2022年12月15日にぽめは10歳になりました

それからブログを開くのが辛くて

更新出来ませんでした



2022年7月2日深夜12時にぽめが

私が居るリビングに起きてきました

呼吸が速くお腹て呼吸をしていたので

夜間救急を探し急いで行きました


救急病院でレントゲン、血液検査、

中程度の肺水腫の診断

肺水腫の処置をしていただき

ICUに入りかかりつけ医の診察が始まるまで

救急病院で数時間の入院


私達は駐車場で待ち

救急病院から検査結果、

処置等の報告書のようなものを渡され

主治医に渡すように言われました


かかりつけの病院に着き

受付で深夜から朝の状況を説明し

一刻も争う状況なはずにも関わらず

呼ばれたのは9時半を過ぎ


実は、ぽめは2022年6月27日深夜にも

呼吸が速くお腹で呼吸をし

伏せも出来ずお座りをして眠くても眠れず

やはり酸素室のある救急病院を探し

6月28日のかかりつけ医が始まるまで

数時間の入院をしました

その時の救急病院の先生の診断は

重度の肺水腫、朝までに

亡くなる場合もあります

この事は長女だけが聞いていました

長女が救急病院からかかりつけ医に

ぽめを預ける時に

救急病院からのCD‐Rを主治医に渡したそうですが見てないと思うと言っていました


この件もあり主治医はまた救急病院に行ったの

という顔をしました


9年以上お世話になっていたのでわかりました


2021年10月の肺炎で入院以降

8ヶ月以上、毎週日曜日に1日点滴入院の

一般ゲージでぽめは頑張ってくれました


興奮しやすいから遠くのゲージに

ぽめは入れられていました


7月2日も遠く離れた一般ゲージのはずです

これは私の予想ですが


後日せなんの薬の内容を聞く為に

電話で看護師さんに

ぽめは最期、ICUに入れてもらえたのかを

聞いたところ

あやふやな返答だったのです


主治医にぽめを託し4時間半後の

2022年7月2日14時20分

ぽめが自分の体とさよならしました

14時20分の呼吸停止の

主治医の電話も私は信じていません

多分もっと早い時間に遠く離れたゲージで

ひとり吐血して最期を迎えたと思います


7月1日夜中から7月2日にかけて

クールなぽめが

私のそばから離れず

ママ苦しいよ

なんだか苦しいよ

苦しいよ

苦しいよ

ママ辛いよ

と、ぽめは訴えていたのに私は何も出来なかった


まさか居なくなるなんて今も

受け入れられないのではなく

受け入れたくないのです


毎日後悔の日々

さっきも泣いていたら

離れている所で寝ていたせなんが

慰めるように私の手を舐めてくれました







外面が悪く家では声も出さないせなん坊や

優しいこです

せなんが居てくれてるのに毎日悲しい

ぽめが恋しい

せなんが居てくれてることに感謝しているのに

悲しい

病院の選択、自分の出来る事があったはずの

後悔ばかり

いつになったら楽しかった思い出が

思い出せるのかな






どうもありがとうございました。