魔の力対仏の力(5)
法華経宝塔品に六難九易という言葉がある。日蓮大聖人が若き頃、全宇宙に瀰漫(びまん)する魔軍を完全に破ることの険しさに壮絶な魂の戦いがあった。そのときふっと大聖人のお心に浮かんできたのが、六難九易という言葉だった。 仏の滅後における法華弘通は、三世の諸仏の願いである。その困難をすべて知り尽くしたうえで、仏は後継の菩薩たちにあえて「挑戦すべし」と呼びかけられた。六難九易は、いわば「仏意」を表現しているのです。 それは「誓い」を立てて法華経への信を確立すれば、乗り越えられない難はないという、末法の法華経行者への厳然たるメッセージであると考えられる。ここで「九易」の例として大聖人が挙げられている三つの譬えに注目してみたい。そのなかで大聖人は、あえて「我ら程の小力の者」「我ら程の無痛の者」「我ら程の無智の者」との表現をとらえ、凡夫であることを強調されています。
ここには、肉体的な力がなかろうと、神通力がなかろうと、智慧がなかろうと、誰人であれ確固たる誓いをもって仏と共に歩めば、無限の力、無限の勇気、無限の智慧がわき、いかなる大難も超えることができるという、無限の希望のメッセージが込められているのではないでしょうか。ここには、肉体的な力がなかろうと、智慧がなかろうと、誰人であれ確固たる誓いをもって仏とともに歩めば、無限の力、無限の勇気、無限の智慧がわき。いかなる大難も超えることができるという、 無限のメッセージが込められているのではないでしょうか。
力なき凡夫でも、悪世において誓願をもって信を貫けば、自分の生命の奥底から仏界の力を湧現して、苦難を超え、自分を変革していける。反対に言えば、どんなに”大力“の者も、”神通力“の者も、”智慧”者であっても、成し遂げ難いのが、一人の人間の生命の変革なのです。 (池田先生の講義開目抄誓願から)
去年2025年の5月 日本語御書講義でこの部分を勉強した。“力なき凡夫”この部分、 ”私や” と思った。今でいえば毒親に育った。襲い来る家族の宿命と一人戦った。私には何もない。けれどこの仏法を証明するという御本尊様との誓いは過去世からの請願だったとわかった。
学会の大幹部というのは皆自分に酔っている。自分を見つめるのが怖いのかもしれない。大幹部だけではない普通の人もそうだ。自分にうぬぼれなければ生きていけないのかなとも思った。 自分の魔とたった一つ対自できるのが鬼滅の刃、南無妙法蓮華経の唱題行です。苦しいけれど、自分の心が観れるようになれば、生命境涯は変ってゆく。
御本尊様が会いなさいと機会をもうけて下さった財津夫人。彼女は私の体験を読んで、「あなたは嘘つき あなたの書いていることは全部嘘、作り話よ。皆からちやほやされたくてデタラメ書いたのよ。ほんと貴方はすごい人ね」という。それは貴方のことでしょうと思った。人は自分の生命で人を観る。財津夫人は財津氏がSGI理事長になって、私は理事長財津夫人様、偉いのよ。私を敬いなさいとメンバーを見下してうぬぼれ、その心に魔が入ってしまった。私があった時は魔女のような顔をしていた。元々性格の悪い人のように思う。だから財津さんは浮気する。70年以上も信心してきて人生の最終章が魔女なんて悲しすぎる。
元検事だった元婦人部長リンダジョンソンは、最初から大幹部の階段を駆け上がった。私は偉いのよ。SGIに検事なんていないでしょう。私は頭がいいのとメンバーを見下していた。同じ体験を何度も話す。それは凡夫の悟りなのだけれど、自分は悟りを得たと思っている。けれど、以前、彼女の体験を読むと、亡くなった酒乱だった父親を生命の奥底で酷く憎んでいた。その心に魔が入る。去年パリセーデスの火事で家が全焼と聞いた時、宿命を転換する時ではと思った。魔は絶えず貪・瞋・痴・慢・疑の生命の人を探し、心に入っていく。
今、創価学会本部を牛耳っている原田会長はぼくちゃん創価学会の会長だよ。東大出だよ。偉いだろ。創価学会で一番偉いんだ。ルンルン。慢心そのもの。人に対する優しさも包容力もない。臆病で冷たく傲慢なロボットのような人間だ。メンバーと対話することがない。魔に牛耳られて久しい。天魔の目をしている。 東大出身と聞くと日本人は皆ぺこぺこする。人間性など関係ない。日本ではこういう考え方が主流です。
「池田先生は公布の実践者を仏のごとく敬え」とおっしゃっているが、原田会長は「法華経の心」の反対を行く。自分を批判する人を創価学会から次々と除名している。彼は大勢の批判の中でもうぬぼれが強すぎて、自分は正義なのだと錯覚している。その灰汁(あく)の強さに辟易する。トランプと同じ。信心のない朝晩勤行唱題をしない人達、つまり御本尊様とつながっていないメンバーばかり残って原田創価学会をやっている。東大出の凡々息子を会長にしようとしている。こんな会長、もうやめてほしいというのが多くのメンバーの切なる願いです。
