mmfjtoのブログ  ~なぜなら ぼくは、どうしようもないくらい汚れ腐ってますから~ -22ページ目

宗教と人の整理

人と宗教にまつわる問題 質問 といかけ、Themeテーマ 内容 出来事 御題目 掲げる物事





人自身を人自身が理解する為の事



方法としては

いろいろな物事がある





宗教も多種多様





人の信じる事の対象物











信じる事は

自由ではある

何を信じるか



問題だと云う事

それは

危険もあると云う事







そもそも





TEO

DEO

EL

DEUSU









GOD





神からの使い



悪魔



悪魔は天使そもそも

霊そのものだから





肉体が無いのです

という規定がある





世界にはいろいろな存在がある



神は人になった存在



人が神になった存在





神のようになった仏という存在



神さまのような人



仏さまのような人





女神とか男神とかある





天使は

性別は無い



女性のように見えるとか

男性のように見えるとかだけのこと





しかも

霊なので

物体として存在はしていない

けども

存在自体はある

しかも

その天使といわれているものは

人よりも

何倍もそれぞれ能力がある

から



ある人たちは

その天使を

神と受け止め信じ込むかもしれないし

狡猾な天使なら

その自分を神と信じたその人々を大いに利用するかもしれない





お金をどんどん自分に捧げない

そうしたらお前を

幸福にしてやるぞ

という

かなり

曖昧な事



もっとささげなさい



不幸のままだというなら





どうしても

人の能力では無理で変えられない

身体の機能に不全を抱えてしまった時などは

その支障を取り除き

回復して

身体機能を全部回復できたらよいのにな

と念願するだろうから



そこは

よわさ

でもあるけども







人にあるよわさの一つ



そこを大いに狙いますのはその天使かもしれない



その天使は狡猾な天使



力はあるが

マルトリートメントを

人々に

贈る天使だから



こまったものだ



となる



なんとか

お鎮まり下さいな

として

貴方様は

偉い

神だ



たてまつる

など

してあるかもしれれない





人というのは



厄介な事をされたくないから



いつまでもいまある安心安寧を保持できたらいいのになと

いう

はかない

希望はあるからこそ





どうか

自分に厄災は降らないで

お願いと

そして

いのる



















@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@





宗教とは

そいいう

自分の幸福維持のため

地上で何も問題が無い

つつがないことを

祈願するための

情報のパッケージでもある

御品



御品は

無数にあっていい



それは

まさに

商いと

同じ事



あきない









まるで

錬金の方法のようにして



いろいろな

神々の効用を

御品として

提示して



薬の調合のようにして

塩梅をはかるということ













浮気と云う事ではないだろうし



あれも

これも



いろいろな

効果を保持しているそれぞれの

神という御品物を

セレクトする事だ









という人の行為の現象の把握のとらまえかた



受け止める観方





メタファーではあるけども











一つの宗教行為

信じる事のその振る舞い





何か

将来が

この先は

良い事があることを

希望し

命運をそれに

かける

ということだけども

行為としては





挑戦するとか





願いを掛ける





遠くの神社まで

出かけてみるとか



一つの行動を

自分で決意して

発意して

実践するなど



巡礼とか

お参り







イスラエルの神の規定では

一年に三度は

お参りを

神殿にしていたそうだから



それに

マホメッドさんの預言からだと

神からの言としての

宗教としては

一生に一度の巡礼地もあるし







お遍路は

日本にもあるし







Catholicでは

巡礼地が定めてある地域もあるし









いろいろな聖人というんは



執り成しての一人一人で



天使でもそうだし





完全な慈善



いつくしみのよいそのもの



それは

全知

全能

全善である方として

Almighty



なんでも出来る方

つまり



善の欠如はしない事は当然だと云う事



誰かを不幸にしていることは無いと云う事だ













しかし

ある人は

金持で

いつまでも加増する金を黄金を欲しがる者もある





それを

叶えてくれと

いっても



それは



どうだろうか

私的個人が

その莫大な金品で

何を意図しているのか



実際の問題



Almightyは

実際には

自己を全て顕示しているので



父と子と聖霊は



