全身が痛いのは、気のせいではありません、なぜなら、頑張って生きているからですよ、
全身が痛いのは、気のせいではありません、なぜなら、頑張って生きているからですよ、
賢明に
懸命にして
命を
かけて
生きる事を
している
それだけ
あとは
医師でも
なんでもいいですが
その私的な意向や
偏見も含めて
了解してみられたい
ご自身で
いちいち
誠実に
自分を自分で
鑑みないなら
善い医師には
なるは
ふかです
不可
疑う事でも
いいが
そうして
自らも生きている
この痛みは
嘘か
と
自分で
世俗的な利益を上げたいから
その怠けて
利益を得ようとしたいので
病気だとか
痛いとか
言えば
それで
済みますとなるとか
操作しているとか
こんなことを
何十年もしても
全く
意味無い
もし
そうして
生きているなら
それこそ
自分を破壊するだけです
自己を侵害し
尽くすでしょう
そんな虚偽を産みだして
世間の価値を
あることを
儲けたいとか
思う事を
継続するために
生きるのでは
なんと
虚しい
その人は
愚かない事だ
そもそも
そんな
事などは
計算を知っているならだれでも直ぐに計算できる
幼稚な発意で
いつまでも
生きているなら
ホントに
愚かしい訳です
どこまでも
それにしがみついているならば
自分自身を
損害するだけだとは
はじめに
理解できるから
わざわざ
どんな
DEMERITを積み上げる事を
自分から選ぶ事に
焦点化して
努力を積み重ねても
全てはじめから善徳品物を
失う事をしているんだから
大損を
永久にするのです
その事を狙いにして
生きる事そ
永久に
愚かです
あとから
歯噛みをしても
それは
その方は
永久に
歯噛みをしつづけるのでしょうかね
ホントに
御徳とは
人の
MINDの
生産物とは
やはり
違います
善徳の徳は
人には
無いものですから
そもそも
もっと厳密にいうなら
人に
授ける者から
拝領した者
預かる者こそ
人なのである
その
預けラテている品もんは
生
です
生
そのものは
人が
生産したもの
ではないのでね
そもそも
生が
自由で
自主は
完全に
自由で
自主です
それは
VIO
BIO
LIVE
VIVRE
生
です
人の創意工夫で
生
そのもんは
生産は
出来ないのです
どんなにしても
無理だ
いかんせん
細胞の
幹
なる部位を少し
採掘して
増やしますはできるけども
しかし
人としての
個人としての
生の
ありか
を
必要十二分に
創造
クリエイトなど
不完全な者であるそのものは
まず
無理だ
計算したら
直ぐに
理解できる
その証明は
永久にかかるでしょうね
知りたくない者もある
自分こそ
Almightyになってやるんだと
そして
そう自称し
自己陶酔したいので
振舞いをそうしている者もある
どんな反応があるか
観察したいいんだから
試験するのです
必要十二分条件の
項目は多種多様
それを
統合した
パッケージがある
医師でも無理です
なぜなら
観察する部位を
限定するから
全体を細かく調べて観るという講義は
ないものですから
未だに
総合診療科は
あるけども
医療はそもそも操作するのですから
生を維持するために
操作する肉体の機能の支障を
となる次第だ
病気
やまい
の気配がある
とか
疾病
弓矢でできた矢じりの傷とか
次第に肉体の機能の不調があって機能の不全を抱えて生きる状態を
発見すとか
やまい
身体の機能の一部を喪失したとか
内臓の機能の不全状態を
抱えて生きる事にも支障を抱えた人とか
まさに
患いを
得た人だから
この肉体の痛みは
ある事は
不幸なんだ
自らは
なんて
思う事は
正に
自分で
自分を不幸にしてしまう
典型行為ですので
それは
自分から
自分に
選ばない
事こそ
智慧であり
Sophiaです
哲学
あけらかにするための
まなびこと
ものごとを
あけらかにする
と
しることになる
情報を
情の報せ
しらせ
です
情の
感情とか
気分とか
人の状態の事とか
おもいとか
くらくて
みえない
青いから
ものごと
ある
ないを
はっきりさせることを
ポジティブと
いいます
ので
PHOJIT
光子を
あてて
観るのです
暗闇を
そこに
品物はあるか
ないか
その品物は
一体どんな性質の品物か
あけらかにする
手法
メソッド
ソーシャルワークの中に
アプローチや
メソッドは
無数にある
統合化しているので
ソーシャルワークといいます
専門の学問なので
大学で
学びます
4年間では
基礎の基礎しか
無いのです
ですから
4年間の
大学の
カリキュラムに
金を支払うのは
もったいない
もっと
大学の他の
講座や
教授の方や
相談の仕組みや
制度とか
資源を
有益に
自分で
利用し
内実をしって
資源を
統合化し
結び付けて
自己内部で
処理する事
対処する事
外部には
それぞれ
別けてあるのですから
点在している
Universa
なので
それこれと
あること
を
自分自身の能力を活用して
統合化するのです
無数の品物から選択しているのは
内実の善徳を
確かに
善い事だと
知り得て方
それは
確実な品と
立証してからこそ
信頼は
構築できますので
虚無の品を
呑み込むは
あかんですね
地位とか
権威とか
どう
その人物が
利用しているか
きちんと
くわしく
中にはいって
観察する
作業は
必要ですね
その
回答はある
常に
証拠品
誤魔化しの無いものがあるのか
どうか
善
は
徳
です
嘉
喜悦とは
何かですか
自分の中に
ものことを
評価するものはあるのか
肉体が
健康
健
大丈夫なら
そを
ご自身は
知り尽くして
有効に
善徳を
エルために
または
善徳を含めて実を
自分で成す
成果を
エルために
投資して
生きる事は
メリット
そのもの
コトバの
意味も
概念
概念規定は
その行為も
もの
こと
も
厳密に
自分から
規定して
あるとしても
普遍
おおやけ
どの人にも
善徳は
善徳である事を
きちんと
証明する事を
哲学と
いいますので
趣味行為そのものは
哲学では無いのです
また
哲学は
何も難しい作業でもない
むしろ
もっとも
安樂な作業です
簡単です
もの
こと
を
きちんと
観察する事に
投資し
怠惰しないで
努力するなら
誰でも
哲学は
出来るし
小さな子から
可能な
学問です
世界を
全部
知り尽くす事など
どうして
不完全な人に
できますか
南山堂