連休前に・・・民度が問われると書いていた。

 

日本国は・・・命令が出来ない・・・何度も書いているが、お願いと言う形の依頼に成る・・・依頼を強く主張すると、パワーハラ等々言われる、社会・・・・

 

要は、下手からの依頼に対して・・・どう振舞うかが一人一人の民度で決まっている事に成る。

 

用心、石橋を叩いて渡る・・・・己の体重以上のハンマーで叩く位の用心が必要と言う事にも成る。

 

我が息子達にも、言っていた事だが・・・どう判断したかの結果が、緊急事態宣言に成る。

 

要は、私の、力不足と言う事に成る。

 

 

当然、外食等が普通だった、息子達・・・ストレスを感じると思う・・・しかし、私たち夫婦は、外食が異例・・・その為に、同じ事でも捉え方が変わる。

 

 

日本国は、国民一人一人の民度を信じる・・之を基盤に出来上がっている。

 

何度か書いているが、アラブの春と言う出来事が、昔、中東で有ったが・・・その後は、又、元に戻っている。

要は民度と言う事に成る。

 

民主主義とは、一人一人が、確りと責任と義務を担う・・・之を基本に置いている。

勿論、己以外も含みに成る・・・・その為に、税金を納め、相互扶助に繋がっている。

 

之が、出来ないので、強い権限と命令権が有る、リーダーが必要に成る。

 

命令が出来る、逆に考えれば、それには対価が有ると言う事にも成る。

対価の為に、命令を聞くと言う人たちに成るが・・・それを実行するかは別問題に成る。

 

民度・・・・難しい部分に成る・・・・

 

村社会も、同じ事が言える・・・高齢化・独居老人が増えている・・・誰が見守るのか????・・・当然、現在の法的部分で、他人が強く介入が出来ない・・・之を理由にして、何もしない・・・・之で良いのか????・・・・

皆で背負う・・・この思いが必要に成ると考えているが・・・この部分への関心が無いので、気付いた個人が、個人レベルで、担う事に成る。

 

民度を高めると言う事は・・・三流の私には、ハードルが高いと思うが・・・近づこうとする思いだけは、失いたくないと考えている。

 

最後に、筋ジストロフィーで重度の障害の人が言われた言葉、己の手で死ねる・・之が出来る事も、幸せで有ると・・・・体が動かない病、何もできない之に耐えて居られると言う事に成る。姿を見て発言を耳にして、私は、頭を強くたたかれた記憶が残っている。