いま 死を迎えるとしても 一葉何ものこりくね と云う事ですから、それでご満悦の全て人生は完済
いま 死を迎えるとしても 一葉何ものこりくね と云う事ですから、それでご満悦の全て人生は完済
生きるのは
肉体のそれだし
今を生きるのは
常
状態は肉体の変化している細胞の構成している素粒子の無数だし
何が
要因で
死を迎えるか
自己に
不明だ
どうして
運命なんてあるのか
そんなものは
想像の遊びにしか過ぎないのに
予定でさえ
生きるための少しの合理性を追求してみた結果
予定としてあるくらいです
そんな高尚なんかでもない品物に
操作されてどうするかね
と
いう
寓意だね
となる始末
とんでもない
みな
何をそんなに先を知りたいか
そして知って
どうするの?
予言とか
預言なども
曖昧な
妄想の虚言の結果でしかない
詳しく調べ御覧
全部必要十二分の善徳は
無いのです
人とは
みな
不完全そのもの
である事を
完全に証明している
品々だ
まだ理解できないのかな
不思議だ
けどもね
自分
一葉
南山堂