宗教と人の整理
人と宗教にまつわる問題 質問 といかけ、Themeテーマ 内容 出来事 御題目 掲げる物事
人自身を人自身が理解する為の事
方法としては
いろいろな物事がある
宗教も多種多様
人の信じる事の対象物
信じる事は
自由ではある
何を信じるか
が
問題だと云う事
それは
危険もあると云う事
そもそも
TEO
DEO
EL
DEUSU
神
GOD
神からの使い
悪魔
悪魔は天使そもそも
霊そのものだから
肉体が無いのです
という規定がある
世界にはいろいろな存在がある
神は人になった存在
人が神になった存在
神のようになった仏という存在
神さまのような人
仏さまのような人
女神とか男神とかある
天使は
性別は無い
女性のように見えるとか
男性のように見えるとかだけのこと
しかも
霊なので
物体として存在はしていない
けども
存在自体はある
しかも
その天使といわれているものは
人よりも
何倍もそれぞれ能力がある
から
ある人たちは
その天使を
神と受け止め信じ込むかもしれないし
狡猾な天使なら
その自分を神と信じたその人々を大いに利用するかもしれない
お金をどんどん自分に捧げない
そうしたらお前を
幸福にしてやるぞ
という
かなり
曖昧な事
もっとささげなさい
不幸のままだというなら
と
どうしても
人の能力では無理で変えられない
身体の機能に不全を抱えてしまった時などは
その支障を取り除き
回復して
身体機能を全部回復できたらよいのにな
と念願するだろうから
そこは
よわさ
でもあるけども
人にあるよわさの一つ
そこを大いに狙いますのはその天使かもしれない
その天使は狡猾な天使
力はあるが
マルトリートメントを
人々に
贈る天使だから
こまったものだ
となる
なんとか
お鎮まり下さいな
として
貴方様は
偉い
神だ
と
たてまつる
など
してあるかもしれれない
人というのは
厄介な事をされたくないから
いつまでもいまある安心安寧を保持できたらいいのになと
いう
はかない
希望はあるからこそ
どうか
自分に厄災は降らないで
お願いと
そして
いのる
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
宗教とは
そいいう
自分の幸福維持のため
地上で何も問題が無い
つつがないことを
祈願するための
情報のパッケージでもある
御品
御品は
無数にあっていい
それは
まさに
商いと
同じ事
あきない
まるで
錬金の方法のようにして
いろいろな
神々の効用を
御品として
提示して
薬の調合のようにして
塩梅をはかるということ
浮気と云う事ではないだろうし
あれも
これも
と
いろいろな
効果を保持しているそれぞれの
神という御品物を
セレクトする事だ
という人の行為の現象の把握のとらまえかた
受け止める観方
メタファーではあるけども
一つの宗教行為
信じる事のその振る舞い
何か
将来が
この先は
良い事があることを
希望し
命運をそれに
かける
ということだけども
行為としては
挑戦するとか
願いを掛ける
遠くの神社まで
出かけてみるとか
一つの行動を
自分で決意して
発意して
実践するなど
巡礼とか
お参り
イスラエルの神の規定では
一年に三度は
お参りを
神殿にしていたそうだから
それに
マホメッドさんの預言からだと
神からの言としての
宗教としては
一生に一度の巡礼地もあるし
お遍路は
日本にもあるし
Catholicでは
巡礼地が定めてある地域もあるし
いろいろな聖人というんは
執り成しての一人一人で
天使でもそうだし
完全な慈善
いつくしみのよいそのもの
それは
全知
全能
全善である方として
Almighty
なんでも出来る方
つまり
善の欠如はしない事は当然だと云う事
誰かを不幸にしていることは無いと云う事だ
しかし
ある人は
金持で
いつまでも加増する金を黄金を欲しがる者もある
事
それを
叶えてくれと
いっても
それは
どうだろうか
私的個人が
その莫大な金品で
何を意図しているのか
が
実際の問題
Almightyは
実際には
自己を全て顕示しているので
父と子と聖霊は
Nazarethのイエシュアを媒体として
父を顕示したし
聖霊も顕示している
必要十二分
2000年前に
開示している事
終った
というのは
その事だ
ゴルゴダ
処刑場の丘で
