こうしたこころも 知り、 踏まえてこそ | mmmの 『 Art de vivre 』  Diary♪

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『 Art de vivre 』  ・・・・  アール・ド・ヴィービル・・・・
生きている芸術・・・生きるなかにこそ アートがある・・・のような意味でしょうか??

そんな考え方に 少しでも近づけるよう、 目指して生きていきたいデス♪

日本中、世界中が 支援し 祈っています!!!!!!!






LOVE  JAPAN !!!!!!










神戸で被災した ある市議のことば




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16年前に私は被災し、実家を全焼して失いました。

それいらい、私はよほど小さな地震でも、気分が悪くなるほど怖いです。

記憶よりさらに奥のところに、あの恐怖が刻みつけられている気がします。


今回の地震は、一瞬眩暈がしたかと思いました。

でも、周りで揺れているものがあったので、それは地震だとわかりました。

吐き気を抑えなければいけないほど気持ち悪かったです。

でも、まさか、これほどのことになっているとは思いませんでした。


いらい、日々仕事に集中していても、

何か腹の底に溜まっているような気持ち悪い感覚があります。

不安なことや面倒なことを抱えているときのような。

よくよく考えたら、それは東北の地震のことだ、とわかりました。


悔しくて、悔しすぎて、記憶から消していたことが、いろいろ蘇ってきて辛いです。


ひとつは、観光気分で来た自分探しボランティアの連中のこと。


彼らは、人から感謝されることを楽しみにやってきただけでした。

だから、汚れ仕事やしんどい仕事は何かと言い訳しながらやりませんでした。

彼らで集まって楽しそうに親睦を深め合っていました。

そんな彼らに「惨めな被災者」と扱われる屈辱。

何日か経ったとき、避難所のリーダーが耐えきれずに怒鳴り散らして

彼らを追い返してくれました。

彼らがいなくなっても、彼らに受けた屈辱は消えませんでした。


ひとつは、「家が焼けただけでしょ?」と私に言った大学教授のこと。


震災後しばらく経って、避難所を少しはあけても手が足りるかなと思ったころに、

大学に試験を受けられないと説明にいくために、京都まで出向いて教授を順番に廻りました。

ある教授はこういいました。

「ペンと本があれば勉強できるわけだし、もう電車も復旧しているから、

 試験も受けに来れるはずでしょ?家が焼けたからと言って、ねぇ。。」

研究室でものを投げ散らかして軽く暴れたあと、彼に

「おまえの家が焼けてもペンと本があれば授業をするんだな?」と言って帰りました。

部屋を出たあと、暴れたのは、目の前の豚を殺したかったからではなく、

被災者以外が被災者のことを理解してくれるのではないかと期待した自分の愚かさに、

腹が立ったからだとわかりました。


記憶の中の彼らは、単なる匂いのない記号として封印されていたのですが、

他人の絶望をエンタメにすることしか考えていない無神経なテレビを見ていると、

記憶の中で彼らは解凍され、また腐臭を放つようになってしまいました。


自分が育った家がなくなったこと、

小さなころの写真が一枚もないこと、

家族がぎくしゃくして不愉快なことばかりだったこと、

大好きだった街が廃墟になってしまったこと、

そんなことは、もうなんとも思っていないのに。


   ■   ■   ■   ■


私はこの地震で何も失っていない部外者です。

そして、この地震に対して何もできない無力な素人です。

ただの「被災していない人」です。

被災していない人間に被災者の気持ちが分かるわけがないのです。

分かるわけがない相手に分かったようなことを言われたりされたりすることこそが、

相手に「被災者の気持ちなんて結局誰もわからない」を痛感させます。

とにかく、自分にできることなど何もないことを受け容れることが必要です。