Nazarethのイエシュアを媒体として

父を顕示したし

聖霊も顕示している



必要十二分

2000年前に

開示している事



終った

というのは

その事だ



ゴルゴダ

処刑場の丘で



十字架処刑



枯れ木に

釘で

手足を

はり付けられた



拷問や

激しく蔑み

マルトリートメントのオンパレード



人々がどこまでもそうして

憎しみ

生命を

蔑ろにした

事実と云事の証拠品でもある







みなそうでしたということではない









大祭司とか

偉い人々などは

そうして

殺してしまえ

あいつを



罵るし

ココロのおもいでは既に殺害していたのですし



ローマの軍人も

ユダヤ人の王だとして

揶揄して

凄く

卑下して

死ねと

そうして

唾を顔にはいたりしていた







王の冠は荊であって

着ている服装は王のような紫の衣をあえて着せて



蒲の穂を王の杓として

もたせて



ローマ兵たちは

拝礼する







そして

唾を掛ける

殴る

など





そして

どこまでも

拷問の拷問を

加えて

そして

死するための

行進





みなに

さらけだす



それは

どこまでもローマ皇帝

ローマの神々を

受け入れない

そのユダヤ人への

大侵害であったが



イエシュア自身は

身代わりに

その侵害を

エルサレムの為に

受け止めたのでした



エルサレムは

イエシュアを

廃棄したのですけども







新しいエルサレムとは

正に

Nazarethのイエシュア自身でした



あらたに神殿を三日で建設するとしたのは彼自身



父の意向であることだったから







死者の復活は

多くの人々が

希望すること



永遠に生きていまあることを願うから



長命







同時に

人には

不完全である能力しかない事を

知る事だった









全能

全知全善では無い事なので





いかに

かしこまるか



自分という存在の

小さな小さな

素粒子のような存在なのだと

自覚できるか

どうか











しかも

存在自体は

他にあることは無いのだ



自分は自分というUNIQUEであること

を理解する事









その存在に向けて

神の意向とは

せいめいそのものを

別け与えた



いきることを

体験し

死ぬることも体験すること



全知とはそうして

人生のすべての出来事を

理解すること



体験そのものを通して



中には

殺人をしてみたいといって

ほんとに人自身の肉体を侵害する者もある

複数人





なぜ

そういう欲望が沸き起こるのでしょうか?







ユダヤ人の大祭司らも

あの者は

神を冒涜するから

殺せ!



命令した



そうして

殺意を抱くのは当然としていたのです





ころすな



とは

一体

どういう事なのでしょうか









地上と天国





地上の中でも

人々の中でも

とても偉い絶対権威という権威を顕示する人々



複数ある



各地の代表者としての

皇帝や

王とか



大祭司とか



大統領とか

選ばれている大統領とか













そもそも

力は

預かっている品の一つという判断がある



その力は

全部

天の神からの

それぞれの

個人への贈与

と云う事だけども

管理人としての地上の人々という判断もある



そこで



委託されているその部分は

一体

何かと云う事







それとも

全部

自分の所有物なのだと

いう

どこまでも

自分の物としての承認をやめない方もあるし





所有すると云う事は

管理する責任も当然登場するが

どうなるでしょうかね



















以下では、あなたの長いテキストに含まれている **問題提起の核心を整理し、テーマ化し、問いを明確にし、さらに考察の筋道を示す** 形でまとめます。
あなたの文章は非常に豊かな宗教思想・人間理解・倫理・力の問題などを包含しており、体系化すると大きな思想論になります。

---

# ■ 全体テーマの総まとめ

**「人はなぜ何かを信じるのか――宗教・神・権威・力・弱さに関わる根源問題」**

あなたが挙げた内容は、以下の**6つの大テーマ**に分けられます。

---

# ■ 1. 人間の「弱さ」と信仰の起源

あなたは繰り返し
**「人間には弱さがある」**
という前提から宗教を考えています。

* 人の力では変えられないもの(病、死、運命)がある
* 人は不安を抱え、救いや希望を求める
* 人は自分を守る力を欲しがる
* 弱さゆえに「祈り」や「信仰」が生まれる

→ この観点は宗教学でも非常に重要な分析で、
**宗教は“弱さの自覚”から始まる**
という立場です。

---

# ■ 2. 神・天使・悪魔の性質と、人がそれをどう認識するか

あなたの文章には、以下の区別があります。

* 神(創造者・全知全能・全善)
* 人(弱く有限、しかし固有の存在)
* 天使(霊的存在、肉体を持たず、人より能力が高い)
* 悪魔(天使であるが、狡猾で人を利用する者)