十字架処刑
枯れ木に
釘で
手足を
はり付けられた
拷問や
激しく蔑み
マルトリートメントのオンパレード
人々がどこまでもそうして
憎しみ
生命を
蔑ろにした
事実と云事の証拠品でもある
みなそうでしたということではない
大祭司とか
偉い人々などは
そうして
殺してしまえ
あいつを
と
罵るし
ココロのおもいでは既に殺害していたのですし
ローマの軍人も
ユダヤ人の王だとして
揶揄して
凄く
卑下して
死ねと
そうして
唾を顔にはいたりしていた
し
王の冠は荊であって
着ている服装は王のような紫の衣をあえて着せて
蒲の穂を王の杓として
もたせて
ローマ兵たちは
拝礼する
そして
唾を掛ける
殴る
など
そして
どこまでも
拷問の拷問を
加えて
そして
死するための
行進
を
みなに
さらけだす
それは
どこまでもローマ皇帝
ローマの神々を
受け入れない
そのユダヤ人への
大侵害であったが
イエシュア自身は
身代わりに
その侵害を
エルサレムの為に
受け止めたのでした
エルサレムは
イエシュアを
廃棄したのですけども
新しいエルサレムとは
正に
Nazarethのイエシュア自身でした
あらたに神殿を三日で建設するとしたのは彼自身
父の意向であることだったから
死者の復活は
多くの人々が
希望すること
永遠に生きていまあることを願うから
長命
同時に
人には
不完全である能力しかない事を
知る事だった
全能
全知全善では無い事なので
いかに
かしこまるか
自分という存在の
小さな小さな
素粒子のような存在なのだと
自覚できるか
どうか
で
しかも
存在自体は
他にあることは無いのだ
自分は自分というUNIQUEであること
を理解する事
その存在に向けて
神の意向とは
せいめいそのものを
別け与えた
いきることを
体験し
死ぬることも体験すること
全知とはそうして
人生のすべての出来事を
理解すること
体験そのものを通して
中には
殺人をしてみたいといって
ほんとに人自身の肉体を侵害する者もある
複数人
なぜ
そういう欲望が沸き起こるのでしょうか?
ユダヤ人の大祭司らも
あの者は
神を冒涜するから
殺せ!
と
命令した
そうして
殺意を抱くのは当然としていたのです
ころすな
とは
一体
どういう事なのでしょうか
地上と天国
地上の中でも
人々の中でも
とても偉い絶対権威という権威を顕示する人々
複数ある
各地の代表者としての
皇帝や
王とか
大祭司とか
大統領とか
選ばれている大統領とか
そもそも
力は
預かっている品の一つという判断がある
その力は
全部
天の神からの
それぞれの
個人への贈与
と云う事だけども
管理人としての地上の人々という判断もある
そこで
委託されているその部分は
一体
何かと云う事
それとも
全部
自分の所有物なのだと
いう
どこまでも
自分の物としての承認をやめない方もあるし
所有すると云う事は
管理する責任も当然登場するが
どうなるでしょうかね
以下では、あなたの長いテキストに含まれている **問題提起の核心を整理し、テーマ化し、問いを明確にし、さらに考察の筋道を示す** 形でまとめます。
あなたの文章は非常に豊かな宗教思想・人間理解・倫理・力の問題などを包含しており、体系化すると大きな思想論になります。
---
# ■ 全体テーマの総まとめ
**「人はなぜ何かを信じるのか――宗教・神・権威・力・弱さに関わる根源問題」**
あなたが挙げた内容は、以下の**6つの大テーマ**に分けられます。
---
# ■ 1. 人間の「弱さ」と信仰の起源
あなたは繰り返し
**「人間には弱さがある」**
という前提から宗教を考えています。
* 人の力では変えられないもの(病、死、運命)がある
* 人は不安を抱え、救いや希望を求める
* 人は自分を守る力を欲しがる
* 弱さゆえに「祈り」や「信仰」が生まれる
→ この観点は宗教学でも非常に重要な分析で、
**宗教は“弱さの自覚”から始まる**
という立場です。
---
# ■ 2. 神・天使・悪魔の性質と、人がそれをどう認識するか
あなたの文章には、以下の区別があります。
* 神(創造者・全知全能・全善)
* 人(弱く有限、しかし固有の存在)
* 天使(霊的存在、肉体を持たず、人より能力が高い)
* 悪魔(天使であるが、狡猾で人を利用する者)
ここで重要な問いが出てきます:
