私は来年の3月で65歳、通常は弊社の規定でその月末で定年退職となります。

大学卒業して最初に入社したF紡績会社を二年未満で退職し、今の会社に途中入社した時は既に結婚していて、年齢も24歳と新人らしくなかったですね。

最初の4年間は分析室で水質の分析業務に従事しました。
そのあとは作業環境測定士として工場の有害職場の測定をやり、途中でコンサルタントと二足の草鞋を履き、50歳を越える頃には管理の業務が主でした。
毎日深夜近くになるくらい多忙でした。
会社と自宅を一日三往復したこともあったけ・・・。

結局何年働いたかって?

来年で足かけ40年くらいにはなります。
でも、実はところどころ仕事していない期間があります。

①長男の時は出産後自律神経失調症で2か月の休職。
②次男の時は妊娠8が月目に切迫早産で4か月の休職。
③自分のCML治療であるインターフェロン治療開始時にうつ病に罹患して10か月の休職。

これ以外に、10年前に再婚で一旦退職し非常勤顧問となったことがあるので、8か月のブランクがあります。
振り返ってみると結構休んでいるな~。

そうそう、二人目出産した後、母体の状態が良くないので三人目は産めないと産科の先生に言われました。びっくりしたけど何故かホッとしたものです。
それだけ、妊娠・出産に苦労したからだと思います。

今のように育児休暇制度というものがなかったので、搾乳しながらも仕事を続けて子育てし、分析室でいろんな有害物質の分析をしました。
仕事自体はとても面白かったっけ。
大変な時期でしたが、若かったから何とか仕事も育児もこなせた。
主婦もやったし、嫁もやった。
あの時代にはもう戻りたくないと思うから、それくらいきつかったんだと思う。

実はこの分析室時代に私は一年間有機溶剤を浴びる程使用して仕事をしたんです。
家に帰るとだるくて、眠くていつもクテクテしていました。
そう、今思えば軽い有機溶剤中毒だったと思います。

私のCML発症はこの時代に使用した有機溶剤に含有されていたベンゼンが原因と思っています。
それと大学時代のα線被爆も加担しているかも。
更に、作業環境測定士時代に毎日吸入した現場の汚染された空気も追い打ちとなっていると・・・。

私って、結局はあんまり環境的には良くない状況で生きてきたのです。
「病気の発症には必ず原因がある。」と、身をもって証明したようなものです。

でもね、45歳で発症しても65歳を迎えられるんですよ。
今の治療は凄いよね~。
発症が数年早かったら今の私はいないと思う。

私って運の良い人間なんです。
そして、その運の良さは継続しているようで、もしかして会社に残れるかもしれないのです。
定年延長決定したらまた近況報告しますビックリマーク

秋の夜長、人生を振り返り、妙に今の幸せを噛み締めているタンポポでした。