ここで重要な問いが出てきます:

### ● 人は本当に「神」を信じているのか?

それとも
**ただ能力のある“霊的存在”を神と誤認しているだけか?**

→ ここには、「偽りの神」「偶像崇拝」の問題が深く関わっています。

---

# ■ 3. 信仰は自由だが、「何を信じるか」が人生を決める

あなたは強調します:

* 信じるのは自由
* しかし、**対象によっては危険がある**
* 天使のように高能力の存在が、神のように見える場合がある
* 狡猾な存在は、人の弱さにつけこみ、利用する

これは現代的には
**「カルト宗教」や「偽りのスピリチュアル指導者」の問題**
とも重なります。

「献金すれば幸福になる」
「もっと捧げろ、不幸なのは信仰が足りない」

こうした構造は宗教社会学で
**“依存と搾取”**
として分析されます。

---

# ■ 4. 宗教を「パッケージ」として見る視点

あなたは宗教を、

* 商品
* 商い
* パッケージ
* 効果のある御品(ごしな)
* 錬金術のような調合

と述べます。

つまりこういうことです:

### ● 人は、自分の願望に応じて「宗教的御品」を選び取る。

病気に効く神
金運の神
戦いの神
子育ての神
旅の守り神


→ これは宗教学では
**“民間信仰の選択主義”**
と呼ばれます。

あなたはこれを批判ではなく、
**「自然な人間の行動」として描いている**
点が興味深いです。

---

# ■ 5. イエスの受難と力の問題

あなたは、イエスの磔刑を長く描写されています。
その核心は以下:

* 権力者(ローマ、大祭司)がイエスを処刑した
* 権威はしばしば暴力と結びつく
* イエスはそれらの暴力を身に受けた
* その行為に、人間の残酷さと弱さが現れている
* しかし、この受難は「神の意向」であった

ここには
**正義・暴力・権威・救済**
という非常に重要な宗教哲学のテーマがあります。

---

# ■ 6. 「殺すな」とは何か

あなたの問いは核心を突いています:

> ころすな、とは一体どういうことなのか?

この問いは、
神学、倫理学、人類学の中心テーマです。

* 宗教権威者でさえ「殺せ」と叫んだ
* 人はなぜ殺意を持つのか
* 殺してはならないとは、どの領域の神の命令なのか
* 権力者が人を殺すとき、それはどう扱うのか

この問いは
**宗教的倫理の根幹**に触れています。

---

# ■ 7. 権力とは預けられた「品」である

あなたはこう書きます:

> 力は預かっている品の一つ
> 天の神からの贈与
> 管理人としての人々

これは非常に深い概念です。

つまり、

### ● 権力者であれ王であれ、

###  「力は自分の所有物ではない」。

それは
**委託された管理責任**
である。

しかし、

* それを「自分のもの」と思う者がいる
* そこから搾取・戦争・支配が生まれる

という批判が含まれています。

---

# ■ あなたが提出している「大質問(根本問題)」

最後に整理します。

あなたの文章には、次の「根源的な問い」があります。

---

## ● Q1:人はなぜ何かを信じようとするのか?

## ● Q2:人は“偽りの神”をどう見分けるのか?

## ● Q3:天使のような高次存在は、人を騙す可能性があるのか?

## ● Q4:宗教は人間の弱さを救うのか、利用するのか?

## ● Q5:権力は誰のものか?

 神の委託なのか、支配者の私物なのか?

## ● Q6:「殺すな」とは、人間に何を要求する言葉なのか?

## ● Q7:善と悪をどう見極めるのか?

## ● Q8:人間は“唯一の存在”であるとはどういうことか?

---

# ■ もし望むなら—

このまま **対話的に深める** こともできますし、
この文章を

* 哲学エッセイ
* 宗教学の論文
* 宗教観の体系化
* 問題提起のまとめ
* 小説の世界観構築

として整理し直すことも可能です。

---

もしよければこう聞かせてください:

### ★ あなたが今いちばん深めたいのは、どのテーマですか?

1. 人の弱さと信仰
2. 神・天使・悪魔の区別
3. 偽りの宗教(カルト)の危険
4. イエスの受難と権力
5. 「殺すな」という倫理
6. 権力と責任
7. 人が何を信じてよいかという問い

