父と妹が帰路付いた・・・・

 

妹との価値観も解る・・・父の価値観も解る・・

 

この違いを、どの様に埋めるかが難しいと何時も思う・・・

 

 

特にエリート意識が強い人は、折れる、妥協する・・・之を負けと感じる為に、中々変化を好まない・・・

 

折れない人にどう接して行くか、勿論容易いが、この方向性だと、全く、変化が無い事に成る。

 

一度、偉いと思い込むと変化がし難くなる事は、誰しも解る事・・・

 

しかし、有る基準を設けて、その基準を超えると、人は偉いと思い込む習性が有る様だ・・・

 

一度、高いレベルに居ると思い、又勘違いを起すと・・・・其れに同調してくれる人を求めだす。

 

之が烏合の衆と言う・・・・

 

之が、人の個性の一極化に向かわせる、方向を作る。

 

本来、個性が多々有る事が、当然・・・・どの個性が優れている等々を、評価する物でもない・・・

 

各自の個性で、好みは有るが、この部分で正しいや、間違い等々を決める、此処までは心の中では許されるが・・・之を流布する物では無い・・・

 

勿論、之も個性で、強い、影響力持つ人の発言は、流布に通じる・・・・

 

之を理解していれば、本来、エリートと思う人は、発言に注意が必要だが、自分の思考での好き嫌いを、あたかも当然・常識の様に発言するの人も多い・・・

 

この部分を指摘しても、下等動物が指摘している感じで判断する・・・・・

 

人、誰しも、劣っている部分が有るし、間違いも起こす、お互い様と言う発想が何故出来ないのかと思う。

 

私の家族は、妹と違い・・・・若し平均と言うものが有るなら、全てが劣っている・・・子供達もその自覚が有る・・・劣っているから不幸だとは考えていないし・・・

 

よく、嫁が言うのだが、我家を知っている人達は、出た子供達も含め、一家でワイワイ、何時も楽しそうと言われるらしい・・・

 

生きているから、色んな事が起きるし、起きるからワイワイが始まる。何故この状況を楽しいや幸せ総問い見えるのか????

 

何も無く、何の変化も無い、之を求め、今の環境のを守り、保身方向の生活をしている方が、心配もないし、失敗も無いし、楽しい生活が出来ていると思うが・・・

 

勿論、何が幸せで、何が不幸かも各自の価値観・・・・

 

限定できる部分でもない・・・・人の為に戦い続けている人も幸せと感じているかもしれない・・・

 

この部分も価値観に成る・・・之を一極に向ける流れが、権力者に多い、思考になる。