問い

 高年齢者の労働災害について解説してください

 

回答が 読売新聞では、社説で令和6年7月26日掲載がありました。災害の傾向を示すとともに過重労働に言及しています。高年齢労働者に適用する認定基準を提言しています。

 課題として取り上げ、多くの方に提言する機能を十分に果たしましたが、内容といいますか、「では、どうするのか」というところに踏み込めていません。

 

 また、高年齢者の労災事故後には、「辞めてもらう」という意見が出ますが、これらに言及していません。

 

 生命保険では、加入年齢による掛け金区別がありますが、労災保険では、そのような区別はなく、一律に労働者として、支給される賃金に比例した計算で保険金が徴収されます。高年齢労働者の人数に応じた保険料率などはありません。こういう所への言及もありません。

 

 

 (訂正 労災で死傷の労働者数は39702人)

現状は、指摘されましたが、「ではどうする」が、ありません。少ない誌面ですからやむを得ないかもしれません。

 

 60歳を高年齢労働者に

この記事では年齢を特定した所に注目すべきです。50でもない。70歳でもない。60歳を超えれば高年齢労働者で、70歳を超えても同じくくりでしょうか。

 75歳は健康年齢の分岐点と言われているようですが、この記事では特にこだわっていないようです。

 着目点は「身体機能の低下」としています

 

 身体機能の低下

 新聞では、閉眼片足立ちなどを目安としていますが、筆者は、外観観察をお勧めします。「見た目」です。身体能力は「見た目」で観察、評価出来ます。若々しい顔つき、シャキッとした姿勢、特に歩き方に年齢が現れます

 主観も入ってくるから「閉眼片足立ち」等を推奨していると思います

 聴力、視力、記憶力なども客観的に評価出来ます

高年齢労働者の課題

 基礎疾患、持病の場合に、労災との区別が難しい場合が危惧されます。増悪の程度も心配です。回復を基礎疾患が妨げないかとの懸念もでてきます。

 そういうリスクは抱えたくないです。高年齢者特有の認定基準や補償限度額の設定などが、ご本人の了解の元で雇用契約ということも考慮されるべきと思料します

 

 寿命や健康年齢の課題がありますから、40年間などの長期的な契約は到底無理と思われます

 (81歳で寿命なら、75歳の高年齢者を雇うのか)

脳溢血や心筋梗塞など致命的な疾患の発症のおそれが高いですから、重要な職務を任せることはリスキーです

 日常の業務に眼を向けても、8時間労働、週40時間労働に体力的に耐えられるのか、疑問です。通勤時間も配慮が必要です。毎日優先座席に座れるとは限りません。

 

 

  なお、ネットによれば、要介護認定の75才以上の男性は、全体の約1割に過ぎず、加えて、健康年齢という評価はアンケートで決まる数字であって、主観的に「健康」「何かしら問題あり」というような答えの集計によるという。75才でも大多数の男性は「多少の持病があっても働くこと」が出来る状態という。

 よって、健康年齢の情報を元にして75才が就労の限界ということは出来ません。

 

残された時間の選択

 どうして、毎日を旅行とか趣味とか、或いは暑熱の時期は昼間からビールを飲むとか、楽しく過ごさないのか。残された時間は少ないのに。暑熱な場所で、嫌みな指示を浴びてまで黙々と労働している。

  生活のために必要というのであれば、詐病、匿病でも就労使用とするし、年齢も外見が若見えなら、堂々と60才と偽ることも有りと思えます。

 

 

 

老後に必要な資金とは

 老後資金2000万円と言われていますが、厚生年金が少ない、国民年金のみであれば、生活のために働くという選択となり、高年齢労働者に適していない過酷な労働も厭わず、することになります

 少なくない人が2000万円未満の蓄え。

 従って、「働きたい」というニーズはあります。

 

 寝たきりという言葉があります。介助がなければ、食事が出来ない。トイレもいけない。さらには、意識がなくて起き上がれない、が考えられますが、前者(食事が出来ない)が3,4日も続けば、症状が悪化して、後者になるはずですから、前者と後者とは3,4日の差異でしかない、です。

 大多数の人は、寝たきりになる前までは、なんとか動けるという。この期間を健康年齢という、と誤解していましたが、寝たきりと健康年齢とは大きな差異があります。寿命までの7年間ぐらいの期間を介護を要する期間だ、と誤解していませんか。

 7年間もアルのなら、迷惑をかけないためにも2000万円の金はいるはずですが、寝たきりから死ぬまでの期間が4,5日であるとすれば、これはもう「ぽっくり」の範囲であって、あまり金を使うこともないと思われます。

 

洗脳のCM

 せめて葬儀費用は残したい、お得な生命保険などとCMがありますが、そのために80才を超えて月々○円で加入できるとあおっています。国の国民健康保険から多少葬祭料が出ますよ、出産手当金も出ますけれど、その範囲で葬儀をするのが基本ですからとすれば、あおられることもなく、掛け金もいらず、その分生活が楽になるということです。

 そもそも、別れを惜しんで1キロメートルも弔問の列が続いて等が、一般人にあるはずもありません。わずか30分ほどの読経のために高額を支出するとは。高年齢なのに働いて貯めた金をそこに使うとは。

 

 

 

 無理して働いている。このときの健康に及ぼす影響、労働災害の発生リスクは、健康保険や労働者災害補償保険などでまかなうことになり、社会的な負担が投入されますが、それらは現役世代の負担となるので、受け入れの限度が考慮されます

 

 例えば、90歳の労働者が現役でバリバリの経理担当者だとして、結構なことではありますが、通勤途中で転倒した場合は、「通勤災害」で、そのリスクも高いけれど、労災保険が支給されます

