ある人物はある人物をマインドのIMAGEの通りに操作する事を全く止めない。ストップするコントロ
ある人物はある人物をマインドのIMAGEの通りに操作する事を全く止めない。ストップするコントロ
Aさん
Bさんを
Aさんのマインドの中に生産し人工作したImegeのIDEAのIDOLの
その通りにしたい
ままに
いつまでもその私的な個人的な
全く
公では無い
事の偶像を
正に
神にして
酔うのです
から
そして
その私的偶像心の神の通りに
自分も他人もそうしてないと
ゆるさない
という
どこまでも意固地な
傲慢の悪徳の
積み重ねの
高慢の悪徳の
心中の柱
いつまでも
他人を
変えたい人があって
どこまでも
意固地です
その者は
自分こそ
最高の善い事を
イメージアップしているので
MINDは
そのIDEA
の
IDOL
で
全部
そして
全ての存在を
そのマインドの作り出した生産した品物の通りに
寸分たがう事なく
そうしたいと
いう欲する棒
いつまでも
柱を
振り回すのです
望みは
そうする
それを
善い事と信じて止まない
ずーーといつまでもどこまでも
信じるので
信じ込むのです
そして
それを
あらゆる
他者に
しかける
しむける
そうすることを
どこまでも
欲して
そして最期を
その人は
迎える時を
待っているが
自己にあるその欲望の魂胆を
しらない
まったく
当たり前で
完全に善いとしている
信じ込みがある
確証は
無いのに
その善い事を
善いと
確実に
証明を
その者はしてない
怠惰がある
のに
おおいなるつみとは
モータルシン
ともいい
死に価する罪だから
おおいなる罪
つみかさねている
仕業
行為の一つ
一つの
結果
それを
一番最後
その人の人生の
終末期
の最期に
観たら
どう
その者は
受け止めるか
全部
拒否するのか
受け止めて
あー
自分とは
こうだったかと
納得し
謙虚に
謙遜の徳を
よろこぶという決意を
成すか
小さなその私的な決意こと
永久の事吹く事の
寿ということを
既に
何千年も
まえから
いくえにも
実証している
おおくの人々がある
事は
確かだし
それさえも
確実に知りたいと
その者は
希望しようとしないのです
から
なぜ
なんだろう
誠実な事は必要だと
口先では
宣べて
久しいのに
自分だけは
聖なる者だとか
くそぶき
人々を
強権で
虐げる事しかしていないのに
なぜ
いつまでも
自己に
酔う事をして
満足できるのか
不思議だ
ほんとに
不思議で
それを
晒してくれている
のは
非常に
meritの一つだが
いつくしみと
いうのは
誰かを蹴落として
自分を高見に
する事ではないのですから
いつも
へりくだるとは
大なる者の
その栄光を
仰ぎ知ることで
それで
慶びが
あるのですから
なぜ
そんな
簡単な事を
拒否するのか
不思議で
小さな子でも
十二分知る事は
可能な事であるのに
自分を自分で酔うなんて
何が足らないのですかね
不足しているのは
親からの
真摯な
仁慈でしたでしょうか
やっぱり
しかし
親と云えども
子の人
親は
不完全そのもの
その不完全そのものから
生まれ出でた子も
不完全
自分自身を
なぜ
完全な者とか
信じ込むか
実に
不思議だ
そうして
神と自分を同一化して
他人を
大いに
見下げて
見下して
操作したい
何を操作スか
それそのものを
人生の愉快としての正に虚無事の
ゲームにいたけて
その人の自身の生涯を閉じる気持ちなのでしょうかね
なんとも
せつね
はなしこと
あ
は
あ
は
れ
南山堂