四男が、今日・・・・高校を卒業する。

 

嫁は式典に参加する為に・・・送っていったが・・・着飾ってる姿を見ると、私は幸せものだと感じる。

 

四男も、社会人として、就職も決まっているし・・・今後は、社会に貢献して行くと信じている。

 

色んな人と縁して・・・色々な事を学んで欲しい・・・

 

特に、兄弟も多いし・・・・この多さに、感謝できる人に成って欲しいと願っている。

 

人は、宿命と言う単語を聞いて、良い感じがしない・・・何故か、之も教育に成る。

 

宿命に感謝が出来る・・・・このレベルに成る為に、人は生かされていると私は考えている。

 

生きている中でも、色々起きるし、又、背負う部分も有る・・・・之を苦痛に考えれば、生きる事は苦痛の連続と成る。

 

この事は、この世に、恨みを持つけど感謝の気持ちは無いと言う事になる。

又、負を苦痛と考える事は、この負から逃げるこの様な生き方に成りだす。之が意味する事は、負を後世に残し続けている事に成る。

 

去る鳥後を濁さずとも言われている・・・・この世を去る時は、この様な生き方を私は望んでいるが、現実はキツイと言う、思いが出るし、この事はこの様な価値観を植付けられていると言う事にも成る。

 

私は、三流市民以下の為に・・・中々、この次元には到達できない・・・・しかし、次元が低いのか???目の前や周りは、負の部分ばかりが見えるし、目に付く・・・・・

 

この部分を、どう処理して行くかが私に与えられている、宿命だし・・使命になるのかな???と思う時期のようだ・・・

 

五十にして天命を知ると、言われる・・・・・私の天命は????・・・・・・之も考える時期に成るし、遅いかもしれない・・・

 

生き続ける・・・之を楽しむ・・・何が楽しいか???・・・この価値観を変える事が必要の様だ・・・

 

人は何処へ向かっているのか????・・・・・・・・私は怖い・・・・・