敵が狄でも的でも蝦でも夷でも蛮でも胡でも無いと和合人として対等となる時に必要な条件 | mmfjtoのブログ  ~なぜなら ぼくは、どうしようもないくらい汚れ腐ってますから~

敵が狄でも的でも蝦でも夷でも蛮でも胡でも無いと和合人として対等となる時に必要な条件

敵が狄でも的でも蝦でも夷でも蛮でも胡でも無いと和合人として対等となる時に必要な条件

 

存在を

限り無し

永久に

どこまでも

尊重するかどうか

 

出来るかでは無い

 

可能性では無い

 

する

行為を実務して

明確に

意図する事を

決断し

 

 

実践するのですから

 

ACTとは

名前の

看板のような

振舞いを

雰囲気

フィーリングでどうにかする業とらしさ

 

でないのです

 

 

無い

NO

NO

 

OUI

OUI

 

 

 

うんだ

うんではない

 

その違いだけ

 

 

はっきりしている

しかも瞬間で

決定している

 

もういう事は無いのです

 

いちいち

グダグダしない

 

準備は

自分で成す事

 

必要十二分条件はあるから

探す事

調べる事です

満足するために

必要十分は

当然

必要十二分条件

 

ふりなどどうでもいい

 

それだけ

無駄

時間も

労力も

見栄では

そんなでは

ただの

 

化象

 

ばけているだけ

 

細心の細さしかないのに

 

 

威を借りて

いつまでも借る

その威力は

無いのです

そもそも

 

その当人には

 

自分の所有物だとか

傲慢に

もしも

認知形成しているなら

当然

自壊するのは

 

いきつくます

はじめから

証明しているのです

 

自分でね

 

それさえも

知らない

 

嫌だと

観たく無い

 

 

悔しいと

いうなら

どこまでも

 

その方は

そうするのです

 

 

 

根源は

 

自由

誰かに

当てこすりしても

その力とは

 

その人の所有物では無いのです

 

存在した時点から

 

力とは

借り物

 

そのもの

預かり品ですから

 

 

嫌だとか言っても

思い込んでも

 

 

無理な事は

無理

理屈の中にそもそも無いのです

 

ただ

頭脳神経細胞は

そうして

orderを

するだけであって

 

 

それは

いまある形成結果の細胞の

 

炭素と水素と酸素の結合に

少し何か含まれているから

です

 

::::

 

 

完全に物理現象

相互作用

 

物質と物質の複数の同時のやり取りがあるだけの

その結果

 

それはそう

数学的な

メタファーだけども

 

人は

塵に還るのは

当然

はじめに

立証されている

 

自分だけは

この肉体を保持して

 

永久に

正に

エリアのように

なるんだとか

 

勝手に

自由に不死身だとか

思い込んでいる

 

それで

皆に勝利者だとか

 

信じ切っているのですから

 

それこそ

人の

極みのIDOL

 

です

 

そうしないと

自らをゆるせないからです

という説明がある

既に

2000年前に

きちんと

全て

その理由を

必要十二分条件をそろえて

立証して

品物はあるのです

 

それを

みたくありません

どこまでも

我欲でもって

対抗す

 

これは

 

荒ぶる中には

 

破壊する者もある

 

同じような

orderは

9とか10

とか

頭目といて

 

 

一体

 

となる時に

 

そこを首をひもで

結ぶ

女帝のような存在もあるものだ

 

 

紫のあけ

衣類のような

最高の貴賓で

かもし

 

 

奉納されて全てを

飲み干したいそうだ

 

そうしないと

やはり

同じ

自分で自分の存在を

許可したくない

 

悔しい思いを

内心

爛熟させている

 

かもし

としての

存在

酒樽のように

 

酸っぱい

赤い

どろどろの液体を

好む

 

 

こんなことで

吐く息は

 

生をすぐに

駄目にして

毒を齎す

その木の実だ

 

となる始末

 

葉っぱでも

 

毒素のある葉は

 

だいなしにして

終りを早める

毒で毒を制しても

また

毒が完成するだけのこと

 

毒は毒として

 

小箱に納めて

 

遠く分離して

鎮める事こそ

賢明と

いう事だった

 

 

そもそも

毒素とは

 

複数の要素の結合体です

 

そのものは

毒でありえない

存在は

 

と共にあるのですから

 

存在は存在として

純粋に成立せしめる事であって

それも

そんな力を

そのもの個人は

生成もしていない

所持もしていないのです

 

 

 

そのもしも

 

全てわが物と

 

もっているなら

こそ

 

人かもしれない

 

あこがれてやまない

酔いの結果

 

自分こそ

あれ

 

そうして

合一可して

 

放縦な事

 

マルトリートは

全てを

汚辱していると

しても

一向に

 

否認しまくる事に

投資し

認知し

 

正に

鉛の塊となる

次第

どこまでも

どこまでも

鎮まる事の為に

自分からそうしている

 

翼に

匿ってほしいとは

なら無いからです

 

 

 

 

 

 

 

南山堂

飛翔翼院