『レイ』
以前、『レイ』という映画を見ました。
なんか色んな意味で衝撃的でした。レイ・チャールズの生きざまも、音楽も。映画そのものにも。
興奮さめやらぬままで音楽好きの知人に映画の感想を言うと、
「あの映画ねー。歌は口パクにすべきだよ。レイ・チャールズ本人の歌声じゃなく、あの俳優さんの歌声やねん。見た瞬間にそこに萎えて、すぐに見るのやめたわ」と冷めた返事が返ってきました。
そ、そうなのか。
そんなのまったく気にしてなかった(^^;)
さすが音楽好きはこだわる場所が違う。
「でも映画はいいよ。あの俳優さんは歌も演技もうまいよー。見てみてよー!」と一応必死でオススメしておきました。
てかあの映画の歌声が俳優さんの歌声なら逆に衝撃だ。
俳優さんの歌、うまい───!
黒人さんは明らかに声帯の構造が違う。
歌のうまさと運動能力は、わざわざ統計してみなくても、黒人>白人>黄色人種、なのが確かだなーと思った。
英語の歌は苦手で、日本語の歌のほうが好きだけど。
で、やっぱり本人の歌声を聞きたくなって、その日レンタルビデオ屋に寄り、レイ・チャールズのCDをごっそり借りて帰宅。
それからしばらく家にいるときはレイ・チャールズ漬けの生活でした。
まあ、ハシカみたいなもんです。私はそんなやつです。
■年上の男の舌を思い出す レイ・チャールズの歌を聴くたび
というわけで上の短歌は創作です。
部屋で綺麗なジャズを流してた人は過去にいたが、誰の歌かはよく知らなかったし…
しかし映画ってすごい。普通に生きてたら興味持たない人間まで引き寄せる力を持ってるから。
『8マイル』を見たあとはエミネムを聴いてた、そんなハシカにかかりやすい私なのです。
そういやこのときも「あの映画ね、『自伝的』だよ?『自伝』じゃないよ?ほとんど創作だよ?」と、諭された記憶が。
それは知ってたけどさー、いいのだ別に。私みたいな人間にとって、英語の歌を聴きたくなるには、とにかく「きっかけ」が大事なのだ。
なんか色んな意味で衝撃的でした。レイ・チャールズの生きざまも、音楽も。映画そのものにも。
興奮さめやらぬままで音楽好きの知人に映画の感想を言うと、
「あの映画ねー。歌は口パクにすべきだよ。レイ・チャールズ本人の歌声じゃなく、あの俳優さんの歌声やねん。見た瞬間にそこに萎えて、すぐに見るのやめたわ」と冷めた返事が返ってきました。
そ、そうなのか。
そんなのまったく気にしてなかった(^^;)
さすが音楽好きはこだわる場所が違う。
「でも映画はいいよ。あの俳優さんは歌も演技もうまいよー。見てみてよー!」と一応必死でオススメしておきました。
てかあの映画の歌声が俳優さんの歌声なら逆に衝撃だ。
俳優さんの歌、うまい───!
黒人さんは明らかに声帯の構造が違う。
歌のうまさと運動能力は、わざわざ統計してみなくても、黒人>白人>黄色人種、なのが確かだなーと思った。
英語の歌は苦手で、日本語の歌のほうが好きだけど。
で、やっぱり本人の歌声を聞きたくなって、その日レンタルビデオ屋に寄り、レイ・チャールズのCDをごっそり借りて帰宅。
それからしばらく家にいるときはレイ・チャールズ漬けの生活でした。
まあ、ハシカみたいなもんです。私はそんなやつです。
■年上の男の舌を思い出す レイ・チャールズの歌を聴くたび
というわけで上の短歌は創作です。
部屋で綺麗なジャズを流してた人は過去にいたが、誰の歌かはよく知らなかったし…
しかし映画ってすごい。普通に生きてたら興味持たない人間まで引き寄せる力を持ってるから。
『8マイル』を見たあとはエミネムを聴いてた、そんなハシカにかかりやすい私なのです。
そういやこのときも「あの映画ね、『自伝的』だよ?『自伝』じゃないよ?ほとんど創作だよ?」と、諭された記憶が。
それは知ってたけどさー、いいのだ別に。私みたいな人間にとって、英語の歌を聴きたくなるには、とにかく「きっかけ」が大事なのだ。