別に大幹部だけではない。メンバーも功徳(顕益)を頂くと体験発表し、もう自分は最高と有頂天になる。そこに魔が入る。もしその人に謙虚さがあれば気が付くかもしれない。唱題を続けていれば守られる。 御書を読むと、そのころの門下が、これこれの功徳を頂いたと大聖人様にご報告する。すると大聖人様はほんとに喜ばれる。けれどその次に益々信心に励んでくださいとおっしゃられる。人はすぐ天狗になる。それを戒めてられるといつも思う。
「月々日々に強(つよ)り給(たま)え。すこしもたゆむ心あらば、魔(ま)たよりをうべし」(聖人御難事) 御本尊様から離れてゆくと少しずつ心が魔に染まってゆく。魔にそそのかされて自分を正当化してゆく。
悪に洗脳されてしまった心に対抗できるのは悪を見破る信仰で培った強い心だと思う。
【広布の実践者を仏の如く敬え】 1993年2月2日にマイアミで行われた代表者研修でのスピーチ(抜粋)ワールドトリビューン4月3日2026年号
「仏」の別名の一つに「能忍」がある。一切を能(よ)く忍ぶ、その「徳」の究極が仏なのである。どんな嵐にも耐えきって、厳然と生き抜いていける力。それが信仰の力である仏の仏足る証(あかし)である。御本仏日蓮大聖人がその模範であられる。
御本仏に連なる我が創価学会の牧口先生、戸田先生も、投獄の嵐を耐え抜かれた。私も、会長就任以後だけでも30余年、ありとあらゆる迫害、謀略、裏切りにも耐え抜いてきた。
【体、頭、心を強く鍛えよ】
“強く”なければ、人生には勝てない。広宣流布もできない。”強く“なりきることこそが、人間革命の姿である。
戸田先生がよく言われていた。「体が強く、頭も強く、心も強い人間になれ」と。「体」が弱ければ、自分も家族も苦しい、「頭」が強くなければ、真実を見抜けず、悪に騙されてしまう。社会で大きな価値も生めない。賢明でなければならない。そのためには唱題を根本にして、教学をはじめ、学びに学ぶ必要がある。頭を鍛える必要がある。そして体も頭も、それを生かすのは「心」である。どんなに健康で頭がよく、どんなに裕福でも、心が脆弱であっては、幸福もまた”脆弱な幸福“でしかない。なかんずく信心の「心」こそ一切を生かすものであり、鍛えに鍛えなければならない。すぐに、へこたれたり、グチをこぼしたりする。「弱き心」では生活と社会で勝ち抜けない。そして生活の中、社会の中にしか、仏法を証明する場はないのである。
「体も強く」「頭も強く」「心も強い」そうした真の仏子、真のSGI(創価学会インターナショナル)メンバーをめざしていただきたい。そして自分よりも弱い立場の人、悩める人を守り、男性は女性を守りながら、自他共に”揺るがざる幸福“の盤石な人生を築き上げていただきたい。 (中略)
「仏子」を尊敬せよ。「正法広宣流布の実践者」を仏のごとく敬い、大切にせよ。これが釈尊の最後の言葉であり、”遺言“であった。そして、大聖人が「最上第一の相伝」といわれた、法華経の根本精神なのである。
【法華経の心が世界平和の鍵】
日顕は大聖人からの正しい相伝を受けているとはいえない。彼らは仏子を侮蔑し、人間を侮蔑する。大聖人は仏子への尊敬と人間への尊敬を教えておられる。仏界を具する「人間」への礼拝、尊敬を教えておられる。この人間を尊敬する「法華経の心」がひろまるとき、世界は真実に平和になっていくにちがいない。その時こそ、人類は、権力によるものでも、武力によるものでも、経済力によるものでもなく、生命の「法」によって ”連帯“することができる。「法」は永遠である。ゆえに、その絆も永遠となる。大聖人は、その”世界平和の秘術“を教えて下さっているとも拝される。この「最上第一の相伝」をひとり実践しているのが、わがSGIなのである。
ちょうどこの池田先生のスピーチが4月に届いたので書きました。 いつも一緒だった三匹の猫ちゃん達、たまは数年前16歳で亡くなり、去年の5月27日にチャーリーが18歳で亡くなり、最後まで残ってくれたジョージが、今月5月22日20歳で亡くなりました。猫ちゃん達がいなくなったら家を売って日本に帰ると宣言していたのですが、日本の酷暑には二の足を踏んでしまいます。
人には未来はわからない。御本尊様を胸に生きていく。 そうゆえば29年前5月31日の今日、日本を立ち御本尊様を胸に5月31日ロスアンジェルスに着いた。これから新しい人生が始まるのだと思った。まるで昨日のことのように思う。