「何かしよう」という気持ちが、本当に自己満足ではないのか、よくよく考えるべきです。


政府の大規模な財政出動に理解を示すこと、増税を受け容れること、

節電など、政府の呼びかけに応じて、不便を受け容れること、

被災者の苛立ちや要望をただ受け容れること、

プロが呼びかけるボランティアや募金に参加すること。

これくらいが関の山なのです。


「被災経験のあるあなたに訊きたいが、被災地に対して何かできることはないか」

と友人に訊かれたので、こう答えました。


まずは、呼ばれでもしないかぎり、絶対に被災地に行かないことです。

被災地から出ようとする人、入ろうとする支援部隊や家族で

アクセスはただでさえ大混乱ですから非常に邪魔です。

統制もとられておらず装備もなく訓練も受けていない「ボランティア」は

ただの野次馬観光客です。何の役にも立ちません。

自衛隊は、食糧から水から燃料から寝具から、全て自前で用意して出動します。

しかし、手ぶらのボランティアは、

被災者が食うべきものを食い、被災者が飲むべき水を飲み、

被災者が寝るべきところで寝るのです。

完全に現場指揮に従うのであれば、

しかも生き地獄での救援活動に耐えうる技術と精神力を備えているのであれば、

行ってこればいいと思います。


次に、要請されないかぎり何も送らないことです。

何が不足しているかもわからずに送られてくるものは、千羽鶴と同じゴミです。

「着るものがないだろう」とボロを送られても馬鹿にされたと思うだけです。

水もガスもないところにカップ麺を送られても意味ありません。

現場に何が必要かを理解しているのは現場のプロだけです。

「○が不足しているのでどこに送って欲しい」という呼びかけに応えるのであれば、

ぜひ送ればいいともいます。


そして、ぜったいにこちらから安否確認の通信をしないことです。


安否確認したいのは被災していない側です。

被災していない側が安心したいだけです。

安否確認などされても被災者には何の益もありません。

安否確認で電話することは、

通信が復旧しきっていない情況で、

被災者でない側が安心したいがために通信を使用する行為です。


要はプロに任せることです。

16年前、遠くのまちの名前が書かれた消防車やパトカー、

そしてなにより規律正しい自衛隊が来てくれたときには、

ほんとうに嬉しかったです。

彼らは、これまでに見たどんな人間より気高かったです。

彼らはプロとしての技術を持っていましたし、

彼らは私たちに感謝されることなど求めていませんでした。

被災地に必要なのは、プロだけです。


私のところで学生のころ活動をし、

そのあと陸自の士官になった女の子が、きょうから災害派遣で被災地に行きました。

彼女は、明確に被災地に必要とされている人間です。

16年前の私に、人生を日本のために使うと決意させてくれた災害派遣の自衛官として、

彼女が岩手に行くことがとても誇らしいと同時に、

無力な自分の被災地に対する気持ちは、彼女に託すことにします。


被災地の復興と、自衛隊の活躍、そして、大切な友人である自衛官の無事の帰還を、

心から祈ることだけが、無力な私にできることです。














きのう、自分のブログに書きました。


> 私はこの地震で何も失っていない部外者です。

> そして、この地震に対して何もできない無力な素人です。

> とにかく、自分にできることなど何もないことを受け容れることが必要です。

> 「何かしよう」という気持ちが、本当に自己満足ではないのか、

> よくよく考えるべきです。


大きな反響をいただいてびっくりしております。

そして、「それでも自分にできることはほんとうにないのか」
というご連絡を、遠くに住む方からいただきました。


「できること」を改めて考えました。

考えて出た結論は、

落ち着いたという雰囲気になってきたときに行動を起こすことでした。


テレビに「復興した」というニュースが散見されだしたときこそ、

動き出すべきときです。

テレビは感情に訴えかけるエンタメなので、

感動的なドラマを放送するために、「復興」を放送します。

しかし、ほんとうの復興など、そんなにすぐできるわけがないのです。

