思想 ではなく 行為 は何か | mmfjtoのブログ  ~なぜなら ぼくは、どうしようもないくらい汚れ腐ってますから~

思想 ではなく 行為 は何か

生きることは

そのまま

食べ物も必要だし

水も必要


居住まいも

必要


衣類も

必要



当たり前を当たり前では無いと

認知するのは

何故でしょう


もし

肉体の機能に

支障を

抱えたら


人間は


放置して

そのまんま

でしょうか


また

人間は


どうせ

死ぬから

ネグレクト

でしょうか



存在を

嫌う

何でしょうか




ただの憎しみに

生きることは

メリットあるでしょうか


もしも

人間を

存在を

無視する意図は

あるなら

どうなるでしょう



その

存在は

誰が

思いやりますか



神とは

何か

無気力な

存在でしょうか


または

悪人を

懲らしめるでしょうか



永久に



地獄は

地上にも

沢山ありますよ


生きることを

無視するし

拒否するし

排除するし

殺すし

死ね

と、

願う人もいるし

言を

白てい

やまないし

死ね


何故

生きてある存在に

死ね

意図するか


当たり前とは


もし

そうなら


枯れ木のような

内実だ


ただ気に食わないから

邪魔とか


それは

かなり

幼稚な反射だ


いつまでも


そうした

人間の

欲望に

ただ

従う


ナチュラルな

欲望は

なんの

制御もなく

生まれてくる

まさに

神々のようだ


死滅を

あらゆる存在に

求めてやまない

また

政治的な野望や


夢に

執着しまくる

自己実現の

私的願望や


とりあえず

生きること

保守なる



心は

閉ざし

願いは消えてしまう


ただ


地を這うような

生きる為に


飲み込んだり

呑み込まれたり


何故

そうしたいのか

不思議だ



偉くなりたいなら


もっと

小さな者として


奉仕するのは

当たり前



階段なんか

地位や名誉など


上がりつくなら


何に

なりたいかね

やっぱり


神々の仲間たちに

入りたいからか



人気者



わたしは

素晴らしい

粋がるからか



酔いまくりたいかな








シラフは


キープは

必要




ニーズ


人間の

酔いは



酒飲みより

更に


脳内の

機能にある


内分泌


もし



報酬なら

何でしょう



思想などは

あとから

つけたような

品物でしかない



善徳は

善徳


メリットは


生命

そのものでしょう



何か

イベントや


ARTなら


意図は


生命の

生を


受け止め


そうした

存在を

認知

形成する


優しさは


必要だ



優しいは

威張る

のではないし


慈しむ


生あるは

喜悦

そのもの



生きることは


生を

知ることだから



体験し


様々

事柄を


知ること


人間を


一人

一人


違う

存在だ



信頼は


互いに

対話が

必要です



構築するのは

信頼そのもの



もし


信頼そのものを

はじまりから

排除したら



どうなるか


聴く耳を持たない



鳴らしても

聴こえない



受け止める

行為を

選択しない


から


です


自分から

自分を

知ることを

やらないし



観ようとしない



アバタを

誰かに

見せつけて


他人を

呑み込む

ように

生きることは



どうなんだ



まさに


大洪水に

生きる




大魚は

小さな

魚を

呑み込むかな



生きる為に



小さな魚は

群れになるかな




編みかけ

救い出され


炭火でやかれ

人の子に

喰われた魚は



なんだろうか


魚は

炭火で

焼くのだ



steak



芳しく

善い

香り



イブリール達は


身代わり

沢山の人人の

罪を

着せられ


生贄となる


イスラエルが

礼拝した

神に

奉献



そう


子に

命令した



つまり

拒否する方々の


償い

埋め合わせを


ナザレのイエシュアは

今から

2000前に

成した


自分から

生贄に

なるように


父は


意向を

顕示しました



故に


わたしの考えでは無く

あなたの意向が

そうなりますように


オーダーを

呑み干した


腹に

入れた

迎えた


父の意向は


Gethsemane

絞る場所


オリーブの木


葡萄


小麦








葡萄酒



炭火


水でまぜこぜした

小麦粉は

焼きます



供物だから



七つのアーモンドの花

灯火


永遠に光る光のともしひ



仔羊の





毛皮




全て

捧げますから


父は

下賜品として

配布してますから


あらゆる人に

全て



無限にある

生の源を



マリアは

汚れない

受け皿





聖霊


三方

受け止め

また

あらゆる人を


受け止める



仲介の仲介



執りなします


大祭司の中の大祭司


大王の中の大王



父の

右に座する方だから



right



父の右に

新しい家を

建設したから



沢山の人の

居住まいは

ある


故に


入りたいか

どうか



私的判断は


永遠に

尊重されます



不肖の身


あえて

我が家に

呼ばなくても

たった一言

のたまふ


それで

そうなる


ナザレのイエシュアの

発意は

そうなる



故に

取次

マリアに

依頼します


信頼は

既に

構築されてるなら


一念一言

完済


なんの支障もない

困るは

無い



至福直観を

希望しないなら


それは

その方の

やはり

嗜み

私的な

味わいたい

何か



予め


至福を

さきにしらされた

なら



実直に

理解し

受け止める


マリアは

受け皿だから


汚れない受け皿




蓮の葉や

柏の葉


笹の葉


とか


皿になるよ


父から


下賜品


受け止める



かしわて



かしわのはを

てにし


品物を

受け止める


荘厳に


シラフ


なんにも酔わない


葡萄酒は

生きる糧


まさに

慈愛は

浄め


洗い流す

汚濁を


生きる

糧になる


果実



フルクトスベントリウス


fruit



胎内に

実入りました

マリアの

胎内に


ロゴスは

人に

なりましたから



イヨファンは

そう

証言してる



最年少


傾聴し

探求した


ガリラヤの水海

漁師



人を

漁る


網をかける


右に向けて

網を投じた


大きな魚

153ひき


網は

破れそう


わさわさ

153

大きな魚



ガリラヤの湖



ルイ・マリ グリニョン ド モンフォールは


Ave Maria


153


大魚



食べきれない


あまりある



漁師



羊飼い



主人から

請け負い



もし

羊飼いは

狼なら