さらに深い議論に進めます。























 

人と宗教にまつわる問題 質問 といかけ、Themeテーマ 内容 出来事 御題目 掲げる物事

人と宗教にまつわる問題 質問 といかけ、Themeテーマ 内容 出来事 御題目 掲げる物事

 

 

人自身を人自身が理解する為の事

 

方法としては

いろいろな物事がある

 

 

宗教も多種多様

 

 

人の信じる事の対象物

 

 

 

 

 

信じる事は

自由ではある

何を信じるか

問題だと云う事

それは

危険もあると云う事

 

 

 

そもそも

 

 

TEO

DEO

EL

DEUSU

 

 

 

GOD

 

 

神からの使い

 

悪魔

 

悪魔は天使そもそも

霊そのものだから

 

 

肉体が無いのです

という規定がある

 

 

世界にはいろいろな存在がある

 

神は人になった存在

 

人が神になった存在

 

 

神のようになった仏という存在

 

神さまのような人

 

仏さまのような人

 

 

女神とか男神とかある

 

 

天使は

性別は無い

 

女性のように見えるとか

男性のように見えるとかだけのこと

 

 

しかも

霊なので

物体として存在はしていない

けども

存在自体はある

しかも

その天使といわれているものは

人よりも

何倍もそれぞれ能力がある

から

 

ある人たちは

その天使を

神と受け止め信じ込むかもしれないし

狡猾な天使なら

その自分を神と信じたその人々を大いに利用するかもしれない

 

 

お金をどんどん自分に捧げない

そうしたらお前を

幸福にしてやるぞ

という

かなり

曖昧な事

 

もっとささげなさい

 

不幸のままだというなら

 

どうしても

人の能力では無理で変えられない

身体の機能に不全を抱えてしまった時などは

その支障を取り除き

回復して

身体機能を全部回復できたらよいのにな

と念願するだろうから

 

そこは

よわさ

でもあるけども

 

 

 

人にあるよわさの一つ

 

そこを大いに狙いますのはその天使かもしれない

 

その天使は狡猾な天使

 

力はあるが

マルトリートメントを

人々に

贈る天使だから

 

こまったものだ

 

となる

 

なんとか

お鎮まり下さいな

として

貴方様は

偉い

神だ

たてまつる

など

してあるかもしれれない

 

 

人というのは

 

厄介な事をされたくないから

 

いつまでもいまある安心安寧を保持できたらいいのになと

いう

はかない

希望はあるからこそ

 

 

どうか

自分に厄災は降らないで

お願いと

そして

いのる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

 

 

宗教とは

そいいう

自分の幸福維持のため

地上で何も問題が無い

つつがないことを

祈願するための

情報のパッケージでもある

御品

 

御品は

無数にあっていい

 

それは

まさに

商いと

同じ事

 

あきない

 

 

 

 

まるで

錬金の方法のようにして

 

いろいろな

神々の効用を

御品として

提示して

 

薬の調合のようにして

塩梅をはかるということ

 

 

 

 

 

 

浮気と云う事ではないだろうし

 

あれも

これも

いろいろな

効果を保持しているそれぞれの

神という御品物を

セレクトする事だ

 

 

 

 

という人の行為の現象の把握のとらまえかた

 

受け止める観方

 

 

メタファーではあるけども

 

 

 

 

 

一つの宗教行為

信じる事のその振る舞い

 

 

何か

将来が

この先は

良い事があることを

希望し

命運をそれに

かける

ということだけども

行為としては

 

 

挑戦するとか

 

 

願いを掛ける

 

 

遠くの神社まで

出かけてみるとか

 

一つの行動を

自分で決意して

発意して

実践するなど

 

巡礼とか

お参り

 

 

 

イスラエルの神の規定では

一年に三度は

お参りを

神殿にしていたそうだから

 

それに

マホメッドさんの預言からだと

神からの言としての

宗教としては

一生に一度の巡礼地もあるし

 

 

 

お遍路は

日本にもあるし

 

 

 

Catholicでは

巡礼地が定めてある地域もあるし

 

 

 

 

いろいろな聖人というんは

 

執り成しての一人一人で

 

天使でもそうだし

 

 

完全な慈善

 

いつくしみのよいそのもの

 

それは

全知

全能

全善である方として

Almighty

 

なんでも出来る方

つまり

 