### ● 人は本当に「神」を信じているのか?
それとも
**ただ能力のある“霊的存在”を神と誤認しているだけか?**
→ ここには、「偽りの神」「偶像崇拝」の問題が深く関わっています。
---
# ■ 3. 信仰は自由だが、「何を信じるか」が人生を決める
あなたは強調します:
* 信じるのは自由
* しかし、**対象によっては危険がある**
* 天使のように高能力の存在が、神のように見える場合がある
* 狡猾な存在は、人の弱さにつけこみ、利用する
これは現代的には
**「カルト宗教」や「偽りのスピリチュアル指導者」の問題**
とも重なります。
「献金すれば幸福になる」
「もっと捧げろ、不幸なのは信仰が足りない」
こうした構造は宗教社会学で
**“依存と搾取”**
として分析されます。
---
# ■ 4. 宗教を「パッケージ」として見る視点
あなたは宗教を、
* 商品
* 商い
* パッケージ
* 効果のある御品(ごしな)
* 錬金術のような調合
と述べます。
つまりこういうことです:
### ● 人は、自分の願望に応じて「宗教的御品」を選び取る。
病気に効く神
金運の神
戦いの神
子育ての神
旅の守り神
…
→ これは宗教学では
**“民間信仰の選択主義”**
と呼ばれます。
あなたはこれを批判ではなく、
**「自然な人間の行動」として描いている**
点が興味深いです。
---
# ■ 5. イエスの受難と力の問題
あなたは、イエスの磔刑を長く描写されています。
その核心は以下:
* 権力者(ローマ、大祭司)がイエスを処刑した
* 権威はしばしば暴力と結びつく
* イエスはそれらの暴力を身に受けた
* その行為に、人間の残酷さと弱さが現れている
* しかし、この受難は「神の意向」であった
ここには
**正義・暴力・権威・救済**
という非常に重要な宗教哲学のテーマがあります。
---
# ■ 6. 「殺すな」とは何か
あなたの問いは核心を突いています:
> ころすな、とは一体どういうことなのか?
この問いは、
神学、倫理学、人類学の中心テーマです。
* 宗教権威者でさえ「殺せ」と叫んだ
* 人はなぜ殺意を持つのか
* 殺してはならないとは、どの領域の神の命令なのか
* 権力者が人を殺すとき、それはどう扱うのか
この問いは
**宗教的倫理の根幹**に触れています。
---
# ■ 7. 権力とは預けられた「品」である
あなたはこう書きます:
> 力は預かっている品の一つ
> 天の神からの贈与
> 管理人としての人々
これは非常に深い概念です。
つまり、
### ● 権力者であれ王であれ、
### 「力は自分の所有物ではない」。
それは
**委託された管理責任**
である。
しかし、
* それを「自分のもの」と思う者がいる
* そこから搾取・戦争・支配が生まれる
という批判が含まれています。
---
# ■ あなたが提出している「大質問(根本問題)」
最後に整理します。
あなたの文章には、次の「根源的な問い」があります。
---
## ● Q1:人はなぜ何かを信じようとするのか?
## ● Q2:人は“偽りの神”をどう見分けるのか?
## ● Q3:天使のような高次存在は、人を騙す可能性があるのか?
## ● Q4:宗教は人間の弱さを救うのか、利用するのか?
## ● Q5:権力は誰のものか?
神の委託なのか、支配者の私物なのか?
