2025年10月20日(月)雨のち曇り☔



 

やってきました!!!!萩!!!

友達が萩に連れて行ってくれるということで、萩にいくなら絶対に萩反射炉に連れていけ!!!!とねだりにねだって連れてきてもらいました😂

 

 

 



📍萩反射炉


住所:山口県萩市大字椿東4897-7

見学料金:無料

開館時間:常時公開

休館日:年中無休

電話番号:0838-25-3139

駐車場:無料の駐車場あり(バス4台、乗用車10台)

 

 

 世界遺産 明治日本の産業革命遺産とは

正式名称は「明治日本の産業革命遺産 製鉄・造船・石炭産業」

日本が江戸時代の末期から明治時代にかけて、わずか約50年の間に急速な産業化を成し遂げた証として2015年にユネスコ世界文化遺産に登録された一連の遺産群のこと。

全国に登録された遺産があるのですが、合わせると全部で23か所

 



萩で登録されているのは

①萩反射炉

②松下村塾

③萩城下町

④大板山たたら製鉄所遺跡

⑤恵美須ヶ鼻造船所跡

の5つだそうです。
 

 

 

 萩反射炉



 

反射炉とは

反射炉構造図

反射炉とは金属(主に鉄)を溶かして鋳造するための炉のこと。(西洋で開発された)
構造は炉と煙突に大きく分けられる。
燃焼室で焚いた燃料の炎と熱を浅いドーム形の天井に反射させて、溶解室に置いた原料鉄に熱を集中させて溶解させる。
高い煙突を利用して大量の空気を送り込み、炉内の温度を千数百度にして、鉄に含まれる炭素の量を減らし、鉄製大砲に必要な軟らかくて粘りのある鉄に変える。
 
使用用途としては主に鉄砲、大砲などの製造のために造られたとされている。
 

日本に今も残っている反射炉は3つ

①萩反射炉(山口県)

②韮山反射炉(静岡県)

③旧集成館(鹿児島県)

とされている。

 


建設の背景

江戸時代末期、日本はアヘン戦争での清国(中国)の敗戦や黒船(ペリー)が来航(1853年)したのをきっかけに外圧が高まり、西洋の軍事技術を急速に導入する必要(海防の強化)に迫られた。

木造で作っていた大砲はなかなか遠くまで飛ばないということで、鉄製の大砲が必要になり、反射炉を導入することに。

 

 

構造と特徴




・高さ:11.5m(現在残っているのは一部)

・材料:煙突部分8mまでは安山岩、先端の2.5mはレンガ

漆喰が石積の全体に塗ってあったと考えられている

・建設時期:1856(安政3)年

 

 

建設までの苦悩

各藩は、わずかな蘭書の知識などを頼りに自力で、射程距離の長い鉄製大砲や大型の軍艦を建造しようと試行錯誤する。当時は鉄製大砲を建造するには、衝撃に弱い硬い鉄を粘り気のある軟らかい鉄に溶解する必要があり、その装置として反射炉を用いていた。

 

萩藩は、既に反射炉の操業に成功していた佐賀藩に藩士らを派遣し、鉄製大砲の鋳造方法の伝授を申し入れる。一回は断られるが、その後大砲の土台を土産として持っていったことにより、反射炉をスケッチすることについての許可は下りた。

文献調査の結果、スケッチした図面は見つからなかったが、「安政3年に反射炉を試作的に築いて大砲などの鋳造を試みたが、本式に反射炉を築造することを中止した」という内容の萩藩の古文書が発見された。

ただ萩反射炉はスケッチが許されただけで、どのように使用するのか等は教えてもらうことはできなかった。

そのため、反射炉で溶かした金属には必ず水が必要であったが、水の近くに反射炉を造らなかったため実働させることが難しくせっかく造った反射炉は1年程度で使われなくなったそう。

 

 

 

歴史的意義

この時に築いた萩反射炉は実用的な反射炉ではなく、試作炉であった。

ではなぜ試作炉であったかつ1年しか稼働できなかったのにも関わらず、産業遺産に登録されているのか。

 

歴史的な意義としては、以下の点があげられる。

・産業技術導入の試み

・試作炉・実験的性格

・幕末・藩政期の先進性

 

 

稼働できなくても産業化を進めようとしたその姿勢と、見たものを形にしたという点が評価されたようです。

 

当時の蘭書の設計図どおりの反射炉としては「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の資産にもなっている韮山反射炉(静岡県伊豆の国市)が唯一残っているが、萩反射炉は試作炉としての性質をもった、当時の試行錯誤による産業化を示す貴重な資産である。

引用:

 

 

 

 
無料ガイドのおじさんがたくさんお話をしてくれて反射炉しかない場所でしたが、とっても分かりやすく興味がわきました!
韮山反射炉もずっと行ってみたい場所なので、ぜひ訪れてみたいです!!!🥺
 
 
 
では~🐰