小さい花 一つ ひろい野 咲いている花 その小さい花は 天を向き光子をREFLECT | mmfjtoのブログ  ~なぜなら ぼくは、どうしようもないくらい汚れ腐ってますから~

小さい花 一つ ひろい野 咲いている花 その小さい花は 天を向き光子をREFLECT

光子

PHOTON

 

物体を通過する素粒子

物体に跳ね返る素粒子

 

 

同時にある事は

統合化して理解する事

 

自分で

IMAGEして

詳しく

物事を

観察して

観てみる事

 

 

 

 

 

観る

みる

目を媒体にして

 

 

目で見るとかいいますけども

 

目の細胞

 

視神経の細胞をしることもとても重要

 

目の構造も

 

人の目

頭脳神経細胞システム

 

全体

全て

神経細胞の連携があるのですから

 

そして人自身は

感覚の統合を

自働機能を媒体にして

自認できること

 

それも

また

ゆるされてあるからこそ

 

 

存在は

その個人の私的意思では無いのですし

 

そもそも

 

 

存在はさせられた

 

でも

嫌だと

どこまでも

存在自体を

ある者は

こばむ

とすると

それは

その方の

自由

 

判断も自由

 

経験した事の

是非

 

嫌だと

いうのは

私的な

感情だが

 

最期は

事実を理解した上で

 

判断する事

 

想定問答ではあるが

 

死の時の

PROCESSというものがあるので

 

 

何も意図していない者が

死を迎えた時と

 

準備して

死の到来を

意図して

明確に自分の人生を必要十二分に振り返り

事実を一つ一つ

確認し

実直に理解するSTUDY

 

ミラー効果を媒体にして

 

カウンセリング技法を援用し

自己理解を整理できているのとでは

 

 

その時の問題は

どうか

 

問題を解決する支援とは

一体何か

 

人生を

ただ

生と死

というだけでは無いのは

明白だが

しかし

 

 

どうせ

人なども

死ぬものだし

 

どうせ

物質に還る

 

素粒子そのものなのだし

 

消えるのだ

 

から

 

えーじゃないか

 

肉欲を沢山貪れば

なんて

 

きもちよければ

天国なんだぞ

 

なんとか

 

 

 

そうして

口から物事を事白事は

 

 

なぜか

 

人生のせつなさに

メランコリア

の状態

 

はかないことに

酔う

 

自己陶酔的な信念形成の結果かもしれない

 

 

 

いきていてもほんとは

しかたないんだ

とか

 

 

 

全くの

真の希望

つまり

生命自体の喜悦の事を

理解したいと

意図していない

動機

 

 

Motifは

何か

別の品物を

選択している事

 

 

幼い子の時

まだ

生まれたから

成長過程の初期に

 

なんらかの

深刻な

侵害行為に遭遇したとしたら

どうだろうか

 

誰も

適切な本来必要な支援を

その子に

提供していないとしたら

 

 

 

 

枯れ木のような

枯渇した

自らを

 

憎むかもしれないし

 

親も

まったく気が付く事なしで

 

その子は

むしろ

秘匿する

その侵害行為自体を

 

そもそも

 

その子の

親自身の侵害行為であるときは

 

 

 

親孝行とか

いう

古い

シキタリなどの

価値化の価値によって

 

何を

得る事になるか

 

秘密事とは

何か

 

また

 

人生は

何をしてみたら

賢明か

御徳なのか

の追及自体を

そんな事は

面倒だ

兎に角

好きな物を

選択して

やればいいんだ

 

という

 

いきあたりの人生の凌ぎ方

だとすると

 

 

 

そもそもの

思考の訓練の学習

 

 

いわゆる

LIBERALART

 

 

そのテーマの設定と

広く

世界の物事を知る事

 

人自身を知る事

 

環境と人のその相互作用を理解してみること

 

 

各分野の研究成果は

どんなものがあるのか

理解してみること

 

 

好きだけの専門では無い

 

UNIVERSALSYSTEMを

理解しようとする努力とかそれへの投資など

 

 

 

 

ジェネラルでも

スペシフィックでも

機能論では無い事で

 

生きている間

一つ一つの小さい物事は

経験

体験

生命と常に共にある事の事実を

自分から意識して

意図して

確認する作業

 

学習の本来の意義とか

 

 

価値されていない価値の研究とか

 

 

倫理とは

本来

何か

 

 

人にある自由は

何か

 

束縛とか

操作する意図とか

 

DESIGNとか

 

IDEA

とは

METAPHYSICALの事など

 

 

人生の処世術の方法を学ぶと云う事では無い事

 

 

 

いわゆる

 

何かの友愛会に入会し

互助で

生きながらえる事とか

では無い事

 

 

 

共同体

とか

組合とか

 

そういう

groupの力動を援用する事では無い事の

組織に属して

集団運動の極みなどでもないこと

 

ただの一人で

孤立でも無い

孤独でもない

 

両親のいても

一緒に暮らせない子もあるし

 

複数の子があっても

一緒に暮らせない

親もある

 

 

 

 

個人

自分

としての

ほんとの意味での

独立自尊です

 

自立自主自由

 

そのもの

 

 

これは

一体

どうやって

確立できるのか

 

ほんとの自助

 

セルフヘルプ

 

自分にある力だけでは

当然

生きる事そのものは難しいのは

誰でも理解できるであろう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゆるい

関係性を

他のあらゆる存在と

維持する事

 

 

やわらかい

やわら

 

 

なこやか

やすらけ

たいらか

 

 

 

和睦

 

やわらき

むつみ

 

むつ

ます

 

 

とよゆかし

 

 

 

みよしの

よしの

 

観る事は

 

よし

 

良好

善徳

 

 

 

このましくこと

 

 

大きな権威を振るうのは

その分の結果は

大きな影響を齎すし

もしも

本来的な価値を取り違えたら

どうなるか

 

 

善徳を完全に欠如した意図なら

 

 

あしきこと

 

 

 

それを

欠損

DEMERITを

無限に積み重ねる事をした後

どうして

 

償いを

完全にできますか

 

生命自体を

侵害し

損失させたときこそ

そうだ

 

その一つの知沙希生命を

 

復活させる事の出来る者は

何処にもいないというのに

 

極めて

命令を出せる者は

本来は

人の中には居ないということだ

 

 

 

そもそも

どんなに

人の社会制度の中で

偉いとしても

 

 

 

 

 

南山堂安居子