## ● Q6:「殺すな」とは、人間に何を要求する言葉なのか?
## ● Q7:善と悪をどう見極めるのか?
## ● Q8:人間は“唯一の存在”であるとはどういうことか?
---
# ■ もし望むなら—
このまま **対話的に深める** こともできますし、
この文章を
* 哲学エッセイ
* 宗教学の論文
* 宗教観の体系化
* 問題提起のまとめ
* 小説の世界観構築
として整理し直すことも可能です。
---
もしよければこう聞かせてください:
### ★ あなたが今いちばん深めたいのは、どのテーマですか?
1. 人の弱さと信仰
2. 神・天使・悪魔の区別
3. 偽りの宗教(カルト)の危険
4. イエスの受難と権力
5. 「殺すな」という倫理
6. 権力と責任
7. 人が何を信じてよいかという問い
さらに深い議論に進めます。
人と宗教にまつわる問題 質問 といかけ、Themeテーマ 内容 出来事 御題目 掲げる物事
人と宗教にまつわる問題 質問 といかけ、Themeテーマ 内容 出来事 御題目 掲げる物事
人自身を人自身が理解する為の事
方法としては
いろいろな物事がある
宗教も多種多様
人の信じる事の対象物
信じる事は
自由ではある
何を信じるか
が
問題だと云う事
それは
危険もあると云う事
そもそも
TEO
DEO
EL
DEUSU
神
GOD
神からの使い
悪魔
悪魔は天使そもそも
霊そのものだから
肉体が無いのです
という規定がある
世界にはいろいろな存在がある
神は人になった存在
人が神になった存在
神のようになった仏という存在
神さまのような人
仏さまのような人
女神とか男神とかある
天使は
性別は無い
女性のように見えるとか
男性のように見えるとかだけのこと
しかも
霊なので
物体として存在はしていない
けども
存在自体はある
しかも
その天使といわれているものは
人よりも
何倍もそれぞれ能力がある
から
ある人たちは
その天使を
神と受け止め信じ込むかもしれないし
狡猾な天使なら
その自分を神と信じたその人々を大いに利用するかもしれない
お金をどんどん自分に捧げない
そうしたらお前を
幸福にしてやるぞ
という
かなり
曖昧な事
もっとささげなさい
不幸のままだというなら
と
どうしても
人の能力では無理で変えられない
身体の機能に不全を抱えてしまった時などは
その支障を取り除き
回復して
身体機能を全部回復できたらよいのにな
と念願するだろうから
そこは
よわさ
でもあるけども
人にあるよわさの一つ
そこを大いに狙いますのはその天使かもしれない
その天使は狡猾な天使
力はあるが
マルトリートメントを
人々に
贈る天使だから
こまったものだ
となる
なんとか
お鎮まり下さいな
として
貴方様は
偉い
神だ
と
たてまつる
など
してあるかもしれれない
人というのは
厄介な事をされたくないから
いつまでもいまある安心安寧を保持できたらいいのになと
いう
はかない
希望はあるからこそ
どうか
自分に厄災は降らないで
お願いと
そして
いのる
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
宗教とは
そいいう
自分の幸福維持のため
地上で何も問題が無い
つつがないことを
祈願するための
情報のパッケージでもある
御品
御品は
無数にあっていい
それは
まさに
商いと
同じ事
あきない
まるで
錬金の方法のようにして
いろいろな
神々の効用を
御品として
提示して
薬の調合のようにして
塩梅をはかるということ
浮気と云う事ではないだろうし
あれも
これも
と
いろいろな
効果を保持しているそれぞれの
神という御品物を
セレクトする事だ
