世俗で生きている成功者を神として拝むのは、人の欲望のあやなし、そのもの、何も拝む必要は無いのに・
世俗で生きている成功者を神として拝むのは、人の欲望のあやなし、そのもの、何も拝む必要は無いのに・
尊敬
敬服とか
対等なのに
人そのものはみな
なぜいちいち
おくするかね
敬意とは
生命の
生そのものへの
尊敬であり
人物像としてある
人工作への
敬礼など
必要は無いのです
そもそも
宣誓として
公務員として
正文を
奉じる行為も
契約を交わした
証拠品だし
それは儀典から
orderへの
自分自身の奉納
奉献式です
公共の福祉の構築のための
職務と職責であって
私的趣味行為の実現を
公務にはしないのは
当然だ
崇高な理念とか
いわない
そんな事をして崇高という言い方は
宗教染みている
宗教は
公共の福祉の構築には
必要無いのです
常に
私的な行為で
治めているだけでよろしい
訳で
世界の宗教とかいっているそのものは
本来は不要素
だからといって
現在ある
正教会
や
公教会など
また
Catholicとか
プロテスタントとか
聖教とか
何でも
自分たちが
一番純心である事を
立証して
そうしているが
それも
不要素だ
と云う事
私的な事なのです
世界の大きな教会
という意味でも
普遍教会としての
ローマカトリック
や
東ローマからの派生である
ギリシア正教など
西ローマ帝国
東ローマ帝国など
国策と
政治と
宗教と
統治者は
同一者として
シンボリックでも
実体としての
権威としても
実際にある統制の能力としても
みな
神の思し召しとして
の
崇高な概念規定を
不完全な人自身が
その
頭脳神経細胞システムを
媒体にして
意図して
クラスタした断片を
統合化して
纏めただけです
ひっくるめて
一つとした
中には
何があるかもらない
調べもしないで
権威だけ
掲げて
今の世の人々を
魅了して
人気を得て
政治的な圧力になるように動くのは
本来の
素朴である
その生の
利用をしているといってもいい
であるので
存在し
生と共にある事は
普遍だと
証明しないでも
そのものは
世界の地球の
上にあるので
その人自身自分で
その事を
享受し
生を喜悦として
ある事こそ
幸福の最大値
であるといって
よろしい
のですから
何も小難しい
DOGMA
とか
教理など
本来からして
必要無いのです
立派
として
高い尖塔や
巨大な寺院建築物は
確かに
その偉大な構築性の力動の
結果
人々の
精神生の
発意
性能を
如何にして
表現するか
という
観点では
評価できる
しかし
そもそも
生きる時に
その巨大な空間は
別ける
必要は無いのです
共有しているそもそも
世界も
地上から植物の機能の働きの御蔭で
光子と
二酸化炭素
電子
など
幾つもの物の相互作用で
TRANSACTIONがあって
酸素も
生産
されている次第だし
人々と他の生き物は
共にいきていまあるし
無数の生き物は
同時に存在していて
その人だけでは無い
皮膚と皮膚のふれあいもあるし
常に分立してもある
そもそも
どんなに物質的な相互作用のあるとしても
存在は混濁し
他の存在と
融合したりはしない
それは
人
そのものです
永久に
存在はその存在として
限りなく尊重する必要が
はじまりから
おわりまであるから
という簡単な理由だ
きわめて
道理としての正
は
ある
理由は
質朴剛健であって
格物致知で
青雲の志
天佑自助とは
正に
ものを知る事を
促して
その実の実のりの実入りである事を
確かに
そうだ
と
確実を
信として
立証できる事
120%と
いう
満足そのものです
なぜ
生まれて来たか
母の胎内から
胎内から
生誕した
のは
なぜ
その前に
父の肉体からは
精子
母の肉体からは
卵子
それぞれ
一つの細胞です
それが結合した時に
更に一つの存在が
誕生したのです
地上に
極めて
小さい存在の球体です
0.1mm
それはその人のはじまり
存在
EST
これはあるという意味
Be
SIN
とはそのもの
別けられないそれ
という意味
ATOM
ATAMA
ADAMA
泥
土地
灰
何でしょう
炭素
水素
酸素
窒素
硫黄
マグネシウム
ナトリウム
他
微量の鉱物群
これで
形成されているのですから
人も他の存在も
地球と宇宙の素材は
そのものは
活用されいるのです
肉体は
いつか
滅ぶとは
その物理の構成が
途絶えるたからで
火焔は
PLASMA
電離
電子
その威力で
他の物体が
分解してくる
その前に
細胞群が
バクテリアが
人の肉体をそのまま分解します
ずーーと放置するならそうなるし
正に
枯木のように
真っ白な骨となる次第です
それは
人の一生涯と云う事で
何をもって崇敬するか
敬服するか
礼拝するんでしょうか
米粒の骨を
どうしてそんなに
礼拝し
何をいいたいか
骨は
何かいいますか?
コトバをその真白な骨の一粒は
何かあるのでしょうか
ただの
カルシウムでしかない
それで
戦争をして
楽しむのですか
きわめて
ゲーム
地上の英雄性を
如何に求めて
その英雄となること
目指す事が
人生の寶とかいうなら
それ
欲しい人も出て来るでしょうね
必要な
のかは
不明だ
不要と云う方もあるし
酔い
人体の内部での
酔いは
ホルモンの相互作用ですから
その結果
いい気分
を味わいたい
どうしても
と云う事なのでしょうから
それを
WILLにしているなら
捕囚の状態だとは言える
何を捕囚か
肉体
その個人の肉体のその人は囚われの身の上状態と云う事です
これを
アディクション
というのだから
理解して推して知る事
SOFIA
SOPHUIEA
などいうものは
何かと
勘ぐる事も
メリットの一つと云う事だ
南山堂東
利理公院
瑠璃光寺