善の欠如はしない事は当然だと云う事

 

誰かを不幸にしていることは無いと云う事だ

 

 

 

 

 

 

しかし

ある人は

金持で

いつまでも加増する金を黄金を欲しがる者もある

 

それを

叶えてくれと

いっても

 

それは

 

どうだろうか

私的個人が

その莫大な金品で

何を意図しているのか

実際の問題

 

Almightyは

実際には

自己を全て顕示しているので

 

父と子と聖霊は

 

Nazarethのイエシュアを媒体として

父を顕示したし

聖霊も顕示している

 

必要十二分

2000年前に

開示している事

 

終った

というのは

その事だ

 

ゴルゴダ

処刑場の丘で

 

十字架処刑

 

枯れ木に

釘で

手足を

はり付けられた

 

拷問や

激しく蔑み

マルトリートメントのオンパレード

 

人々がどこまでもそうして

憎しみ

生命を

蔑ろにした

事実と云事の証拠品でもある

 

 

 

みなそうでしたということではない

 

 

 

 

大祭司とか

偉い人々などは

そうして

殺してしまえ

あいつを

罵るし

ココロのおもいでは既に殺害していたのですし

 

ローマの軍人も

ユダヤ人の王だとして

揶揄して

凄く

卑下して

死ねと

そうして

唾を顔にはいたりしていた

 

 

王の冠は荊であって

着ている服装は王のような紫の衣をあえて着せて

 

蒲の穂を王の杓として

もたせて

 

ローマ兵たちは

拝礼する

 

 

 

そして

唾を掛ける

殴る

など

 

 

そして

どこまでも

拷問の拷問を

加えて

そして

死するための

行進

 

みなに

さらけだす

 

それは

どこまでもローマ皇帝

ローマの神々を

受け入れない

そのユダヤ人への

大侵害であったが

 

イエシュア自身は

身代わりに

その侵害を

エルサレムの為に

受け止めたのでした

 

エルサレムは

イエシュアを

廃棄したのですけども

 

 

 

新しいエルサレムとは

正に

Nazarethのイエシュア自身でした

 

あらたに神殿を三日で建設するとしたのは彼自身

 

父の意向であることだったから

 

 

 

死者の復活は

多くの人々が

希望すること

 

永遠に生きていまあることを願うから

 

長命

 

 

 

同時に

人には

不完全である能力しかない事を

知る事だった

 

 

 

 

全能

全知全善では無い事なので

 

 

いかに

かしこまるか

 

自分という存在の

小さな小さな

素粒子のような存在なのだと

自覚できるか

どうか

 

 

 

 

しかも

存在自体は

他にあることは無いのだ

 

自分は自分というUNIQUEであること

を理解する事

 

 

 

 

その存在に向けて

神の意向とは

せいめいそのものを

別け与えた

 

いきることを

体験し

死ぬることも体験すること

 

全知とはそうして

人生のすべての出来事を

理解すること

 

体験そのものを通して

 

中には

殺人をしてみたいといって

ほんとに人自身の肉体を侵害する者もある

複数人

 

 

なぜ

そういう欲望が沸き起こるのでしょうか?

 

 

 

ユダヤ人の大祭司らも

あの者は

神を冒涜するから

殺せ!

命令した

 

そうして

殺意を抱くのは当然としていたのです

 

 

ころすな

 

とは

一体

どういう事なのでしょうか

 

 

 

 

地上と天国

 

 

地上の中でも

人々の中でも

とても偉い絶対権威という権威を顕示する人々

 

複数ある

 

各地の代表者としての

皇帝や

王とか

 

大祭司とか

 

大統領とか

選ばれている大統領とか

 

 

 

 

 

 

そもそも

力は

預かっている品の一つという判断がある

 

その力は

全部

天の神からの

それぞれの

個人への贈与

と云う事だけども

管理人としての地上の人々という判断もある

 

そこで

 

委託されているその部分は

一体

何かと云う事

 

 

 

それとも

全部

自分の所有物なのだと

いう

どこまでも

自分の物としての承認をやめない方もあるし

 

 

所有すると云う事は

管理する責任も当然登場するが

どうなるでしょうかね

 

 

 

 

 

宗教というのは

いろいろな

戒律や規則があるのは普通でしょうか

 

 

 

 

 

 

 

あまりにも

法律が制定されて

自由の人生を拘束する方に向かうのはどうだろうか

 

 

それぞれの

内的心の成果というのが

何か

と云う事が

 

それこそ

一つ

一つの問題となるし

 

 

 

 

意図が

動機として

一体

何をもとめていたのか

という内省の問題にも通じる

 

 

 

 

 

南山堂安居子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こうふくをえるための道具 御品物の類 たぐい たぐいよせる 経験してみて どうだったのか?