という人の行為の現象の把握のとらまえかた
受け止める観方
メタファーではあるけども
一つの宗教行為
信じる事のその振る舞い
何か
将来が
この先は
良い事があることを
希望し
命運をそれに
かける
ということだけども
行為としては
挑戦するとか
願いを掛ける
遠くの神社まで
出かけてみるとか
一つの行動を
自分で決意して
発意して
実践するなど
巡礼とか
お参り
イスラエルの神の規定では
一年に三度は
お参りを
神殿にしていたそうだから
それに
マホメッドさんの預言からだと
神からの言としての
宗教としては
一生に一度の巡礼地もあるし
お遍路は
日本にもあるし
Catholicでは
巡礼地が定めてある地域もあるし
いろいろな聖人というんは
執り成しての一人一人で
天使でもそうだし
完全な慈善
いつくしみのよいそのもの
それは
全知
全能
全善である方として
Almighty
なんでも出来る方
つまり
善の欠如はしない事は当然だと云う事
誰かを不幸にしていることは無いと云う事だ
しかし
ある人は
金持で
いつまでも加増する金を黄金を欲しがる者もある
事
それを
叶えてくれと
いっても
それは
どうだろうか
私的個人が
その莫大な金品で
何を意図しているのか
が
実際の問題
Almightyは
実際には
自己を全て顕示しているので
父と子と聖霊は
Nazarethのイエシュアを媒体として
父を顕示したし
聖霊も顕示している
必要十二分
2000年前に
開示している事
終った
というのは
その事だ
ゴルゴダ
処刑場の丘で
十字架処刑
枯れ木に
釘で
手足を
はり付けられた
拷問や
激しく蔑み
マルトリートメントのオンパレード
人々がどこまでもそうして
憎しみ
生命を
蔑ろにした
事実と云事の証拠品でもある
みなそうでしたということではない
大祭司とか
偉い人々などは
そうして
殺してしまえ
あいつを
と
罵るし
ココロのおもいでは既に殺害していたのですし
ローマの軍人も
ユダヤ人の王だとして
揶揄して
凄く
卑下して
死ねと
そうして
唾を顔にはいたりしていた
し
王の冠は荊であって
着ている服装は王のような紫の衣をあえて着せて
蒲の穂を王の杓として
もたせて
ローマ兵たちは
拝礼する
そして
唾を掛ける
殴る
など
そして
どこまでも
拷問の拷問を
加えて
そして
死するための
行進
を
みなに
さらけだす
それは
どこまでもローマ皇帝
ローマの神々を
受け入れない
そのユダヤ人への
大侵害であったが
イエシュア自身は
身代わりに
その侵害を
エルサレムの為に
受け止めたのでした
エルサレムは
イエシュアを
廃棄したのですけども
新しいエルサレムとは
正に
Nazarethのイエシュア自身でした
あらたに神殿を三日で建設するとしたのは彼自身
父の意向であることだったから
死者の復活は
多くの人々が
希望すること
永遠に生きていまあることを願うから
長命
同時に
人には
不完全である能力しかない事を
知る事だった
全能
全知全善では無い事なので
いかに
かしこまるか
自分という存在の
小さな小さな
素粒子のような存在なのだと
自覚できるか
どうか
で
しかも
存在自体は
他にあることは無いのだ
自分は自分というUNIQUEであること
を理解する事
その存在に向けて
神の意向とは
せいめいそのものを
別け与えた
いきることを
体験し
死ぬることも体験すること
全知とはそうして
人生のすべての出来事を
理解すること
体験そのものを通して
中には
殺人をしてみたいといって
ほんとに人自身の肉体を侵害する者もある
複数人
なぜ
そういう欲望が沸き起こるのでしょうか?
ユダヤ人の大祭司らも
あの者は
神を冒涜するから
殺せ!
