孫が寝付いた・・・・ヤット、自由の時間が、我家にやって来た・・・・

 

と同時に・・・父親の次男が、孫を迎えに・・・・・

 

彼もたまの休み、気晴らしのスロットルをしに、パチンコ屋に朝から行っていたと言う事は、勝って帰ってきていると思う・・・

 

子供は、成長と共に、回りの関わり方が変化する・・・・幼い時は、目を離せない状態だで、その分、時間を要するが・・・・之が過ぎると、徐々に、気の使い方、疲れ方が変わって行く・・・・

 

最後は、人様に迷惑を架けない・・・この部分を願う事に成る・・・・

その為に、手を出せる時期が、楽と思う時が来る・・・・

 

私も、趣味が有る・・・RCドリフトを今は楽しんでいる。

 

子育てと同じで、思う様に成らない・・・その為に、初期は車に問題を抱き出す・・・・しかし、続けているうちに、問題は自分、自分の器の狭さ、許容力の無さを思い知る方向に成る。

 

特に、生き物でない・・・物、道具は、使う側の意思が全てに成る。

 

結果、言い訳が付かないのが、車の様な道具になる。

 

仮に本当に走らない部分が、車に原因が有るなら、RCカーの場合、組む側、作る側も、自分に成るし、言い訳に成らない・・・

 

走ると言う思いで、間違いも無く、丁寧に組んだ車なら、当然走る・・・・しかし、走らせる事が出来ないと成れば、操作側の自分自身に問題が有る事に成る。

 

しかし、元から、走る事が難しいだろうと言う方向の車を作れば、当然走らせる事が難しい車に成る。それを操作して、出来なくても当然と言う事・・・若し、予想より少しでもよく走らせる事が出来たなら、感動を得る事に成る。

 

結局、子育てと同じ、我が子が優秀で、一流と思えば、出来ない事に対して不満が出て来る。

しかし、レベルを落とし、又、自分の子だから、優秀では無いと思えば、少し言葉を話しただけで、感動を頂く事が出来る。

 

二歳の子供だから、この程度の会話は当然と思える人も居るし、凄いと感動を得る人も居る・・・現象は同じだが、捉え方、取り方で、感じ方も変わる。

 

RCカーも同じで・・・優れている車と思う物で、操作すれば、当然、優れた走りが出来る・・・出来なければ・・・どうなるか????

 

何度も書いている様に、自分のレベルに合う、分相応と言うものが有る・・・これを越えると結果的に苦痛に成りだす。

勿論、この苦痛が楽しいと捉える事が出きれば、良いが・・・・出来なければ、分のどの程度超えるかも、各自で違いが有ると言う事になる。

 

何事も、限界が有るが、その限界のポイントを知る為には限界を超える事を試さないと解らない・・・

この部分が、難しいし、勇気が要る部分にも成る。

 

RCドリフトも、よい社会勉強に成ると言うのも、この様な部分が有るから・・・