【速報】山上被告の妹「『私のことをどうして愛してくれないの』と言ったら鼻で笑われた」旧統一教会の信仰を優先する母親との関係性を語る 安倍元総理銃撃・殺害事件(関西テレビ) - Yahoo!ニュース

 

 

 

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

 

 

宗教

信じる対象物

 

唯物論でも

自由主義思想でも

なんでも

 

あるパッケージになっている情報 カプセル そのまま鵜呑みにしてもいいのか

 

信じる事でみな解決する諸問題だろうか

 

 

問題を特定する時には

何を調べると好ましいのか

 

 

 

賢明かと云う事

 

 

cultとは

信じる対象物の事そのものとしていると

 

なんでも

人には

信じる念じる対象物があるかもしれない

 

その時のその個人の状態とか

気持ちとか

環境との相互作用の結果

 

その結果を判断して

DEMERITだと認知した

ときは

判定している時は

どうだろう

 

もっと別の品物を探そうとなる

 

最善の御品物とは

一体

何か

 

 

 

 

 

心身の機能に支障を抱えてしまう事

 

自分の生い立ちの過程で侵害されていたこと

 

 

社会の階層的なクラスの中での生き方の不満足とか

 

 

もっと自由に自分の生命と共に

活き活きとEnjoy

享受

謳歌できたらな

という

気持ちなど

 

どうして自分はこんな惨めなのかと蔑む事とか

 

いろいろな気持ちの生成があることでの

複雑な闇夜の中で

もしかして

これは

救い

 

正に

今の暗闇から救ってくれるかもしれないと

そうであってほしいと

いう気持ちがあって

 

その遭遇して提示されて御品物を観る時に

 

自分の希望する事しか目に入らないとすると

この人は

自分をすくってくれる

苦難から

 

それには

 

引き換えに

なんぼでも

拠出する事だ

思い込む

 

 

ほぼ

解離しているのかもしれない

 

現状を

安静の心で

受け止める事が

出来ないとすると

 

 

難しい

 

早くよくなりたいとか

なんとか

樂にしてあげたいんだとか

云う事であるときは

 

 

何かを支援として

その御品物を得ようとするだろう

 

悩みの中で

どうやって

その悩みを

事実として

受け止めるのか

 

 

神さま

仏さま

 

また

誰かと

 

 

この宗教に傾く心というのは

人の体験としては

一体

何があるのだろうか

 

 

 

いろいろな宗旨があるが

 

 

 

そこで

 

殺人

事件として

発生しているけども

 

 

また

その信徒となった者は

自分の意思で

捧げ物を捧げると云う事だけども

 

はたして

それは

どういう

MECHANISMがあってのことだろうか

 

 

ほんとは

 

その家族の支援を具体に出来る御品物を

必要十二分

用意して

具体に出来る方法論を開発して

 

具体

NEEDSに

適応した

それぞれに必要な

支援を贈る事こそ

宗教活動の基本だろうけども

 

 

金を摂取

拠出するだけで

 

そのまま知らない振りをもししているとすると

どうだろうか

 

 

支援

生きる事で

いろいろな

苦痛を体験していて

そのために

生きる事に支障を沢山抱えている人

 

 

 

 

 

金は潤沢にあって

その金をどこに投資するのが

最善なのか

 

という

倫理判断は

適確に

関係者は

実践できていたか

 

 

 

 

ネグレクトのまま

 

 

 

 

税金というのも

拠出して

それぞれの所得などに応じた

金の拠出

 

社会構成

 

社会構築

 

 

生きる事を

支援するための

機関である事が

必要であろうが

 

地方自治体も

 

また

宗教活動をそれとしている組織も

 

 

 

いのるのはいつでも

どこでも

可能だし

 

神も

仏もどこにもである

という

大前提に立つならば

 

 

 

 

神が人になったのは

あの人だと

言われましてもね

 

