足利尊氏 斯波 八幡太郎義家の末と舎弟の新羅三郎義光の末 その仕える者 | mmfjtoのブログ  ~なぜなら ぼくは、どうしようもないくらい汚れ腐ってますから~

足利尊氏 斯波 八幡太郎義家の末と舎弟の新羅三郎義光の末 その仕える者

足利将軍家ゆかりの「大般若経」 数百年の時を経て発見 茨城(毎日新聞) - Yahoo!ニュース

 

 

『市内の郷土史家から天神林町の町会に「探してもらえないか」との要請があり、2019年12月に文殊院を捜索したところ、仏像を安置する須弥壇(しゅみだん)の下から約500点の経典が出てきた。これらを茨城大内の「茨城史料ネット」が調査したところ「大般若経」の断片が見つかったという。 断片は第291巻の巻末部分(24センチ×43センチ)。小野崎氏が応永8年(1401年)に寄進したと記されていて、調査により「智感版」と判明した。 智感版は、室町幕府初代将軍・足利尊氏が発願して制作が始まった、木版から刷られた大般若経。二代将軍・義詮(よしあきら)、初代鎌倉公方・基氏、二代公方・氏満へと受け継がれ、鎌倉府によって管理されたとみられている。 調査に当たった茨城大の高橋修教授(中世史)は「この時代の小野崎氏は佐竹氏に仕えながら足利氏ともやりとりしていて、この智感版も直接入手したことがうかがえる。智感版はこれまでも見つかっているが、奥書によってここまで寄進の経緯が分かるものは珍しい」と解説。寄進の数年後には、約100年に及ぶ佐竹の乱(山入の乱)が始まる。きっかけとなった関東管領(公方の補佐役)上杉氏から佐竹氏宗家への養子入りも「小野崎氏が足利氏と交渉して進めたことだった」と高橋教授は指摘する。』