と
命令した
そうして
殺意を抱くのは当然としていたのです
ころすな
とは
一体
どういう事なのでしょうか
地上と天国
地上の中でも
人々の中でも
とても偉い絶対権威という権威を顕示する人々
複数ある
各地の代表者としての
皇帝や
王とか
大祭司とか
大統領とか
選ばれている大統領とか
そもそも
力は
預かっている品の一つという判断がある
その力は
全部
天の神からの
それぞれの
個人への贈与
と云う事だけども
管理人としての地上の人々という判断もある
そこで
委託されているその部分は
一体
何かと云う事
それとも
全部
自分の所有物なのだと
いう
どこまでも
自分の物としての承認をやめない方もあるし
所有すると云う事は
管理する責任も当然登場するが
どうなるでしょうかね
宗教というのは
いろいろな
戒律や規則があるのは普通でしょうか
あまりにも
法律が制定されて
自由の人生を拘束する方に向かうのはどうだろうか
それぞれの
内的心の成果というのが
何か
と云う事が
それこそ
一つ
一つの問題となるし
意図が
動機として
一体
何をもとめていたのか
という内省の問題にも通じる
南山堂安居子
こうふくをえるための道具 御品物の類 たぐい たぐいよせる 経験してみて どうだったのか?
【速報】山上被告の妹「『私のことをどうして愛してくれないの』と言ったら鼻で笑われた」旧統一教会の信仰を優先する母親との関係性を語る 安倍元総理銃撃・殺害事件(関西テレビ) - Yahoo!ニュース
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
宗教
信じる対象物
唯物論でも
自由主義思想でも
なんでも
あるパッケージになっている情報 カプセル そのまま鵜呑みにしてもいいのか
信じる事でみな解決する諸問題だろうか
問題を特定する時には
何を調べると好ましいのか
賢明かと云う事
cultとは
信じる対象物の事そのものとしていると
なんでも
人には
信じる念じる対象物があるかもしれない
その時のその個人の状態とか
気持ちとか
環境との相互作用の結果
その結果を判断して
DEMERITだと認知した
ときは
判定している時は
どうだろう
もっと別の品物を探そうとなる
最善の御品物とは
一体
何か
心身の機能に支障を抱えてしまう事
自分の生い立ちの過程で侵害されていたこと
社会の階層的なクラスの中での生き方の不満足とか
もっと自由に自分の生命と共に
活き活きとEnjoy
享受
謳歌できたらな
という
気持ちなど
どうして自分はこんな惨めなのかと蔑む事とか
いろいろな気持ちの生成があることでの
複雑な闇夜の中で
もしかして
これは
救い
正に
今の暗闇から救ってくれるかもしれないと
そうであってほしいと
いう気持ちがあって
その遭遇して提示されて御品物を観る時に
自分の希望する事しか目に入らないとすると
この人は
自分をすくってくれる
苦難から
それには
引き換えに
なんぼでも
拠出する事だ
と
思い込む
ほぼ
解離しているのかもしれない
現状を
安静の心で
受け止める事が
出来ないとすると
難しい
早くよくなりたいとか
なんとか
樂にしてあげたいんだとか
云う事であるときは
何かを支援として
その御品物を得ようとするだろう
悩みの中で
どうやって
その悩みを
事実として
受け止めるのか
神さま
仏さま
と
また
誰かと
この宗教に傾く心というのは
人の体験としては
一体
何があるのだろうか
いろいろな宗旨があるが
そこで
殺人
が
事件として
発生しているけども
また
その信徒となった者は
自分の意思で
捧げ物を捧げると云う事だけども
はたして
それは
どういう
MECHANISMがあってのことだろうか
ほんとは
その家族の支援を具体に出来る御品物を
必要十二分
用意して
具体に出来る方法論を開発して
具体
NEEDSに
適応した
それぞれに必要な
支援を贈る事こそ
宗教活動の基本だろうけども
金を摂取
拠出するだけで
そのまま知らない振りをもししているとすると
どうだろうか
支援
生きる事で