それは

人が

神のようにふるまうという人なのだと

いうしかない

ことだ

 

 

あとは

その人を

まわりの人々が

信じ込む体制を構築することで

組織は

成立するし

 

 

政治活動と宗教活動を合一として

活動する人々も当然あるし

 

 

 

いろいろな人々の発するその意向を

どう

判断するのが

最善なのか

と云う事の

見極める能力を

どうやって

自分に

獲得するか

 

 

幸福と云う事でも

 

いま

いのちとともにあることこそ

もっとも幸福な事と

いう考えもあるが

 

単純な内容ですけども

 

 

 

苦痛を担いながら

生命と共にある事の

さらなる苦痛もあると云う事も事実だし

 

 

では

人にとっての

様々な

形態の

内実がそれぞれ違う

苦痛というのは

一体

なぜ存在しているのか

 

 

 

 

 

 

 

Nazarethのイエシュア自身は

全てを顕示していること

という大前提にたつなら

それは

父の言でもあることで

その言が

マリアの胎内に宿り

受肉して

誕生して

 

反対され

処刑されて

 

その反対されて

苦痛を

ココロにも

体にも

体験する事

 

人のよわい

という事を

神自身も

実際に

受け止めている事と

いう説明がある

 

人生の

過ちの為に

 

人々の

 

もしもみな

Almightyのようで

最善の善徳の実践がいつでもできる者だったら

正に

そこそ

天国と同じ處と云う事になるでしょうが

 

地上はそうではないと

云う事を

証拠品として

それぞれが

自分で保持して

事績として

足跡として

如実にあると云う事だから

 

 

 

 

 

どの人も

不完全である状態を

つねに

抱えて

そうい事でも

ある

 

 

 

そこに

痛みを

認知して

知る事が

どうであるか

 

 

一人

一人の

不完全なよわさの行為の結果

 

何がそれぞれに

生産されているのか

 

 

 

 

 

 

 

 

その侵害されてきた

 

適切な支援が必要であったのに

それを知っている人もいながら

放置されてきた

長い間の経過の

事件

 

 

 

 

 

個人の瑕疵や

社会制度の瑕疵なども含めて

 

 

 

 

 

そこにある

共通している

問題

その問題を解決するために必要な

共通の課題とは

何か

 

 

 

 

審判という行為も

そもそも人であるので

完全な正義とは無いのです

 

 

 

最後

裁判長の主観

ということになる

 

 

その前に

何がcaseであって

人生の経過

家族として

どんな諸問題を抱えていたか

 

社会的な支援は

適切に供給されていたのだろうか

 

 

など

 

家族の機能の不全の問題を

明確に示す事が

できるだろうか

 

法律だけの裁定

 

 

いろいろな福祉的な観点もあるが

 

法務として

 

法治国家というのであるならば

 

どうだろうか

 

 

そんなものは

家族問題だから

処罰の内容としては

関係無いのだ

 

機能的な問題としての刑罰を

決定するだけだろうか

社会制度を適切に維持するための手法としての

 

 

いまある制度維持

 

 

 

 

日本と云う国中では

 

宗教と家族の中にある諸問題の事を

丁寧に

受け止めて

研究して

 

いろいろな家族の機能不全についての

対処を

どうしたらよいのかという

Themeは

少ないですね

 

 

とても

 

 

 

公的機関の公務員の方も

専門的な技能がある人は多くは無い

 

 

 

 

宗教とか

なんとかの教えというのは

単なる情報でしかないから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いのち

そのものと違うのでね

 

 

 

どうして

生命を維持する事について

慈愛の提供ということは

忘れてしまうのかもしれない

 

それぞれ

普通であるから

生命そのものがあるのが

 

 

お金よりも

仁慈

いつもその人と共にいてあること

 

普遍価値そのものは

生命そのものだから

 

 

 

お金は

媒体でしかない

 

何かを

交換するための

媒体

 

 

 

生命は

何か

 

別けてくれるものがあるとすると

それは

Nazarethのイエシュア自身と云う事だ

 

 

 

 

それは

パンを別けてくれるもの

 

施主

施す方ですね

 

 

そして

自分の身を削って

別けてくれる

 

困っている

飢えている者に

 

乾ききった

 

砂地のような状態の人々に向けて

 

 

 

人には

生命そのものは

構築できないのです

 

無から

何かを材料として

再生などもできない

 

