向の人も少しは学習しているようで、叫ぶトーン・音量も減っているが,気になるのが、病室内に響く程度になり,夜は,30分くらいの感覚を開け,ドンという感じで,咳払い、吠える様にされている。看護師が内室している時は沈黙・・・・外出した瞬間に吠える,私の感覚だと質の悪い人間に見えるが,この場が私の環境、受入れ寂光土という方向に少しでも進めたいと思う。逃げ・避ける等は容易い,現代では一円も成らない無駄と言う価値観の人も居るが・・・意味を見いだせないような 無駄が出来るのが人間だし生命だと考えている。私が使ってる睡眠薬の効能も午前3時前後にキレるので、目覚まし時計の音くらいで目が覚める・・・,前はベルが鳴り続けていたので慣れで対応できたが,今は,静かな状態で,一気の叫び、慣れる事が出来ないで居る。

前にも書いているが,仏教徒のようだ、般若経の一説を何度もモゾモゾと繰り返される。色んなが読誦しているが、呪文のように繰り返される。無限と感じる,苦を繰り返されているようにしか見えない。経典は魔法の呪文で無い・・・・指南書である。其れを己なりにどう解釈するかになる。貪欲に尋ね教わり,己で調べ学ぶ事に成る。しかし,向かいの人は、万能の妙薬の呪文と思って居られるようだ。そして,直ぐにかーちゃん等々に身寄りの名を列挙される、要は縋りたいという命が有る市、その価値観は浄土に有る。

十界互具と言う考えが有る文字が示すように人には十界の命が宿っている,しかし、どのレベルが強くでるかは個人の個性だし,環境からも来るし,厳密に言えば己が選んで,その階層に居ると言う事・要は些細の違い程度で、人として皆同じと言うこと,平等と言うこと、しかし、仏というのが唯物的に解らない、結果、仏は人で我到達できない,神的な存在として偶像化する方向に走っている。簡単に書けば,地獄の境涯・環境でも己に内在している。仏に気付き、言動を慎めばその場が寂光土と変わると言うのが,仏法・・・唯物的な部分を求めている訳で無い、唯心的,心の安らぎ、世の安穏を願っていと思うが,何故か価値観が唯物論で支配されている・・・結果、我欲の応酬で争いが絶えないから・・・世間が勝ち負け論で支配される。