朝から、次男の二人の息子・・・孫を守している。

 

之も、爺婆の仕事・・・昔は、之が普通だった・・・・その為に、老いては子に従えと言う諺も有る。

 

カタログスペックが衰えても、仕方が無い、年齢に成った。

 

自然の流れに抗う、之も生き方かもしれないが・・・・自然な方向が楽だと思うし、無理すれば当然、他に影響を与える・・・・

 

現代は、人が無理して、出来た社会の様に見える・・・

又、無理させるシステム・文化を形成してきている。

 

孤立化すれば、当然、不安が出て来る・・・この不安を解消する為に、無理を行っていると言う事に成るし・・・生物として当然の「生老病死」を意識させない文化に成る。

結果、当然の部分、老いる・病になる・死ぬ・・・この流れが有るのが生きると言う事さえ忘れている事に成るし・・・この状態に成る事は、運が悪いと片付ける方向性に成っている。

 

勿論、運と言えば運に成るが・・・受け入れる覚悟が無いし、己だけは無いと言う前提で物事を組み立てている。

この考えが有るから・・・孤立化方向でも良いと考えだす・・・しかし、人としての本能が、不安を常時与えている事に成るし、それを忘れる為にも、浮かれ喜べる、物への執着が出て来る。

 

結果、孤立化した人間で、この様な事が出来る・・・之を幸せと定義している感じさえする。実社会からかけ離れた立場・存在が・・・成功者の証と成っている感じさえする。

 

しかし、厳然と「生老病死」が付きまとっている事には変わりは無い・・・・

 

各々、価値観が有るし、考えが有る・・・・

 

何が正しいかは判らないし、何が己に有っているかも、解らない・・・・その為にも色々知ることが大事に成る・・・・

 

極一部の人しか得れない、立場・ポジションを目指す、之も有りだと思う。

 

私は、与えられたポジションで、どう生きれるか????・・・・之を考えている。

 

その一つが、孫守だ出来る・・・この幸せも、計画の一つに成る。

勿論、面倒で、金銭的にも大変だが・・・・之も、楽しみと思えば、苦に成らない・・・・