こんばんは、mmm(まーママ)です。
5月29日(土)
先週に引き続き、1泊2日ウォーキングの旅。
まーパパ、毎回歩く場所を工夫してくれてます。
今回の旅のテーマは「長崎街道をゆく」。
■長崎街道とは
江戸時代に、小倉から長崎までの52里を25の宿で結んだ九州随一の幹線道路。長崎に入ってきた海外の情報をいち早く江戸に届けるために整備されました。
まずは、彼杵宿(そのぎしゅく)。
■道の駅 彼杵の荘
長崎県東彼杵郡東彼杵町彼杵宿郷747-2
こちらから、スタートです。
最初に見つけたのは、
■彼杵神社
長崎県東彼杵郡東彼杵町蔵本郷1880-1
彼杵御茶屋(本陣)があった場所です。本陣(宿泊所)は、幕府の要人・大名等が利用しました。
親和銀行彼杵支店の敷地内に赤レンガの通用門が残ってました。
彼杵宿脇本陣跡
脇本陣は、上級武士の宿泊所として利用されました。
元禄船着場跡
長崎街道の往来がひんぱんであった江戸時代から明治にかけては、長崎からの商品や各地の産物をはじめ、五島近海で捕れたクジラもこの港に荷揚げされたあと、九州各地に運ばれ、彼杵宿は大変繁栄しました。
八坂神社
日本二十六聖人乗船場跡
日本二十六聖人は、西暦1597年長崎の西坂でキリシタン宣教師、信徒であるという理由で処刑された日本最初の殉教者。
綺麗な海が広がってます。
本町万部塔
江戸時代の初頭、キリスト教の追放が強化されました。長崎街道沿いや集落の中に仏教徒の証として15基の宝塔が建立されたもののひとつが残ってます。
長崎街道、まだまだ続きますが、彼杵宿編はここまで。
まーパパ、街道を外れて次の目的地へ向かいます。
どこに行くのかな?
【長崎街道彼杵宿を通った人々】
シーボルト(商館医師)
ケンペル(商館医師)
伊能 忠敬(測量技師)
広瀬 淡窓(儒学者)
吉田 松陰(儒学者)
などなど・・・