出来るだけ多くのお世話を!!!・・・・与えられた使命に応える!!・・誉である。 | MMM-ZiZiのブログ

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私の日記帳

 生きている・・・人は、人の中で生きる・・・人と人との繋がり、己の役目等々が、厳然と有ると私は思ってる・・当然、人としての責務の基本だと思ってる。

人間なら、多くの人との関係性で何が出来るか???己の役割は???等々を考えるから、人間と言われていると思う。

生きている間は、人との関係性の中で生きる・・・結果、生きている間に多くの人様の役に立つ・・・これが、人間としての誉だと私は考えている。

この誉を感じたいために、己の出来る分で、淡々と続けて行く事に成る。

要は、責務を背負う覚悟と挑戦だと私は考えている。

現代、色んな理由を付けて、責務を放棄する方向に盛んに論議されている感じがする。

今日も、孫、この位の熱ならと私は思うが、若し、これが問題で大事に成れば、学校の責任と言う親が増えているから、学校も責務が負えないと、保護者に返そうとする。

勿論、私は差別主義者なので、私が思う一般的、家庭では、夫婦が居ると言う事は、夫婦の親が両親が居るし、それが二親だと言う事に成る。

大人が4人いる、それに父母の2人・・合計6人の大人が居るし、若し、回転率が速く、動ける祖父母だったら・・・孫の面倒を看る等出来るはず。

要は、二人以上の子を儲けても、面倒を背負う、人達が居ると言う状態・・・この状態なら、当然、数人の子を育てる事も可能になる。

昔は、社会もその一員として、面倒を看てくれていた。しかし、これも四角四面的に成って来たので・・・責務の問題等々で、誰しも簡単に出来ない状態に成っている。善意で行った振舞で、大事に成る。その責任は当然、行動を起こした人と言うのが現代に成る。

結果、誰も手を貸さない・・・こんな世の中に成って来た、だからこそ、家族と言う、小さな集団の結束が大事だし、お互いさまと言う、価値観が必要に成って行く・・・これを、社会に向かって行っても、損・負を背負う可能性が高いので、口では肯定しても、行動はしないと言う事に成る。

この感覚も一神教・大陸的価値観から来ると私は考えている。

本来、目的・趣旨が有る・・・何の為か、基本、人間の為、命の為と言うのが、本来だと思う。

しかし、綺麗事で、その為には、これを信じなければ、これが一神教的価値観、結果、狂信的信者に尋ねると、若し、我が子が溺れたら、何をするか???先ずは、神に祈ると言われた、何処で???と尋ねると、簡単に言えば、効き目を高める為には、その様な施設で祈った方が良いと・・・私は解らなかった。その様な価値観、目の前で溺れている助けたいなら、私なら、水に飛び込む方向で事を考えだす。

しかし、若し、失敗し、死なせたら、その責任を背負う可能性が有るからと言う人も居る・・・この様な状態なら、全てが対岸の火事、我関せずが良いと言う価値観に成る。熱心な信者さえこの方向・・・・解らない・・・

凄い話が、沈み行く船・・・その中で、助かるのは、信仰心が高い順序特に、私が信じている神に気に入られたら、生き残ると言われたことに驚いたことが有る。

宗教家とは、自己保身者の集まりなのか????・・・・仮に、青年が、年老いた人を見殺しに出来ないと、救いに向かい、死んだ・・・これは、信仰心が無く、悪魔に気に入られたからと言われる。

凄い、自己中心的捉え方だと思ったし、それを強める為の宗教・教義に成っていること自体、私は怖いと思ったし、戦争が世界から無く成らない理由・悲惨な状況・環境を産み続けている、現実がなぜ起きるか???理由は解った感じがする。

これを宗教と言う名で、行っている。人の汚い部分が集約した要は世界に成る。

よく、相手が攻めて来るなら、攻め返さなければと言われる。動物の発想で、本能的に当然と思う。しかし、人なら、人間ならと私は考えている。「生老病死」を確り認識しているなら・・・・何時もでも生きれる事は無い、己の命も数年後かも知れないが、尽きる可能性が有る。

これを解っていて、又、その前に病で、闘病、楽ではないと思うが、それに耐え忍び、最終的には死に向かう・・・この流れが解っているなら・・・対処が他に有ると思う。要は、己の命が欲しいならくれてやる、それで、人が救えるなら凄い事だと私は思うし、少なくとも悲惨の連鎖は止める事が出来る。

最近、私より若い・特に若人と言われる人達が、己の身を崩壊させる方向に進んでいるし、中には命まで落とす人が増えている。これを私は苦痛と捉えている。何故代わりに、俺の命を持って行ってくれないのか???と問いたくもなる。

今日も孫の面倒を看ながら、幸せだし、体が良ければ、一緒に走り回ったりも出来るが、それが出来ない、その部分が申し訳なく思うし、後悔する部分でもなる。

しかし、残っている、機能・能力がある。孫に与えられる事は、まだまだ有る。これが私には救いに成っている。

18日には孫娘の誕生日・・・プリキュアの人形が欲しいと言っていたので、ネットで注文できた・・・感謝に成る、爺らしい事が、少しでも出来ている。孫が喜ぶかは判らないが、それでも何かを与えたいと何故か成るのが本来の爺の姿だと思う。

齧れるところは、全て齧り取って欲しいと思って居る。どうせ灰に成る・・利用できる部分は全て使い切る・・・昔の捕鯨の、クジラの処理と同じで良いと考えている。

全て使い切って、この世を去る・・・一番の幸福だと私は考えています。