聖域)、外部空間は神域に、と違いがある、因みにフランスから始まるゴシック建築は精神世界を全面に出した。20230901投稿