いろいろな
苦痛を体験していて
そのために
生きる事に支障を沢山抱えている人
金は潤沢にあって
その金をどこに投資するのが
最善なのか
という
倫理判断は
適確に
関係者は
実践できていたか
ネグレクトのまま
税金というのも
拠出して
それぞれの所得などに応じた
金の拠出
社会構成
社会構築
生きる事を
支援するための
機関である事が
必要であろうが
國
地方自治体も
また
宗教活動をそれとしている組織も
いのるのはいつでも
どこでも
可能だし
神も
仏もどこにもである
という
大前提に立つならば
神が人になったのは
あの人だと
言われましてもね
それは
人が
神のようにふるまうという人なのだと
いうしかない
ことだ
あとは
その人を
まわりの人々が
信じ込む体制を構築することで
組織は
成立するし
政治活動と宗教活動を合一として
活動する人々も当然あるし
いろいろな人々の発するその意向を
どう
判断するのが
最善なのか
と云う事の
見極める能力を
どうやって
自分に
獲得するか
幸福と云う事でも
いま
いのちとともにあることこそ
もっとも幸福な事と
いう考えもあるが
単純な内容ですけども
苦痛を担いながら
生命と共にある事の
さらなる苦痛もあると云う事も事実だし
では
人にとっての
様々な
形態の
内実がそれぞれ違う
苦痛というのは
一体
なぜ存在しているのか
Nazarethのイエシュア自身は
全てを顕示していること
という大前提にたつなら
それは
父の言でもあることで
その言が
マリアの胎内に宿り
受肉して
誕生して
反対され
処刑されて
その反対されて
苦痛を
ココロにも
体にも
体験する事
人のよわい
という事を
神自身も
実際に
受け止めている事と
いう説明がある
人生の
過ちの為に
人々の
もしもみな
Almightyのようで
最善の善徳の実践がいつでもできる者だったら
正に
そこそ
天国と同じ處と云う事になるでしょうが
地上はそうではないと
云う事を
証拠品として
それぞれが
自分で保持して
事績として
足跡として
如実にあると云う事だから
どの人も
不完全である状態を
つねに
抱えて
そうい事でも
苦
は
ある
そこに
痛みを
認知して
知る事が
どうであるか
一人
一人の
不完全なよわさの行為の結果
何がそれぞれに
生産されているのか
その侵害されてきた
適切な支援が必要であったのに
それを知っている人もいながら
放置されてきた
長い間の経過の
事件
個人の瑕疵や
社会制度の瑕疵なども含めて
そこにある
共通している
問題
その問題を解決するために必要な
共通の課題とは
何か
審判という行為も
そもそも人であるので
完全な正義とは無いのです
最後
裁判長の主観
ということになる
その前に
何がcaseであって
人生の経過
家族として
どんな諸問題を抱えていたか
社会的な支援は
適切に供給されていたのだろうか
など
家族の機能の不全の問題を
明確に示す事が
できるだろうか
法律だけの裁定
いろいろな福祉的な観点もあるが
法務として
法治国家というのであるならば
どうだろうか
そんなものは
家族問題だから
処罰の内容としては
関係無いのだ
機能的な問題としての刑罰を
決定するだけだろうか
社会制度を適切に維持するための手法としての
いまある制度維持
日本と云う国中では
宗教と家族の中にある諸問題の事を
丁寧に
受け止めて
研究して
いろいろな家族の機能不全についての
対処を
どうしたらよいのかという
Themeは
少ないですね
とても
公的機関の公務員の方も
専門的な技能がある人は多くは無い
宗教とか
なんとかの教えというのは
単なる情報でしかないから
言
いのち
そのものと違うのでね
どうして
生命を維持する事について
慈愛の提供ということは
忘れてしまうのかもしれない
それぞれ
普通であるから
生命そのものがあるのが
お金よりも
仁慈
いつもその人と共にいてあること
普遍価値そのものは
生命そのものだから
お金は
媒体でしかない
何かを
交換するための
媒体
生命は
何か
別けてくれるものがあるとすると
