わたし、なんだかんだ、

いい子ぶってたんですよね。

子どもの頃からずっと。



小さな反抗はしたけれど、


最後には、必ず、親に怒られない道を、

選ぶようにしてきたというか。


すごく怖い親だったので。




考えてみると、でも、それって、

あきらめてたって、ことなんです。

自分を通すことを。




あ、あの時も、あの時も。

あきらめた瞬間のいくつかは、

今も、思い出すことができます。


その時私は、外からは、

「いい子」

に見えたはず。

もしくは、何もいわない、

「おとなしい子」に。




同じことを、

大人になっても、やっていた。

その時、私は、やっぱり

「いい子」

に、見えたはず。

または、最近流行りの、

「わきまえた女」に。






その方が楽だから、

と、思っていました。



でも、それって、


あきらめなんです。

状況と、そして何より、

自分というものに対する。



「自分なんて押し通して何になるの?」

と思っていた。

つい最近まで。


でも、どんなに自分をあきらめても、

自分はついてくるんですね。

あきらめた自分が、残るだけ。



誰かをがっかりさせたとしても、


あきらめた自分に、

自分でがっかりするよりは、

ずっといい。



まずは、自分を、

あきらめることをやめる。

自分で自分に期待する。



「あなたには無理よ」

という、呪いの言葉を、

自分で打ち消す。 



そこから、はじめてみようと、

思います。


(写真: 子どものセーターに付いた水滴が綺麗だったので、思わずパシャリ)