そういう報道が為されだすくらいから、

必要な物資や、必要な人的支援や、必要な資金などが明確になってくるいっぽうで、

反比例的に「助けを求めている!」という報道は減少します。

さっきまで国じゅう挙げて「力を合わせて」といっていたのに、

さらっと忘れるのです。

そういったときにこそ、小さな情報を拾って、

みんなに呼びかけてあげてください。そして応えてあげてください。


いまみたいに、テレビが連日特番をやっている情況では、

みんな「なにかしたい」と思っています。

献血に長蛇の列ができたりするのです。

それはそれで、たいへん価値のある行動だと思います。

しかし、血液もいつまでも保つわけではないので、

献血の行列がなくなりかけたときこそ献血をするべきです。


いま、自衛隊、全国の自治体の救援部隊、さらには外国からの援軍も

被災地に投入されていっています。

彼らがまずは現地入りして、救援の統制系統の下地を整えた状態であれば、

ボランティアは活きてくる可能性もあります。

ただし、彼らの指揮下に入ることが最低条件です。

テレビで「ボランティアのやる気を削がず自由に活動させるべき」

などと、”有識者”が言っていましたが、とんでもない意見です。

指揮命令系統のない大人数など、現場の復旧活動の邪魔になるだけ。

やりがいや自己満足を求めて現場入りするのは最大の迷惑です。

自分のためではなく、部隊の指揮下で日本のために自分を犠牲にできる人だけが、

「ボランティア=義勇兵」として現地入りすべきです。


では、「たったいま、ここで」できることは。


いま、私たちができることは、「呼びかけに応えること」です。

「呼びかけたい」のであれば、「呼びかけに応えよう」と呼びかけるべきです。

政府、各自治体、身元のしっかりした組織や企業の呼びかけに、積極的に応えるべきです。

YAHOO!


Google


日本赤十字社


なにより、いまできることは、募金を「すること」です。

(独自に街頭に立ってよびかけることではなく・詐欺が横行します)

呼びかけるとすれば、身元のしっかりしたところへの募金を呼びかけるべきです。

それくらいしかないのです。

でも、いまはそれがいちばんありがたいのです。

私たちは復興に必要な技術を持っていません。

私たちは復興に必要な訓練を受けていません。

でも、それぞれの財布から出る色のついていないお金は、

絶対に復興の邪魔になりません。


   ■   ■   ■   ■


また、この災害は、明確に国難です。

株価も下落し、甚大な経済的損失も待っています。

そして、それは国民が働いて埋めていくしかないのです。


だからこそ、被災していない人たちは、

それぞれのところで、一所懸命規律正しく働いて、税金を納めることこそ、

ほんとうに被災していないみんながやるべきことです。


日本はこれくらいでは沈まないのです。

なぜなら、私たちはまだ生きていて、きょうも規律正しく一所懸命働けるからです。

「大災害にもかかわらず暴動が起こらない・秩序が乱れない」と、

外国人たちは、日本人に対する敬意を新たにしています。

だから、首都を空襲されても、原子爆弾を投下されても、日本人は強く生きているのです。

そんな記憶はない私も、阪神大震災で被災して生きているのです。


だから。

日本人としての誇りを失わずにそれぞれの場所で強く生きることこそが、大切なのです。








西宮は被災市です。

16年前、全国から助けてもらったまちです。


「○○県警」と書かれたパトカー、「○○市消防局」と書かれた消防車、

モスグリーンのトラックを連ねた自衛隊。

きっと遠くから来ただろう彼らは、とても規律正しくて、

彼らこそが、私たちに「国は俺たちを見捨てていないんだ」と思わせてくれました。


西宮市からも、給水の水道局の部隊と、

兵庫県緊急消防援助隊の一員としての消防局が、東北に向かっています。

1000km離れたところからやってきた

「西宮市」と書かれた車輌と、規律正しい西宮市職員は、

きっと被災地に「国は俺たちを見捨てていないんだ」と思わせるはずです。