朝からディサービス・・・先ずはリハビリでストレッチ・・・運動は機器の近くの職員に見守り介助をお願い・・・その後、入浴 この施設では初めての体験に成る、今までは一人で介護の手を借りて入っていたし、入浴器具の違いで部屋も違っていたが、今回は大浴場のような浴槽が有り、数人の人が入浴中・・・介助は必用だが、己の脚で移動できる人達に成る。色んな障害の違いが有る。私は、今日、言語療養士???のリハビリを受けたが本来、この内容のカルテなら、会話が成立しないことも言われていた。結果、言語障害のリハビリは基本行わない割れた。感謝に成る。入浴も、車イスを使っての入浴、担当の人の、父が私が走り回っていたふもとの住む膝に鉄板と付け、火花を出して走っていた、プロライダーを続けた人の子・・親の年は、私より10歳若い・・・この山、その親が走っていたときは、エンデューロ系のトレール・ラフ老度バイクに凝り、モトクロスブーツの爪先から火花を出しながら走る等を行っていたことになる。コーナ立ち上がりでウィリー次の項ナーまで続けて、フロントを落とし最低限の減速でコーナーに侵入すれば、車高が高く、ストローク量が300mm程の車高が、遠心力で落ち、ステップを擦ることも可能だったし、私の場合、スリルを求めてのバイク・・・アスファルトのグリップ高いタイヤより、公道不可のモトクロスタイヤを履いて走っていた。ブロックの高く車高が上がる。グリップが無いのでリアの滑り出しが低速からに成るので、高速に比べ安心できるし、立ち上がりでのウィリーもグリップが無い為に、パワーだけに頼れない・・・バイク屋のオヤジ、先輩達か指摘され教わった、伸びしろとの時は、分以下の者を使えとよく言われていた。その時代はバイクもレーサーレプリカ、ホンダのNSR等々の瞬時に140キロ以上出るバイクがゾロゾロ・・・バイク屋のオヤジも「お前に売れば幾つ命が有っても足らない」と売ってくれなかったので、ラフロード系に走る事に成る。その後、レーサーレプリカ等とスーパー林道の狭い舗装道での競争等々、加速では遅れるがブレーキとコーンーd追い付く、理由道の難しさアップ・ダウンという上下の動きが有る。結果、リアブレーキの使いかが一つでフロントを内に入れるタイミングの自由度も覚える。面白い事に無駄にパワーが有っても坂道、低ニュー路は意味を成さないことも身で知る事が出来た。仮に河川敷の土手を上る・・・大パワー重量級バイクより100cc前後で確りトラクションを意識したアクセル操作を行った方が楽で簡単にクリアー出来る、しかし、迫力やアピール度は減るので、プロ、お金ももらつ人達はこの部分も大事にしている。当然、素人は先ずは何処を目指すのか???此も問われるが、目立つ方向を目指す人達が昔は多かった。脱線してしまった。入浴の介助をしてくれた青年・・・バイクと・車・趣味らしい、ランエボを転がしているとのことなので、余程、走りに興味が有るようだ・・・次回からの入浴が楽しみ・・・その後、昼食・・・その後に医師とリハビリの担当者と私の三者面談、久しぶりに医師の喧嘩を直接聞くことが出来た。今回、初めて知ったのが、病気には、国という単位・地方という単位・県という単位・市町村という単位が有るとのこと、その国当たる病名が抗弁病らしい・・・指定難病の長い名称だが血管炎程度で認識していたが、大変な病気らしい、色んな疾患が出てくる。勿論、今までも出て、生き残ったので、上手に病と付き合っていく方向性で、今後のリハビリ治要と成った。その後、嫁とご五男が迎えに・・・・地元の眼科の検診のため1時半に出発、5時過ぎまで診察・検査を行って貰い、事情を説明、免許試験場に問い合わせても期日が過ぎれば失効します・・理由を説明しても、動じない、この件を話すと良く理解されているようで、役所仕事と言っておられた。無理を言って、両目の手術の二回で、最終が16日に成った。目にガーゼをして車イスで、免許試験所に行って、どのように遇われるか????

帰りに、心配を掛けている、先輩のお店へ、涙が出続けた。この場所にえってこられた・・・感謝しか無い、私には一番辛い、先ずは己だと諭されるが、其れが出来ない。又、大量の食材を頂き申し訳ないし有りがたいし、感謝に成る。その後、バイク屋へ専務に遅くなったことを詫び・・・再度、オヤジの冥福を心の中で祈る事が出来、感謝に成る。

忙しい胃日にだったが、充実した一日に成った。