なぜ おくたちからはソーシャルワークを選択したのか?その理由と説明の事。
なぜ おくたちからはソーシャルワークを選択したのか?その理由と説明の事。
なじょして
何如
いかに
どうして
それは、5才の時の右側の眼球の外傷を被ったから。
自分の目の前にいた子 同い年の子が
ヘアピンと輪ゴムで
弓矢のようにして遊んでいた
そのヘアピンが
机の反射して
自分の眼に突き刺さった
その場所は
保育園当時の
直ぐに平鹿総合病院の眼科に連れて行ってくれたのは
用務員のおじさんでした
そして
入院
水晶体は破裂していたので
摘出手術の必要があると説明
東北大学の医師
Iさん
横手の駅前の大きな病院の三階の通路側の室内
手術は当然全身麻酔
で
其の後
斜視になるし
眼の機能の不全で
うまくうごかすなど
視力の問題
複視
などいろいろな支障が出てしまうので
6回
は
手術
一度
麻酔の量の問題
死亡寸前
他の科のオトナでも同じ医療事故がありましたね
昭和48年の秋のこと
その年は
大豪雪です
1978年
から
1979年
に
かけて
秋田市の添川の
聖体奉仕会の
小さな聖堂ではね
桂の木で塑像した
聖体の奇跡の街で有名な
アムステルダムの聖母マリアの像がある
そこから
涙を流す現象や
左の手
十の形に血がにじむとか
アグネス笹川さんが
私的啓示を受け止めた事
の
事件でしたね
涙は101回
流れたそうですし
証拠もある
鬼塚五十一さんは
当時
木曜スペシャルで
聖母マリアの奇跡の事を取材して
放映していたし
ファチマ
ポルトガルの地名ですが
1917年5月13日から
毎月13日の奇跡
1917年10月13日
其の後もあるし
1917年の三年前から
大天使ミカエルは
三人の子の一人
ルチアには
登場していた
予備としての
設えとしてあった
何を告知しているか
報告したのか
フランスでは特に
聖母マリアの訪問の事例が
無数あるのです
中には目立ちたいという行為で
嘘を云い放つ事もある人もいて
それは
どうも
寂し
からのようです
誰かに知って欲しいのは
その事らしいのです
わたしは
ほんとは
苦しいから
寂しいから
自分のこの惨めを
知って欲しい
たすけて
HELP
と云う事だそうだ
から
嘘つきと
処断しないで
その事を
受け止める事こそ
愛のみわざ
神の愛の斯業
と云う事だそうですよ
どうおもいますか
うるさいな
そんなの
めずらしくもないね
わたしだって
神や
Mariaと
おなじくらい
やさしいのよ
なんて
冗談を
口白
御婦人も複数いましたし
さまざまな反応
反射
感情
気分
そもそも
そのような
現象は
一体
何か
宗教行為の現象です
問題はそこ
阿弥陀さまのきらびやかな絵画を
みても
自分は
別に
なんともおもいませんし
そこに手をあわせて
おがみなさいと
保育園では命令されいた
土曜日ね
のんのさまとかうたをうたうのは
一体
なんで
?
て
自分は
実に疑問
絵画に
向かった
祈りは
何を意味しますか?
疑問でしたね
未だにそうだ
ホントに
ほんとの事は
あるのでしょうし
善
と云う事
善の完全な欠如という意志を発意する存在もあるでしょうし
GOODNESS
NON GOODNESS
その二つの事
カップに
清水と栄養素のある
必要十二分の水が
満杯にあるか
無いか
のその違いだし
そんな
水は
要らないねといい
泥水の方を飲みたいぜ
とか
粋がる者もあるし
まったく
不要だ
全部
自力でいきてやるんだとか
英雄のような振る舞いで
自分を晒して
酔っ払いっているような者もあるし
そもそも
存在などしていたくない
いますぐ
自分の存在をけしてくれ
と
吠える者もあるし
悲しみを
何ゆえにと聞くと
なんでも思い通りすると約束した神は
いないじゃないか
俺様を王にせ
という
者もいたし
なんでも
自らの欲望の願望だけの実現を
常に
金を添えて
生きている
そのような生き様の方もあるし
神は
聴き分けるのでしょうか
それとも
みな
よしよしと
するのでしょうかね
その白い巨塔の内部実情のような物語の性質と
詳しく
検分する
象牙の塔
正教会
聖なるかな教会
なんでもいい
公教会
天主教
おしえとは一体何を刺すのですか
これだ
指示して
命令するとか
一体
本来は
どんな行為
ACT
なのでしょう
人は意図しているのは
頭脳神経細胞のSYSTEMの機動の結果でしかないのですし
それは
既に
5才で
各位
東北大の医師は自分に説明してくれているのでね
頭脳と神経と細胞と
侵害されたら
機能不全と云う事
それを障害といいますね
というだけ
あとは
自分で努力する事だと
生きる事は確かに
さまざま
種々の
苦
難儀
あるし
罪悪感なども
芽生える
自分は
何の悪くないのに
なぜ
眼を侵害されて
当然のようにされるのでしょうか
となる
呪いだとか言われたりもした
墓場の位置とか
家の向とか
いろいろいってくるし
宗教のいろいろな
人々が
よってくるのです
も
う
なんで
そんなことするんだ
と
自分はおもいましてね
宗教と
人の
関係を知りたいなと思いましたね
それは
要は
頭脳神経細胞システムですね
人体図鑑をみて
みたらすぐに理解できます
薬で
治癒などできない
外傷は
疾病の疾
これは
弓矢の箭で
肉体に傷を負った事です
回復には
どうするか
自分の場合は水晶体などは
無理だし
幹細胞で
分裂を促進できて
再活用できるでしょか
人工の水晶体など実際はあまり当てにならないのですしね
医師からも進められないと
何度も断られたし
そうです
で
こんたくと
れんず
これも
東北大の方の
serviceですね
ソフトコンタクトは
5才からしている
1978年当時から
1979年
大きな変化があった年ですよ
中東では
戦争だったし
オイルショックとかいっていた
トイレットペイパーなくなるぞ
とかね
世界は
昏迷期
冷戦とか云っている時代だったけども
ベトナムの戦争の後の
傷病兵の問題とか
トラウマのケアの事とか
アメリカは
精神分析の中心的存在となるけども
そもそも
その精神分析は
一定の観察の指標くらいのもので
治療という次元での
精神療法などというのは
どうでしょかね
肉体と精神とそして統合している
その人の自身の存在の問題と
統合化する必要は
医師にあって
臨床の専門の職業人にも当然
人
その人の存在自体を限りなく尊重するという明確な
慈愛の十二分にある態度を
具体に形成する
義務があるし
それをする権利と
責務があるという事だ
これは倫理の規定ですね
そこを
すっぽりと
自分から
排除して
欠如させているのは
問題だ
となる
すなわち
忙しいとかいいながら
自分自身の状態内的な状態を
検分し
かんがみることを
しようとしない
怠惰こそ
大罪と
言う事だったのです
これをいまだに
理解しようとしない人もいて
困っている次第だ
パーソナルサービスを
あまりにも素人感情で
うけながすのは
どうかな
素人さんに
出来ない事は
山積しているのです
全ての必要を
十二分検討する
査定する
力量が無いのに
なんでもできるんはずなんだとか
いいのがれをするのは
やめれ
といいたいな
南山堂