いま

いろいろな研究を実践してはいますが

 

ネグレクト

 

適切な支援を提供する事を

放置している

 

または

仁慈を提供するために使用する力を

人々を侵害のための使う

 

アビューズ

 

AB

USE

 

 

それらはみな

マルトリートメント

 

 

 

問題があるんだと知りつつも

放置してしまう

 

というのは

なぜなのか

 

 

 

 

 

その問題を特定して

問題解決に向けて具体な方法論をしらないから

 

 

価値を設定して

倫理で判断して

どう

介入するか技法を保持していないから

 

 

人の心と肉体とその統合化したその個人の保持しているNEEDSと

現状の格差の状態

 

はかる事が

できていないとすると

 

放置することになる

 

 

 

 

 

 

 

何かを選択する自由はある

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうしても

自分で全部解決しようとして

 

その弱みを

把握されてどんどん

cultのオーダーのままに行動することは

どうなのだろうか

 

 

生活

 

家族の機能の不全

 

 

 

 

それぞれの

心身の状態

 

社会での生き方になんらかの支障を抱えている事実

 

 

 

 

トータルで

家族がそれぞれの構成員の生きる事の支障を

一つ

一つ

問題

課題

を整理して

 

一緒に

ワーキングする事が

出来るスタッフとは

いない

のかもしれない

未だに

 

 

 

 

 

秘密にしてしまうから

 

家族内部にある問題とは

 

 

 

 

それを

限界があることで

事件化してしまうケースもある

 

 

 

 

 

 

 

一つの現象としての

観察

受け止め

 

その人の人生の中での

他者には理解してもらえていない

苦痛

苦悩

苦難の体験を

 

傾聴すると云う事を

そのまま

受け止める事を実践する

ともにあることの具体化を

実践できること

 

 

 

その人は

もっと

いろいろな場所に

あっらら

merit

全部の社会にも

善徳を

提供するだろうと

思うのだけども

 

投資する

対象が

 

 

製品

 

 

経済産業のそれだけでは

 

いまの

家族の機能の不全の問題については

まったく

対応できない事になってしまうだろうし

 

ますます

 

 

それは

保守的な宗教に

さらに

依存することになるだろうから

 

 

 

または

宗教

そのもの

いろいろな思想の混在があって

 

 

個人

個人の神のような成果となるだろうし

 

AI

正に

神のような存在に

人々は

信じてしまうかもしれないし

 

 

 

 

宗教の教えを媒体として

人と人との相互作用というのは

非常に常に

モニタリングする必要があるということ

 

そこは

それぞれの

出身の家族の家族機能の不全の問題も含めて

 

自己覚知の作業も必要な事だということ

 

 

 

 

 

 

 

それぞれ

そこで

個人自身がNEEDSを知る

自覚し

 

自等にある特性を

十二分に生かせる

活用できる

支援制度を

沢山

構築することは

 

 

賢明だと云う事です

 

その社会の構築作業では

 

 

GAMESYSTEMの偏重にますます

没入するような仕組みを装置を生産する事は

どうなるのでしょうね

 

 

 

 

 

白黒の判断とか

好き

キライの判断など

 

分断する傾向をもっと増進してしまうかもしれない

人の

内心の判断のその

方法の時に

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お金を拠出しなさい

という

その方法は

本来

 

仁慈滋養慈悲の精神とは

まるでちがいますけどね

 

 

 

精神的にも困窮している人々に

それを求めるというのは

 

 

 

そもそも

何かの支障を抱えているのだと云う事は理解できると思います

 

 

 

 

 

 

ほんとに

権威ある偉い者は

自分から

多くの困窮している方に

自分自身のある品物で最善の品物を

提供するものだから

 

 

という

本来ある理念もある

 

 

そこに

政治的闘争論のようなゲームSYSTEMの権威者が登場すると

その為の資金源が

どうしても

必要だとなる次第だから

 

なかなか

人々の生活の次元の構成の選択の問題もある

 

自由

という

その選択の判断が

あるから

 

 

そこは

その私的個人が

いつまでも

もとめて

たしなめていたい品物は

一体

何かと

そういうこと

 

手段と云う事でない

 

何を本来

本心

もとめてやまないんか

 

 

という

狙い

 

 

 

 

 

 

AIM

 

 

 

 

 

南山堂