 治癒するまで保険が支給されます。労働者の身分を外すべきではという意見も。或いは、保険料を年齢に応じて高額にするなど。

 

 

労働能力の評価

 労働による負荷、労災のリスク、加齢による体力の衰えから来る疾病のリスク、そして何より寿命の到来等を指摘されていますが、長いスパンでの評価ではなく、例えば閉眼片足立ちでは、その時点での評価に過ぎません。

 

 次の1時間の間に、突然脳梗塞を発症して、しばらく労働不能となることも考えられます。若い人にとっても同じことですが、経験的に、高年齢の方ほどそのリスクは高いといえます。

 

 高年齢労働者は、ベースとしてはリスキーで、労働の負荷の程度に応じて1時間単位、1週間単位でその都度労働の可否を判断するということでしょうか。

 評価は、総合的に労働能力低いですが、経験的に60歳から75歳は労働能力あり(現役世代と同程度)、75歳から80歳は場合に応じて労働能力あり、80歳を超えて90歳はなし(労働する場合は高額な保険料負担を課すなど)とするべきでは(なお、寿命もありますし明確な根拠はありません)。

 

 なお、能力について付記しますと、おばあちゃんは、針の穴がよく見えないから糸を通すことが出来ないのではなく、糸を通すための連続した動作ができないというか、脳の伝達速度などの衰えなどで器用に指を動かすことが出来なくなっているからです。

 スケボーにのって回転技、或いはブレイキングなど瞬時に体を動かすなどは、若い脳の働きがあって初めて出来ることで、視力の衰えだけの話ではありません。要は「のろい」という。テキパキ動けない。

 

 

 

生産性

 高年齢労働者の中で椅子取りゲームを勝ち抜いた天下りがいますが、給料を持って帰るだけで、生産性には貢献がありません。組織の仕組みとして見直しをするべきです。

 また、生きがい労働などが指摘されています。

「家におるよりええわ。涼しいし、給料ももらえるし。若い人と会話しないと老け込むわ」などとご自身の都合を並べますが、楽ちんな仕事だから、ともいえます

 若い人が配慮して「過ごしやすい環境」「楽な仕事」を提供する。一方、高年齢労働者からは「順送りやないか」という。組織ぐるみで生産性を押し下げていますが、経営者も一体となっています。

 若い人から見れば、ハードな箇所を引き受け、楽な箇所を提供するのですから、しかも、労働生産性のうち、いくらかの配分を高年齢労働者にもっていかれています。

 

 

 技術革新の世界的な競争においてしのぎを削るのが「かくあるべしという」職場としたときに、若い人から言えば、高年齢労働者の存在はプラスではない。技能継承などというけれど「技術」ある人は少ないし、教える技術を併せ持つ人はもっと少ない。学ぶべきことは何もない。学びたくても学べない。教えたくても教えられない。一昔前のサボり方、しのぎ方を学んでどうする。

 高年齢のせいで同じことを何回も聞くし、動作も不安定で遅い。すなわち生産性が低い労働者と混じっていると、職場のベクトルが下向きになる。「この程度で良い」という基準に陥ることが懸念されます。よどんだ職場。世間話をしてその日を過ごせばよしとする人が混じっている

 そもそも、順送りなんて、社会の変化の早さを見ればあるはずもないというような極端な「意見」もあるところです

 

生産性からみた高年齢労働者の職務

 1日働いて、「疲れたわ。家におる方がましや」と思っていただくような業務を提供すべきであって、そうでなければ、イツまでも居座って生産性を押し下げます。

 

 

 

 高年齢労働者になってからも働き続けるためには、労働負荷が低いもの、若い人の代替が出来ないものなどで、かつ、付加価値が高いものが要求されます。

 でなければ、しんどくて有害性の高い職務に就くのか、となります。

 会社からは、選別されてしまうけど、高年齢労働者が選ぶことはできない

 

優しい後輩

 それなりに会社の生産性に貢献し、成果をあげた上司が定年退職を迎えたが、技術庫顧問か何かでしばらく継続勤務となった。「イツまでもいてくださいよ」と後輩は気遣い、やさしい。

 それが、何年か経過してくると「いつまでいるのでしょうね」と陰口をたたく。「俺も、いつかは、いや、まもなくこういう立場になる」とわかっていても、早く出て行ってもらいたいという気分になる。もう仲間ではない。

 

 

事例研究

 夜間の防火管理を主任務とした、併せて、簡単な清掃業務を高年齢労働者に任せた事業場ですが、何かに躓いて転倒し、打撲で2,3日休業する事故が発生しました。工場では他に誰もいないし、担当係長に電話が入り、係長は夜間に緊急出勤し適切に対応しました。

「歩いていただけで転倒する人を一人で勤務させていいのですか」

(災害発生原因が不安全な設備によるのか、高年齢によるのか、わからない)

と声が上がりました。

「もし、大きな事故であれば、安全配慮義務違反で訴えられますかね」

「夜間の清掃などは必要なのか」

とも声が上がりました。他にやってもらう仕事もないし、「辞めてもらったら」と意見が出ました。

 どうすべきでしょうか。

 

  なお、「そんなに危ないというのなら、もう一人誰かつけてくれや」と二人作業を主張しているようです

 どうかしている。

 高年齢労働者に労働をしてもらうために「介護」がいる状況です。技術承継どころか支援労働です。

 

 

高年齢労働者を排除の危険

 いつまでも企業にとどまってもらわないと、培った技術、情報が他社に漏れることが危惧されます。高額で外資にスカウトされ、情報の流出などは指摘されているとおりです

 日本の技術を守るには、

 技術ある方には75歳ぐらいまで、或いは永年に止まってもらいたいところです