見据えて見据えて見えてくるもの、これこそが真実の現実、という考えで、そういう絵を見たり文章を読んではっとすることが多々あります。おしょうゆとしょうがでそのまま。しかし、食べても食べても減らないので飽きて、とは贅沢なのですが。少々飽きて。きょうはサンドイッチにはさんでみました。梁がちょうど椅子になって、まるで芝居小屋のようだった。抑揚のあるおじさんの声、驚いたときの声をだすときはおじさんの目は飛び出すぐらい大きくて、チェコ語でもなくイデッシュ語でもなく広く読まれるだろうドイツ語で伝えたかったものは、ぬるい自己ではなくかなり強い渇きといえて。異界への入り口は見つけにくいものか。通じたつながったそれはとてもうれしいこと。表現には感性が大事だとよく言われるけれど表現というのは芸術作品を創るためのことをさすわけじゃなくて橋をかけること。ひとつの歌が、その人の手元に降りてきて、ひとりの人を通してまた違う人へ届いていく。楽しい時間はそうやってあっという間に過ぎた。女の転職