それは
Nazarethのイエシュア自身と云う事だ
それは
パンを別けてくれるもの
施主
施す方ですね
そして
自分の身を削って
別けてくれる
困っている
飢えている者に
乾ききった
砂地のような状態の人々に向けて
人には
生命そのものは
構築できないのです
無から
何かを材料として
再生などもできない
いま
いろいろな研究を実践してはいますが
ネグレクト
適切な支援を提供する事を
放置している
または
仁慈を提供するために使用する力を
人々を侵害のための使う
アビューズ
AB
USE
それらはみな
マルトリートメント
問題があるんだと知りつつも
放置してしまう
というのは
なぜなのか
その問題を特定して
問題解決に向けて具体な方法論をしらないから
価値を設定して
倫理で判断して
どう
介入するか技法を保持していないから
人の心と肉体とその統合化したその個人の保持しているNEEDSと
現状の格差の状態
を
はかる事が
できていないとすると
放置することになる
何かを選択する自由はある
どうしても
自分で全部解決しようとして
その弱みを
把握されてどんどん
cultのオーダーのままに行動することは
どうなのだろうか
生活
家族の機能の不全
それぞれの
心身の状態
社会での生き方になんらかの支障を抱えている事実
トータルで
家族がそれぞれの構成員の生きる事の支障を
一つ
一つ
問題
課題
を整理して
一緒に
ワーキングする事が
出来るスタッフとは
いない
のかもしれない
未だに
秘密にしてしまうから
家族内部にある問題とは
それを
限界があることで
事件化してしまうケースもある
一つの現象としての
観察
受け止め
で
その人の人生の中での
他者には理解してもらえていない
苦痛
苦悩
苦難の体験を
傾聴すると云う事を
そのまま
受け止める事を実践する
ともにあることの具体化を
実践できること
その人は
もっと
いろいろな場所に
あっらら
merit
は
全部の社会にも
善徳を
提供するだろうと
思うのだけども
投資する
対象が
製品
経済産業のそれだけでは
いまの
家族の機能の不全の問題については
まったく
対応できない事になってしまうだろうし
ますます
それは
保守的な宗教に
さらに
依存することになるだろうから
または
宗教
そのもの
と
いろいろな思想の混在があって
個人
個人の神のような成果となるだろうし
AI
は
正に
神のような存在に
人々は
信じてしまうかもしれないし
宗教の教えを媒体として
人と人との相互作用というのは
非常に常に
モニタリングする必要があるということ
そこは
それぞれの
出身の家族の家族機能の不全の問題も含めて
自己覚知の作業も必要な事だということ
それぞれ
そこで
個人自身がNEEDSを知る
自覚し
自等にある特性を
十二分に生かせる
活用できる
支援制度を
沢山
構築することは
賢明だと云う事です
その社会の構築作業では
GAMESYSTEMの偏重にますます
没入するような仕組みを装置を生産する事は
どうなるのでしょうね
白黒の判断とか
好き
キライの判断など
分断する傾向をもっと増進してしまうかもしれない
人の
内心の判断のその
方法の時に
お金を拠出しなさい
という
その方法は
本来
仁慈滋養慈悲の精神とは
まるでちがいますけどね
精神的にも困窮している人々に
それを求めるというのは
そもそも
何かの支障を抱えているのだと云う事は理解できると思います
ほんとに
権威ある偉い者は
自分から
多くの困窮している方に
自分自身のある品物で最善の品物を
提供するものだから
という
本来ある理念もある
そこに
政治的闘争論のようなゲームSYSTEMの権威者が登場すると
その為の資金源が
どうしても
必要だとなる次第だから
なかなか
人々の生活の次元の構成の選択の問題もある
自由
という
その選択の判断が
あるから
そこは
その私的個人が
いつまでも
もとめて
たしなめていたい品物は
一体
何かと
そういうこと
手段と云う事でない
何を本来
本心
もとめてやまないんか
という
狙い
AIM
南山堂