そのままである、このままである、いまのそのままの我 吾 安吾 同時に状態は変化している
社会というのは
操作する意図を人にせわしなく想起させてしまう
それが
社会そのもの
自然とか
天然の土台の内側から
芽を出した
その存在というのは、
のきぃのきと
天空に上る塔のように
なぜ
スツーパ
は
そうして
高い高い塔にしたのだろうか
まるで
山の無い地平のど真ん中にあるからこそ
骨のように
立つそれ
神の像とか
仏の像とか
女神の像とか
多きな生物とか
大王の像とか
人々を
圧巻する
その偉大な存在を
証明してしまうそれは
正に
人のよわさでは動かせないその存在のシンボル
何か
加工して
自己のIMAGEの通りに工夫しないと
気が済まないのは
なぜなのだろう
そういうデザインが
そんなに
重要なのではないのに
いのちを
DESIGNするものなどあるだろうか
そもそも
自分自身と共にある
いのちは
自分とともにあることを
立証するのは
息を吐いている事で
知る事なのだから
そうして
しつまる
この肉体自身に
しつまり
共にあること
人の肉体は
多くは水だから
そして
炭素
窒素
硫黄
MINERAL
人の想起した
その世界の虚像は
確かに
今はあるけども
いくよの
よろつ
つみかさねた
その人々の行為の
結果であったが
それが
完全ではあることなどないことを
いつまでも
証明して
そして
いつか
その塔も
しつまる
風は吹き
太陽のひかりは照射して
夜と昼の
その煌めきと
陰の
合間
人の生活の営みのそれは
そんな
に
理想通りにはいかないものだ
どうしても
物理の現象の範囲にあるからであって
湧き出す気持ちとか
感情とか
もう
変える事が出来ない事など
どうしてあることが
重要で
大事なのか
最善の事
山のように積み
集積されている
いろいろな事の情報
それを
全て
手にして創作して
何か
新し品物を
想起して
工夫し
作るとしても
それは
存在してある事の
意義とは
一体
何か
生命を保持するための
一定期間の道具としての
使命とか
役目とか
機能とか
そういう
生命を保持するための
手段としての
一手
であるか
小さな小さな品物でも
正に
純粋であるその品物を
体験した者は
それ以上の善い事を
この世では
体験できないとするときには
いかにも
虚無だろうし
欲望の湧きだしの刺激行為ではなくて
いま
こうなのだ
と
覚え
そして
身代わりに
いのる事
それは
滅びとしての
存在があることによる
空虚な事への
充足した善徳を乞う事だ
まさに
餓鬼のような状態が
実は
地球上にあるもので
煉獄と云う事は
ピュアガトリというが
浄化するとは
その
善徳で
自己を充満する事を
希望し
希求する事を
いつまでも
そうであることを
と
いのることだ
南山堂