今日も色々・・・・ | MMM-ZiZiのブログ

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趣味RC 基本、我家の日々の出来事・・・・・・
私の日記帳

 私は、差別主義者と自称している・・理由は確りと優先順位が私には有る・・・この順位を基準に事を考えている為に差別主義者と自称している。

よく誰が一番大事と言われると私は、当然、私自身が一番大事だと思いたい・・・しかし、今までの経験で、己と思っている私自身も、人様のお陰で創り上げられた作品と思う・・・その用に考えると、他人様も私と同じ位、大事と言う事に成る。

勿論、私以外の人も、血族・親族・家族と色々有る・・・私は家族が一番近く感じているし、大事にしたいと思っている。

要は、己が大事だがそれと同じ位、他人様も大事・・・しかし、他人様も色々・・・その中での順序は、私の場合は家族になるし、血族になるし、親族となっていく・・・

今日も、五男を、免許停止講習に、大善寺自動車学校へ送っていった。

書いている様に、優先順位で家族が大事だから、五男を送ることに何の問題も感じていない・・・若い頃は、格好を付けていたのか・・・仕事が~~~・・社会的に~~~等々、人目を気にして居た時も有る。

しかし、よくよく考えると、何の為の仕事なのか、社会に属しているのか???・と考えると、己の為だし、家族の為・・親族の為等々に成る。

その様に考えると、私の場合、己と家族・血族・親族の為の、言動が基本だと考えるようになった、優先順位になる。結果、仕事は、仕事、家族は家族、何方が大事かは、当然、その時々で違うし、その時の状況で変化できる自由が必要だと考えるようになった。以前はこの方向が正しいと決めていた部分が、曖昧になっていると言う事・・・

私は、人として劣っている、三流以下の人間と思っている。その為に、物事に対して、直ぐに逃げたり・避けたりする傾向が有る。

勇気が無く、卑怯だと言う事・・怖いから、避ける・・・・・・この特性が有ると解っているから、己に取って、キツイ・大変と思う方向へ向かう勇気を下さいと何時も思うようにしている。

一流で優秀な人は、この己に対しての試練の喜んで受けれると思うが、私はその逆で有る。その為に、気持ちだけは思い続けたいと考えています。

三流だから、差別しなければ、生き残れないのかも知れない・・・理由は弱いからになる・・・弱いから生き残るために、卑屈にも成るし、逃げるし避けようとする・・・人を尊重し、大事に出来る人の凄さ、度量の広さ一流・優秀と言うレベルには到底、到達できないレベルが私になる。

しかし、昨日は、孫達に、嫁がお祝いと、このお金で食事でもと一万渡したと嫁から聞いた・・・この言葉だけで、私は幸福感を得れた。しかし、嫁は、そのお金を長男も当てにしていた様で、喜んで出掛けていったと言っていたが、捉え方が嫁と私とでは違うと言う事に成る。

私の稼いだお金、当然、家族が使う・・此が基本・・・そのお金が何処に向かうか???喜んでくれたかが私の場合大事になる。感動も感謝も無い当り前の事と思われるのも私は人間として出来ていないので、嫌な感じがする。その点、喜んでくれたと言う単語だけでも耳に入れば、幸福感を頂く事が出来る。私自身がお金を使っても、不満しか残らないが、人様の使えば、その気持ちが感謝なら、感謝を感じることが出来るし、それが私には誉れだし、幸福となる。

物は何時かは無くなる、ゴミにも成る・・・その前に人様の役に立つなら使った方がよいと思う、お金も同じと私は考えている。

死んでも持って行ける物なら、勿体ないと離したく無いと思うかも知れないが、死んだら持っていけない物に執着しても意味が無いと私は考えている。それより喜んで頂いた、この事が大事だと私は考えている。

夕方、夜勤の嫁を送り届け、その足で、五男を迎えに行き・・・午後からは、叔父のお見舞い・・・脳梗塞で倒れた・・・従兄弟と一緒に見舞いに行くことにしている。

大事な叔父で有る・・・私が男として模範にしている叔父で有る。〇〇家の家長としての言動を私は凄いと思っている。

兄弟も居られる、その兄弟全てが上手に生きれるように、努力されている。その姿を尊敬している。

私の様な、甥にも親族の一員として連絡してくれる・・・以前は、わざわざ来訪され、仏壇に手を合わせられ、その後、色々な行事の事を言われていた。凄いことだと思う、親族への家庭訪問を続け、確りと状況を認識して居られる。この様な人が親族の中に居るか???居ないかで???親族の結束が違う事に成る。要は、少し図々ししと思える行動が必要と言うこと、当然、己の時間を削ってに成る。

長兄・家長として凄いと尊敬している叔父が倒れた・・・此は私に取って衝撃でも有るし、覚悟はしていたが、時期が来たのかとも考えている。

お袋の兄弟を看取る、此も母が私に残した宿題・・・・最初に彼の世に行ったので、母の思いを継ぐ為には私は、生かされていると考えています。